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命の賭け
二宮敦人さんの最後の医者シリーズを読んで、改めて死について考えてみた。
死ぬことは万人に共通することで、それはいつでもやってくる。
自分が死に直面した時にどういった判断をするだろう?
人は簡単に死ぬ。
今日、明日、一年後、自分が今もこの世界にいるとは限らない。
死は突然誰の身にも訪れる。
だから考える。
死ぬ可能性の高い病気にかかったら?
治療法がない病気にかかったら?
きっとどうしようもない現実に打ちのめされるだろう。
治す方法がないならきっぱりあきらめられるかもしれない。
でも、確率で生存の可能性がある場合は?
何%の確率で生きることが可能だったらきっと迷う。
どの選択肢を取ればいいのか。
失敗したら死ぬ。それもその選択をしなかったときよりも苦しい死が待っているかもしれない。
いっそのこと誰かに決めてほしい。
それこそ、医者は私たちよりも何倍もの知識があり、経験がある。
任せたくなるのも無理はない。
でも、当事者は自分である。
医者は私たちがどういった選択をし、結果どうなろうとその苦しみを経験することはないのだ。
そう。
結局自分で考えなければいけないのだ。
自分で考えないと、医者のレールに乗せられてしまう。
そこに意志などなく、気づいたらもう取り返しのつかないところまで来ていたなんてこともあるかもしれない。
後悔してももう遅いのだ。
だからこそ、自分で考え見極める必要がある。
どこまでなら賭けられるか。どこまでなら許容できるか。
たとえば…
20%の確率で生存する。
しかし、失敗したら合併症が起こるかもしれない。
その確率は50%である。
さあどうしよう。
これは命を懸けた選択である。失敗はすなはち死の可能性を意味する。
でも決断しなければいけない。
医者の提案ははあくまでも統計的なことに基づいている。確率などはいい例だろう。
しかし、実際はどうなるかわからないのだ。
だからこそ、自分で考えて選択することが必要なのだ。
自分で自分の命を見極め、賭けるのだ。
逃げるのではなく、受け入れて向きあう。
そんなことを改めて考えさせられた小説だった。
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