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ありのままの自分に点数をつけるとしたら?


『60点の自分が、ありのままの自分』

以前のわたしに、そう言ったら
『は?なにが?60点?いややわそんな点数。
わたしはもっと良い点取りたいし!取れるし!』

そう言ったに違いありません。


毎日を減点方式で生きてきたので、
今日のわたしが"完璧"だったことは当たり前で、
少しでもそうではないと、自分を責める。
『情けない。根性ない。誰々に申し訳ない。
なんなん?全然あかんやん。』

もちろん、ダイエットも然り。


そうして辿り着いた先が、
"原因不明の体調不良"でした。



さて、昨日のわたしはというと…
前日夜、だらだらとスマホを見ていて
寝るのが遅くなったため、
最初から目覚ましはいつもより1時間遅くにセット。
そう、故意に寝坊です。


いつもの朝ごはんに出す、野菜満載のお味噌汁は面倒だったのでやめて、残っていた参鶏湯(買ってきたもの)のスープにネギと干し大根をドサっと入れただけ。
もちろんお弁当もなしです。


暑い夏の日の朝、パートナーはこれから一日中、働きます。
それも責任ある立場で、頭をフル回転させる大変な仕事に出掛けます。
なのにわたしは楽をしています。

『ごめんな〜』
『ええよ〜』


送り出したあと、わたしは昨日受けたセミナーの復習を嬉々と始めます。
こころをときめかせながら、自由に勉強し、友人とメッセージのやりとりをし、夕方前くらいにお昼寝も少ししました。


そして、その夜は、娘がごはんを食べに来ることなったのですが、家族のグループLINEで、
『ママさー、ごはん作りたくない病に罹ってるねん。重症やねん。お味噌汁すら作りたくないねん。』
と言うと娘は、
『え?そうなん?珍しいな!?』と返ってきました。

するとパートナーが、
『今日は早く帰れるからキムチ鍋しよう!帰りに買い物行って、野菜切って用意するから、味つけだけできるか?』と…。


そして本当にふたりに用意してもらいました。
一日働いてきた娘にも、
『ママ動こうと思ったら動けるけど、今日は甘えたいから、これとこれやって。』とも言いました。


1年前のわたしが見たら、ひっくり返るような光景だったと思います。
なぜならわたしは、彼が機嫌を損ねないように振る舞う名人だったからです。
そして、わたしの口から出る言葉が以前と違いすぎて、きっと手に汗握ると思います。笑


これが、昨日のわたしが、
ありのままのわたしなのです。


正確に言うと、まだ今のところは、
自分の気持ちに正直でいる。
お腹にある言葉をそのまま出す。
の練習中であります。笑


では以前のわたしは?
足りない点数を稼ごうと必死でした。
60点持っているはずなのに体感は30点。
そんな自分が恥ずかしくて、隠していました。
みんなは80点も90点も持ってるのに…と。


どれだけ体がしんどくても、したくないことでも、
必死に気を遣い、顔色を伺い、
言いたいことはお腹の中にしまい込み、
本当は行きたくないけど、
彼の会社が大変だから手伝いにいく。
わたしの立場では、こうするのが当たり前。
こうであることがベスト。
それに加えて、
いかに本音がバレないように、うまく良い状態でやりこなすか。

だって当たり前やん?
誰に食べさせてもらってるん?
誰のおかげで娘を育てられたん?


そういう毎日を、100%の力で一生懸命に頑張る。
それがわたしにとって、これ以上の減点を防ぐ方法でもありました。

だからそれが出来ない時はずっと自分を責めるのです。



では、今現在のわたしは、家族から疎まれているのでしょうか。

いいえ違います。

わたしは脚を傷めたことをきっかけに、数ヶ月前から、会社に行かなくてよくなりました。
お家でする仕事はたくさんではないし、自由な時間がとても増えました。加えて、
パートナーが『やりたいことは何でもしい!ホンマに何でもしたらええ!』と言うので、恐る恐るではありますが、
本当にしたいことをして過ごしているのですが、
つい先日、気になっていたことを彼に聞いてみました。

