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妹が生まれると、優しかった母は…

ダイエット歴を綴っています。
迷いましたが今回は
"わたし"を表現するのに避けては通れない
母のことを書いてみようと思います。


真面目で引っ込み思案。勉強もできて良い子ちゃんのわたしが、中学2年生から大反乱を起こした後、母は豹変しました。
優しくなって、いつもわたしの気持ちを尊重してくれるようになりました。


わたしは長女として生まれ、7歳までひとりっ子でした。
母のそばを離れることを嫌がり、ものすごく人見知りで、恥ずかしがり屋、感覚も過敏な怖がりで、感受性が強く、敏感な子どもというイメージでしょうか。
家にたくさんのお客さんが来たりすると、母の膝に股がって離れないことを、おじさん達にからかわれた思い出があります。



父は典型的な亭主関白で、気が短くよく怒る人だったので、母も"子ども命"みたいになっていたと思います。



小学校に入学したての春、妹が生まれました。
母が妊娠中、お腹をさすったり、赤ちゃんに話しかけたりといった記憶は何故かありません。
このことから、母は妊娠中から体調が悪かったのだと思います。
なのでいきなり、生まれたてのホヤホヤの赤ちゃんが突然、家にやってきたという感じでした。



でもこれからは自分はお姉ちゃんだからと、父と母に
これからは名前ではなく、『おねえちゃん』と呼んでねと、せがんだように言った記憶があります。
突然であったとしても、妹ができたこと、お姉ちゃんになったことが、嬉しかったんだと思います。


妹が寝返りをするようになった頃くらいから、母はわたしに当たるようになりました。 


普段は普通なのですが、わたしが妹の世話やお手伝いなど、思い通りに動かないと激高し、暴言を吐くようになりました。口汚く罵るという感じです。


何が原因なのかはわからずとも、怒らせていることが怖くて、キッチンで炊事をしている母に『おかあさん、ごめんなさい』と何度も言っても振り向いてもらえず、背中を向けたままで無視されていたことも記憶に残っています。


部屋の隅っこに追いやられ、洋裁用の長いものさしで叩かれることも多かったです。


元々わたしは気管支が弱く、風邪をよく引き、夜お布団に入ると咳が止まらない事が多かったのですが、『うるさい!寝られへんやろ!』と怒鳴られた時は、もう六年生でしたが、お布団に潜って泣きました。



あと今でも印象に残っているのが、
家の前で同級生と遊んでいたわたしは、おもちゃか何かを取りにふたりで家に上がり、引っ込み思案のわたしが珍しくふざけていて、家の電話の受話器を手にとって、ふたりでキャッキャと笑いあい、楽しくて『やめなさい』という母の声を無視して、もう一度同じことをしようとした途端、母に思いっきりビンタをされて吹っ飛び、さっきまで笑いあっていた同級生が、文字通り、飛んで逃げ帰っていく後ろ姿です。サラサラヘアのマッシュルームカットの後ろ姿。
わたしは痛さよりも、逃げ帰る友だちのその姿がとても悲しくて。そして恥ずかしい気持ちになりました。
小学校一年生でした。



そんなだと、普通はわたしに無関心になるかと思うのですが、母の知らないお友達のお家に遊びに行くなどは、心配から反対して行かせてもらえなかったり、男の子も交えたたくさんの人数で公園などで遊ぶ時は、こっそりついてきていて、ずっと見ていたようで、帰ってから男の子とは遊ぶなと怒られたりしました。


でも高学年になっても、お友だちをお家に呼ぶのは歓迎してくれ、よくホットケーキやぜんざいなどを作ってくれて、わたしの友だちは母のファンが多かったです。



なんだか…こう文字にすると酷く感じますが、後の大反乱期に、わたしは全部をぶちまけます。やり返します笑


しかし母は意外な事にそういった記憶がなく、泣きながら謝っていました。


その頃は、記憶がないわけない、何年もの間、暴言を吐き続けて、わたしを傷つけておいて、なんやこのヘンな家!と思っていましたが、
今ならわかります。辛かっただろうと思います。



母は妹を出産する前に流産を繰り返し、体調が悪いまま、妹を産んだと思います。出産後はもちろん、貧血を始めとする栄養不足が顕著だったでしょうし、高圧的な父に気を遣い、ストレスフルな産後だったと思います。


産後、イライラして上の子に当たってしまう。
または鬱っぽくなってしまう。


わたし達が勉強している分子栄養学界隈では、よく聞く、誰にでも起こりうる症状です。今は理解できます。


栄養不足とは本当に恐ろしいもので、本来のその人の姿を消してしまうのです。



母はきっと、わたしを心から可愛がって過ごした7年間の自分のままの記憶しか残せなかったのだと思います。



今更、年老いた母を責めたい気持ちは微塵もありません。
しかし、50歳の今のわたしのマインドと、
この子ども時代の出来事、反乱後に母が豹変してしまったこと、このふたつは、切っても切れない関係にあったのです。



今のわたしの中には、過去のわたしと、未来に夢を馳せているわたし、両方が居ます。
どちらも大切なわたしです。

わたしがnoteに綴る記事は全て、
消したい過去などないというわたしの意思表明なだけです。

読んでくださり、本当にありがとうございます♡






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