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「分からない」「教わる」という経験はずっと貴重

何歳になっても、未知のことや次のステップを求めて学び続けるのは大事だなぁ‥と実感した話。

もう何年もボイストレーニングや、療育(言語聴覚士)や、授業(非常勤音楽講師)で「教える人側」をさせていただいてると、

常に相手の立場をイメージしながら、どうやったら伝わるか を意識してあれやこれやと工夫しているつもりでいても、伝わりきらぬ…という事もあり、人によってはそれを「分からん人が悪い」となる人もいる(それはちと残念)

やっぱり教える側の自分が分かってること、出来てること なわけで、しかも

「妙なサービス精神」が働くのか、

「アレもコレも伝えたい」
「コレを伝えるのにアレも言っておいた方が良いかも」
「ちなみにこういうこともできます」
とか、
「あ、それと、こういう場合には…」
みたいにどんどん話が膨らんでしまう事があります。
コレってよく考えたら
「教える側の自己満足だよなぁ」
と反省。

そうならないためにはどうしたら良いか。

教わるのが一番だなと。

というわけで習ってきました。ウクレレ。

一昨日出演した店で、今日はウクレレを習うの図


未知のこと、上手くいないことを教わる。
それで、「分からない」を経験する。

分からない→分かる
出来ない→出来る

を経て
どうしたら自分が出来るようになるのかな
を自己分析する。

教わる側の立場とか認知思考って、やはり想像だけでは限界があるからね。

それに、
分かるようになる、出来るようになる
ヨロコビの鮮度を保つことも大事。

尊敬する音楽家の皆さんがいわゆる「すごい人」(語彙力よ…)になってもなお、色々なところで学び続けるのにはこうした実感をお持ちなのかも。

いや…
純粋に学びに貪欲だから進化し続けているのか。教える側としても。

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