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本来の自分に還るために必要だったことは?


副腎疲労の治療を始めて数ヶ月が経ち、長年付き合ってきた過食の衝動から、どうやら本当に卒業できたみたいです。


"どうやら本当に"というのは、もしかしたらまた何かの出来事をきっかけに、ヤツがやってくるんじゃないかという恐怖があったのですが、本当にもうどこかへ行ってしまったようです。


昨年の夏に、どうしようもなくなって、そこから導かれたように分子栄養学の勉強を始めました。

その頃と比べると、それはもう変わりました。
変わったのは考え方、そして行動だけです。
生活もそのまま。
ほっそりしてきたよ!と言いたかったのですが笑、見た目はまだ、ぽっちゃりのままです。


長年、ひとりで喫茶店やごはん屋さんに入るなんて、もっての外でした。
いつの頃からか、人目がこわいこわい病になっていて。

誰も見ていないし、自意識過剰なのは重々承知なのですが、それも低血糖の症状だと知れて、合点がいきました。



1ヶ月ほど前、ひとりで出掛けていた時に、ちょうどお昼時でお腹が空いたので、気になっていたフレンチのお店に入りました。
フレンチといってもカジュアルなお店です。
がしかし、わたしがひとりでフレンチに?!となってしまいます。


カウンターの席に男性がひとりで来られていて、その方の2つ隣の席に案内されました。

出てきた前菜とスープを味わいながら、
『わたしも出世したな😌』と本気で思いました笑。

喫茶店にすら、ひとりで入れなかったのに、お腹が空いている自分をガマンさせずに、行きたかったお店にひとりで入って、味わいながら食べている自分を褒めてあげたいような気分でした。

それからは、行列を作っていた定食屋さんや、カフェに行ったり、ひとりの食事も、とても楽しめるようになりました。


他にも、人と話す時の緊張が酷く、また変に気を遣いすぎていて、そういう自分を本当に情けなく思っていました。

分子栄養学の勉強会に参加し始めたのが半年ほど前ですが、自己紹介するのも意見を述べるのも、とても緊張して、心臓はバクバク。
それに、『すみません。』が口癖みたいになる始末。


その勉強会にも、低血糖を起こさないように、たくさんの補食を持っていくのですが、緊張が酷かったからか、食べても食べても追いつかず、夕方には、低血糖を起こし、頭痛や動悸、真冬なのに汗も酷くて、全く頭が回らないようなことが多々ありました。

勉強も、先輩や仲間とのおしゃべりもとっても楽しいのに、帰ってきてから、数日間寝込んでしまい、そういう自分に嫌気がさして落ち込む…
これを毎月繰り返していました。


懇親会などでも、思ったように振る舞えない、話せない自分にとことん疲れて、逃げ帰りたくなることがとても多かったです。


しかし、そういうのも見事になくなりました。 


先輩や仲間は魅力的な人ばかりで、皆さんの話に胸を打たれてたまらなく楽しく、心の底からワクワクして喋り倒します。
帰ってからも、それはもう元気に家事をこなしたり、夕食に出かけたりできます。


……わたし、とても変わりました!

…ん?変わった…んかな?
変わった?別人みたいに?


いや…違います。きっと違う。
今のわたしが本来のわたしだったと思うのです。


結婚する前の若い頃。
自分のことしか考えていなかった時代。

若かりしわたしも、とっても真面目ではありましたが、楽しいことが大好きで、人見知りもなく、人と話すのも大好きで、心のうちがすぐ顔に出て、わがままで自由で縛られるのは大キライ。
反抗的で、イヤなもんはイヤやし、腹が立ったらそのまま伝えるし、正義感も強くて友だちを庇ってケンカをしたり、父に殴られても、自分は間違っていないと思ったら、大いに歯向かっていくような、ヤンキー気質たっぷりの時代。


今のわたししか知らない人は、想像できないかもしれませんが笑


その頃の自分を、最近とても思い出すのです。

さすがに50歳を過ぎて、ヤンキー気質たっぷりとはなりませんが、なんというのか、本当に自分らしくいたあの頃の自分と、今の自分とが重なる部分がなぜか多いのです。


ずーっとダイエットをしてきて、過食の衝動と戦ってきて、その戦いに勝って痩せて、着たい服が着れて、自信がついての今なら、それもわかります。

でもわたしは分子栄養学の勉強を始めた昨年の夏から変わらず、ぽっちゃりのままなのです。


なのに、こんなに人目を気にしなくて済んでいるのは、わたし史上初めてのことです。

パーソナルジムにも最近通い始めました。
我流で運動してきたので、本当はずっとプロにきちんと習いたかったんです。でも、
『そんなとこは、キラキラした人が行くところで、こんなぽっちゃりおばさんの行くとこちゃう』
との思いは、ちょっとやそっとで変わるはずなかったのですが。


この30年間の道のりは、なんだったんでしょうか。  

人の顔色ばかりを伺い、気を遣い、自分のセルフイメージは、ダメな人、弱い人、情けない人。

だからせめて、見た目だけでも少しでもキレイに、女性らしく、家事や料理を完璧にこなさなければ。
それぐらいしか、わたしにできることはない。

そう思ってきたことにも最近気づきました。
そうしたくて、していたんじゃないと…


わたしがわたしのままでいることが、あんなに難しかったのに、治療を始めて7ヶ月。
副腎のケアをして、腸カンジダの除菌をし、そしてデトックスに入り、2ヶ月目くらいから、特に変わったなと感じます。
治療の威力は絶大です。絶大なのですが、
今のわたしに辿り着いた理由が、治療だけとはどうしても思えないのです。
もうひとつ、押し上げてくれている何かがあるような気がするのです。


ステキな先人の背中を見られることや、色んな想いを共有できる仲間に出会えたことも、とても大きかったです。
わたしの見識を広めてくれて、刺激をくれて、新しい世界を広げてくれた出会いがあったからこそ、

わたしは、愛を受け取れる人に成長できました。


元々そばにいた家族や友人からの愛を素直に受け取れる人になれたから、わたしはわたしを立て直すことができたと思うのです。


それに、ひとりで自己啓発本を読み漁っても、素晴らしい内容をシェアしてくれるツイートやブログをたくさん読んでも、この結果は得られませんでした。


『誰かに頼ること』

ができた日から、人は変わり始めるのでは?と思います。

それはなにも家族じゃなくても、ドクターでもカウンセラーでももちろん友だちでもいい。

誰かに頼って、助けてと言うことで、助けてが言えることで、それが後々大きな変化をもたらし、生きやすさに繋がったんだと、身をもって痛感しています。


そして、会いたい人に会って、その人の空気を感じたり、たくさん話して、新しい風を自分の中に入れることや、
良いと思ったことはすぐに取り入れて、自分をアップデートしていると感じれることをする。
これは体調がまだ万全じゃなくても、できることのひとつでした。


そうです。
『知らない世界を見てみる』
です。

そうすれば自ずと新しい出会いに触れることができます。


これもとても効果があったように思います。
いくら内省する力があっても、ひとりでは煮詰まってしまって、柔軟に考えられなくなるものなんですね。


どちらにしても、"ひとりではムリ説"が濃厚なようです。



本来の自分に還るのが容易でなく、遠回りしては引き返し、30年もかかってしまいましたが、パズルのピースがひとつはまりだすと、またひとつ、またひとつと増えていくような気がしています。


一番そばで応援してくれていた家族や友人、わたしが知らなかった世界を見せてくれた親愛なる先人や仲間たち、そしていつもこのnoteを読んでくださる皆さんに感謝を込めて…☺️

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