『わたしの体調がどんどん悪くなって、今まで、大変な仕事を手伝わせて、悪いことしたなって思ってるん?なんでも自由に好きなことしろって言うのは、罪滅ぼしの気持ちがあるからやんな?』と。

そしたら、少しびっくりしたような顔をして、
『ちゃうで!そんなんじゃないわ。今まで自分にいっぱい尽くしてくれたけど、あなたは、いっぱい良いものを持ってるから、好きなことをいっぱいして、納得いくまで勉強して、自分を体現させて、行け行け!羽ばたけ!って思ってる。それを自分がさせてあげれてるってことが嬉しくて、これでよかったってホンマに思ってる。もっと早くそうさせてあげればよかったと思うけど、会社にあなたがいないことが不安やったから、なかなかできひんかった。』

そう返ってきて、とても意外でした。
ただただ純粋に応援してくれていたんだと知り、感謝でいっぱいになりました。


彼も苦しみを自身で自覚し、会社を離れる覚悟を決めたことで、本来の自分に還りつつあります。
あんなに顔色を伺っていたのが嘘のように、
今では、わたしの一番の良き理解者です。


自分を奮い立たせて頑張ってきた頃よりも、
今より若く痩せていた頃よりも、
大切にされていることを感じることは多くなり、
そして、わたしも家族を素直に愛することができるようになりました。
そこに計算がなくなったからです。


昨日もそれはたくさんの話をしながら、3人でごはんを食べました。
熱く語り合う、とても良い家族だと思っています。


家族がわたしを愛してくれるのは、
大変な仕事を手伝っているからでも、
家事を完璧にこなすからでも、
たくさんの世話を焼くからでもないのです。


ただ、ここに一緒にいられるだけでよかったのです。
一緒にごはんを食べて、それぞれの思いを共有して、
"ありがとう"と"ごめんなさい"を素直に言うだけでよかったのです。    
 


なのにわたしは、愛を受け取ることはせず、
ひとりよがりに生きてきました。
わたしにできることは限られているから、
それを100点にしないと価値がないと思い込んでいたのです。


だから何十年もの間、理想の自分と実際の自分との乖離に苦しんで、自分で自分を生きづらくさせていたのですね。


わたしは、良い娘でも、良いパートナーでも、良い母親でも、良い人でもなく、
何者でなくても全然いい。
ただ、わたしの中から込み上げてくるものを大切にして、
『わたしの人生ってなんか面白いな🤣』って
思っていたい。
そこに行き着きました。


実際に色々と面白かったのに、楽しめなかったので、これからは面白がろうと思います。笑


でも…これだけは100点目指したい!
これはめっちゃ好きなことやから、これだけは頑張りたいねん!ってことに出逢えたら、
それってすごく幸せなので、スイッチオンにして頑張ると思います。


でも、良くも悪くも、その頑張った末の結果と、
わたしたち自身の価値とは何も関係がないということです。



理想の自分と、現実の自分との乖離に苦しんでいる人は、きっとたくさんいるのではないでしょうか。

わたしたちが既に手にしている掛け替えのない60点を大切にできた時、幸せがカタチとなって見えてくる気がしてなりません。

マイナスの40点を追いかけて苦しいのなら、それはきっと必要ではないからだと思います。


そして、
100点を目指し、自分を奮い立たせ、一生懸命に生きてきてたことで、体調を悪くしたり、何かアクシデントがあったからといって、"不正解"を突きつけられたのではありません。
神さまが『そっちじゃないよ』と教えてくれたのだと思います。

そのギフトをこころから受け取れた時に、自分の中で凝り固まっていたものが解されて、自分を温める柔らかいものに変わっていくのだと思っています。



『わたしは60点も持ってないわ…』と思った方、
いえいえ、全員もれなく生きてるだけで、手にしています。
気づいてあげてくださいね。
きっと首を長くして待っていると思うので☺️

伝えたいことがわかりやすいように、
点数を用いていますが、
実際は点数の問題ではありませんので悪しからず😌

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