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自分を愛するって一体なに?

ダイエット歴を綴っていますが
振り返る中、未来を夢見る中で
感じたことを書き留めます

自尊心、自己肯定感を高くする?
世の中の、人を励ます系の本やYouTube、SNS関係で
よーく耳にするこの言葉。
"ありのままの自分を受け入れる"とか
"あなたはそのままでいいんだよ"とか


あっそうか!そう思えばいいんか!って
簡単にそう思えるなら、こんな苦しんでないってよく思っていました。
というか、こういう言葉は、
自分はそうではないんだということを明確にしてくれるだけだと。


なにかしらの出口が見えてきて初めて、腹落ちするものでした。



ではトンネルの真ん中にいる時はどうすれば、出口を見つけられるのか。


【ありのままでいい】と思えることって、
自分のことを受け入れるってことだから、
自分のことを好きじゃないと難しい。


その類いの本を読み漁って、書いてあることに感動しても、長年、日常に落とし込むことはできずにいたわたしが、散々自分をいじめてきたわたしが、遠回りをして出会えた良い方法を、どうしてもシェアしたいので、言いますね、言いますよ。


"神に、万物に、愛されてるごっこ"

ふざけてはいません。真剣です。
本当に効果があったのでシェアせずにはいられません。


毎日使ってるマグカップと目が合う。
"わたしこの子にも愛されてるわー♡"


ソファーに座る。
"あんたわたしのことめちゃくちゃ好きやん♡"


道歩いてて、知らない人たちとたくさん行き交う。
"この人らみんなわたしのこと好きなんやー♡"


空も信号もコンビニも
エレベーターも傘も書類も
壁もボタンも日焼け止めも

みーんな
わたしのことを愛してるんだと真剣に思うのです。


は?なにそれ?と、おかしいことだと思うかもしれないのですが、そもそも、神に、万物に、嫌いって言われてますか?



すれ違う仏頂面のおじさんに
『オマエのことは嫌いじゃ!』とは言われていません。


不機嫌な同僚に
『アンタと仕事してるから、ワタシは不機嫌やねん!』
とも言われていません。


この人たちも、みんなわたしを愛してる。
本当にそう思えたら、



その不機嫌な同僚に
『どうしたん?なんかあったん?』
と、心配そうな顔で話しかけることができます。


同僚は、驚くかもしれませんが、そんな顔をして、心配してくれている人のことをどう思うでしょうか。


そうです。
好きになるのです。



"わたしは愛されている"
という前提があると、世界が変わります。


自分のことを愛するのが難しいなら、
最初は周りから愛してもらえばいいと思うのです。


いつも自分が、自分を厳しい目で見ているから、世間もみんなわたしを厳しい目で見ていると思い込んでしまいます。

だったら、全て逆から変えてみれば、自分のことを愛せるようになるのではと。

これは何故か。
このごっこ状態のどさくさに紛れて、
もともとそばにあった、自分に向けられた愛に容易に気づくようになるからだと思ったのです。


これは地味に効きました。
自分を愛せない人は、他人からの愛も上手に受け取れないので、最初からそこになかったかのようになってしまうのです。



でも
"自分を愛さなければ!"となるのは違うくて、
なんかしらんけど、いつのまにか愛せるようになってたみたい
になれたら、自ら進んで背負っていた、背負わなくてよかったはずの肩の荷を自然と下ろせるようになっている気がします。



全ては神からのギフトなので、
嫌な人をわたしのそばに送り込んで、何を学ばそうとしてるのかな?とも考えられるようになります。


頑張って努力してみても、状況が変わらない時は、
『逃げなさい』というメッセージだなと思えます。
なので罪悪感なしに逃げることもできるようになります。


学ぼうとするから学べるようになりました。
嫌な思いはするにしても、
結果、お得しかないことに気づきます。


最初はウソでも良いのです。
愛されてるごっこで良いです。
暗示にかけられる"フリ"で全然構いません。


真剣に"ごっこ"をすることで、自分が変わり、結果手にするものが変わってきます。
 



心理学などでよく耳にする
【自分の思い描いているものが、自分の現実の世界に投影される】
は、真実だと体感することができました。



無理するな、我慢するなと言われても、ずっとピンとこなかったのは、この、"自分を愛する"という意味がわからな
かったからだと思います。


自分を愛するとは

"今そこにある愛に気づく"
ことが入口ではないかと、わたしは感じています。



わたしは膝を傷めて、今はとても不自由な生活をしています。家族にも職場にも迷惑をかけますが、大切にされていることを"こころ"で感じられるようになりました。


そうすると今度は、素直に甘えられるようになりました。
わたしを愛してくれている周囲との絆はより深くなり、そこには、長年、愛情や友情に覆い被さっていた"義務"はなくなっていきました。幸せを感じています。



これままさしく、わたしが神に愛されているが故のギフトでありました。



縁あって、このnoteを読んでくださった方にも、必ずギフトは届いているはずです。


ギフトを喜んで受け取って、今そこにある愛に気づくことができたら、もう何も怖くありません。


神さまからのメッセージが届きますように☺️

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