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ラダック⑨ ラマユル編 -vol.2-

ラマユル2日目。

朝はなんだか動物の声で起きてしまう。窓の外を覗くと、羊の小屋や牛の小屋ばかりだし、近くを散歩したらよく分かることだけど、人間よりも家畜の数の方が多いんじゃないかと思ってしまう。

朝ご飯をいただいて、早速念願のゴンパへ。
途中の道々にいい感じのおばあちゃんたちがたむろしていて、手招きをするので近づいて話しかけると、意外とお金目当てだったりして、意表を突かれる。

本堂は登ったところにあるけれど、すぐ隣にゴンパと同じ造りをしたホテルがあるので、非常に紛らわしい。そして、ラマユルの歴史を思わせるチョルテンが入り口付近にある。

ラマユルのチョルテン

ここのゴンパは非常に造りが込み入っていて、本堂の周りだけがゴンパなのかと思いきや、下方の段々の崖のようになっているあたりにも、古い仏像が収容されているみたい。
その全体構成が頭に入らなくて、一度行った所に戻りたくても戻れなかった。もともと方向音痴だからっていうのもあるけど。

チョルテンを見て、さて本堂に行こうとしたときに、中堅どころのラマさんから手招きを受ける。
女ひとりだったからか、日本人だったからか分からないけど、ラマのお部屋に招待される。
お部屋に入ると、ピンク色の超でかいキャンドルが所狭しと並べられており、異様な世界。
これは、修行の一環らしくて毎日キャンドルを少しずつ作っているんだそう。
この方は35歳。わたしと同じ歳。妙に親近感を覚える。

ラマユルにはたくさんの小坊主たちが修行に来ているけれど、この人も幼い頃からここに来たらしい。
ラマもいろんなところに転勤させられるようで、この近くのワンラというところのゴンパにも数年いたようだった。ワンラまでは、1日で行けるトレッキングコースがある。ちょっと気になっていたので、行き方とかどんな感じかをいろいろ聞いてみた。朝から出れば、余裕で夕方前には帰って来れるらしい。
長くかかっても、片道3時間。ほうほう、それなら行けそう...。
もうひとりのラマが彼の部屋に入ってきて、ベッドに横たわる。携帯を見ながら何か操作をしていた。
ラマってもっと崇高な感じがしていたけど、こうやって見ていると想像以上に普通の兄ちゃんだ。

この人たちは、女性との性的な関係を持ってはならない戒律になっている。つまり、死ぬまでそういうことはなしってことだ。もちろん、奥さんも持ってはならない。
そのせいか、なんとなく話をしていると、その話し方、表情から不自然さを感じる。そういう欲がないとも言えないような、やっぱりどこかでそれを求めているんだろうか、、しかし、絶対に一線はこえないんだろう...的な。微妙なところをさまよってる感じ。

中堅ラマはどうやら子どもたちの教育係のようだ。
お部屋に後で入ってきた30歳ラマは、本堂を仕切っている。

あとで、この後からお部屋に入ってきた30歳のラマに、『女の子のことを好きになったことはないの?』と聞いてみたけど、はぐらかされてしまった。『結婚できないっていうことに抵抗はない?』という質問にも苦笑いだった。でも、彼は『今度生まれ変わったら、日本のお坊さんがいいな』と言っていた。それがどういう意味かは分からないけれど、“性欲を捨てる”ということは、人間の自然な感情を無理矢理抑えているということだろうし、どこかに歪みが出るような、そんな気がした。

本堂で30歳ラマにいろいろ案内をしてもらって、帰るときに、『今日16時からセレモニーがあるから、おいでよ』と言われた。それに行く約束をして、一旦本堂を出る。

本堂の中

宿でご飯を食べた後、小坊主たちの学び舎あたりをウロウロしてみると、休み時間に坊主たちがわんさか集まってくる。わたしの8mmが相当珍しかったようで、僕にも撮らせて~!と8mmを奪われた。

フィルムはまわさないで、、💦


やんちゃな小坊主たち

おまけに小さいデジカメも取られた。みんなが好き放題撮りまくるのをわたしもなんだか怒り切れずに見逃してしまう。普段、親にも会えずにがんばっているんだもんね..と少しばかり母性が働いたよう。

ここにも、社会があるようで小さい4歳位の坊主が、みんなの中から外れて泣いていた。
いじめられたのか、ホームシックなのかは分からないけど、めそめそしている。
話しかけてみると、ネコのように教室の中に走り込んでいってしまった。

その後、ラマユルの全体像を見たくて、上の方に登ってみた。
確かに、切り立った岩山に囲まれて存分に荒涼とした感じはあるのだけど、月面というのはちょっとオーバーだな..なんて思った。しかし、ゴンパの存在感は目を見張るものがあって、歴史の長さや孤立した村にポツンとそびえている姿は、仏道の厳しさを例えているようにも思えた。

荒涼な景色のなかに凛とそびえるゴンパ

16時のセレモニーに行ったら、本堂の奥の小さいお部屋に誘導される。
わたしの他にも5人ぐらいの観光客がいた。
セレモニーとは、お行のことだった。30歳のラマは皆が落ち着くと、低く深い声と共にシンバルや鈴、鐘などを巧みに使って、1時間近く行を行った。
彼のこれまでの様子とは一変し、その行の深い時間は彼の修行の深さも感じることができた。
あの場所に居た全員が、深くて神秘的なチベット仏教の世界観を感じることができたのではないかと思う。あまりにも、彼の変身ぶりに驚いたわたしは、行を終わった彼に『すごいね』と声を掛けたけれど、彼はまたいつもの普通の兄ちゃんに戻って、はにかんだ表情をしていた。

その後、わたしがすごく古い仏像が好きだと知ると、30歳ラマがすごく古い仏像があるからと、ちょっと下にあるセンゲガンという小さくて古いお堂に連れて行ってくれる。
そこは、ラマユルにある仏像のなかでも、随一の古い仏像を配している。仏さまのお顔、雰囲気はそれはそれはすばらしく、その上、そこの空間が持つ気がすばらしくて、ラダックで最も感動した堂となった。チベット仏教のゴンパに行くと、壁画で青い仏を見かけることが多い。これはずっと煩悩を示した如来のダークサイドだと思っていたけれど、その後どこかで読んだ本でプラスの意味を持つものだと知った。もっとチベット仏教を勉強して、再度ゴンパ巡りをしたいものです。

毎朝の3時から朝のお行を3時間するんだそうで、ぜひとも再度あの時間を味わいたかったわたしは、朝起きれたら行く約束をした。宿に戻ってこの話をしたら、オーストリア人の2人も行きたいということになって、一緒に3時に待ち合わせしてたんだけど、2人はやはり無理だ...ということになり、わたしひとりで向かうことにした。玄関を出たら、犬のけたたましい鳴き声が...犬にだけは噛まれてはいけません...この周りには病院もないし。ということで朝のお行はあきらめたのでした。(泣)

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