写真の奥にある本当の景色の先にある想いの光は儚くも美しい
久しぶりに同志と言えばいいのだろうか。
自分とよく似た匂いの人がいると、不思議と会ったばかりでも自分の言葉にしなかった本音が出るのか、人にあまり話さないことを話していたりする。
これは人との関わりではなく、本能として感じるのかもしれない。
私は行動するくせに、挑戦をする前は不安に陥って誰かに話を聞いてもらわないとダメになる。
相手には申し訳ないなーと思うのだけれど、自分の中でいろんなものに限界がきてることが多い。
そんなとき、その人に言葉を言ってもらえたから、いや、過去にも同じことを言ってもらえたことを、夢の中でもう1人の私に言われた。
”どうしてそんなにみんな大丈夫?って私に声をかけるの?”
”海外では普通に聞くことが多い、だけどさ、少なくとも私は距離なんて関係ない、思っていることをいつでも打ち明けていいんだからね。いつでも味方なんだから。
何か自分に落とし込めたのか、心の落ち着いた朝を迎えられた。
(ちょっと話を逸らすと、心は落ち着いてたけど出勤して欲しいという朝からイングリッシュモーニングコールで起きました。笑)
ニュージーランドに来る前に原点回帰を今はしている。
自然になれたと思ってきていたけれど、自分の見たかった、みんなに見せたい景色を、その背景をまだ見れていないから。
結局のところ、
その景色は届けたいのだけれど、写真で、映像で届けてもその感動は美しさの裏側にあって、言葉では表せない感動がある。
と私は思っている。
やりたいことと言っていることが矛盾しているような気がするのだけれど、景色は綺麗と思う。けど、それを撮った人も、それを見るために頑張った人もそれまでの思いがあったからこそ収められた景色がある。
感動を共に、とまではいかなくても第3者の共感というものを共感させてもらうというのが、私にとってのギブ&テイクかもしれない。
いずれは日本に帰るのだけれど、やっぱり日本に帰る前にテアラロアをやり遂げて帰ろうと思う。
こんな簡単に言っていいことではないので、誓いを込めてここに残そうと思う。
3000kmという距離をやり遂げた感動とその景色はやっぱりどんな形で見ようとしても、やり遂げた人にしかわからない。
せっかくならやってみなよ。
しんどいのは承知で、辛さはすごくあると思う。けど、それを乗り越えてくれる自然の景色や、それに応えようをする私自身の変化を知りたいから。
面白くも不思議なのが、できるかな?と笑いながらもできないと思うことはなかった。
むしろやればできると思ったし、バカだなーと思う自分もいた。
ただ、挑戦に限界はないといえども体の限界というのは難しい。
今しかできないことにどれだけ気づけて、どれくらいできるのかを取捨選択する。
私は生きる上で与えられた試練の1つだと思っている。
先ほどの映像や写真の話に少し戻ると、これから先はVRも発展して本当に実在するかのように、行かなくても感じれることは多くなると思う。
でも言ってしまえばそれも作られた世界。
やっぱり自分が目で見た景色しか信用できないからこそ自分の目で見たい。
世界一周を今でも少ししたいなーと思う理由の1つ。
そして心の中で深く刺さったのが、自然の問題がたくさん挙げられている中で、1度人間が手を加えると元には戻れなくなるということ。
もちろん、毎日自然は変化していて同じ景色は一生のこの0.00000...1秒しか見れない。(と私は思っている)
人工とそうでないものは全然違うのは1度ニュージーランドに来て見た景色の中で感じるものはある。
もちろん、安全を考えて仕方がなく手を加えているものもあるのかもしれないけれど、いつまで本当の自然の姿を見て感じられるかはわからない。
じゃあ、このテアラロアを5ヶ月かけてまでしたいことは何なのか。
多分、挑戦するときに多くの人が私に聞くと思うし、今の年齢だからこそ批判の意見も多く来るのだろうなと思ったり。
やってみなきゃわからないし、やってから感じたことを続けていきたいと今は感じている。
でも少なくとも、今この文章を書きながらワクワクはしている。
ニュージーランドに確定で残るかは1月に決めて、残らないと決めれば早くて来年の夏から、残ると決めた場合はワークビザが終わった後にビジタービザに切り替えて行こう。
そんな簡単に決めちゃっていいのか。
うん、いいの。私がワクワクする方へ。2次元の景色から3次元の景色へ飛び込みに行く。これも何かしらの縁があったからこそだし、次の大きな目標にすることで、また一段の人生の未来に希望が見えるよ。
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