【読書感想文】「おいしいごはんが食べられますように」(高瀬隼子 著)
ふんわり優しそうな題名に惹かれて読み始めましたが、見事に裏切られました!
物語は職場が同じ3人のやり取りを中心に進んでいきます。
その中で描かれている職場でのちょっとした悪意や矛盾、同調圧力のようなものは、自分が働いている中でも味わったことのある感覚。
単純に「わかるなあ。あるある!」と思う反面
読み進める中で、何かもっと怖くてゾワゾワしたものも感じました。
このゾワゾワした気持ち、なんか昔にも味わったことあるぞと思い返してみると、それは中学時代の出来事。
キーンコーンカーンコーン。さあお昼休み。
友達とお弁当を食べようと思ったら、なんとお弁当箱のフタが開かない!
(中身が冷めないうちにフタを閉めるとこうなります)
渾身の力を振り絞っても開かず。
見かねた友達数人が、分けてあげるよと言ってくれました。
遠慮しないで。食べて食べて。という友達。
いいなあ。俺もから揚げほしいと騒ぐ男子。
でも当時の私は、母以外の人が作ったお弁当がどうしても食べられなかった。
食べられないからいらない。
今だったら言えるけれど、当時は中学生。友達に嫌な思いさせたくないし、嫌われたくないし…。
その時の友達の笑顔。クラスの雰囲気。顔は笑っていても内心かなり焦る私。今思い出しても胃のあたりがキュッとなります。
人の善意や常識が、時として凶器になるなあ思った瞬間でした。
一見当たり前になっていること。良かれと思ってやっていること。善意や笑顔。それは確かに素晴らしいものなのかもしれないけれど
誰かを傷つけたり、イライラさせることは多々ある。
そしてそういうイライラは、当たるところがないからたちが悪い。
読後、「おいしいごはんが食べられますように」という題名が
単純に優しくかわいい題名には見えてこなくなるから不思議です。
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