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倭人は何処から来たのか?

日本人の祖先は大陸からの渡来人と言われています

日本列島の周辺には、朝鮮半島と中国があります
日本に弥生式集落が急増した弥生時期後期と言われる1〜2世紀ごろに大陸の動静を考慮しましょう

その時代の朝鮮半島南部には、馬韓・弁韓・辰韓(南韓三国・加羅三国)がありました。
後の百済、新羅、そして日本に縁の深い任那です

この3国は仲良かったのか悪かったのか、互いに侵略したり助け合ったりしましたが、融和することない異部族だった様です

この三国の北側は、中国の時の政府が管理する楽浪郡と呼ばれていました

その楽浪郡北東部に明らかな異国である高句麗が興り、楽浪郡を押さえて南韓へ侵略してきました

その圧力に押し出される様に任那は日本列島に住処を求め、百済新羅は抵抗しつつも制圧されました

ですので、今の朝鮮半島は高句麗人(高麗)が主になっています

さて、それでは南韓三国は何処から流れ来たか?

新羅百済はわかりませんが、倭人の祖はモンゴルの文化を多く受けている様です

例えば、スサノオの幼名はフツ、大国主はミグクル、饒速日はフル、フルの子はウマシマジなと、モンゴルの名前を有していたのです

だから、日本の元は中国でも朝鮮でもなく、モンゴル地方、もしくはモンゴル地方を経由し移動した民族であると言えます

モンゴルはその時代匈奴と言われ、時の中国政府が万里の長城を築くなど、強い騎馬民族として恐れられていました

ただ、稲作文化や船の技術、刀剣・土器の製造技術など考えると、単純に匈奴土着の民族が移動してきたとは思えません

おぼろげに解るのは、ヤマトが任那を侵略統治したのではなく、任那の民族がこぞって日本に渡り、海峡を挟んで存在していたとしか考えられません

良く朝鮮ルートと東南アジアルートがあると言われてますが、東南アジアルートは既に球磨族の管理下であって、球磨族と戦った事実から、南ルートは存在しないでしょう

朝鮮半島から上陸しやすいところは、九州北部から山陰地方でした

倭人は主に西暦200年前後に南韓から大量に移動した任那人であったと言えます

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