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親の質問が子どもの言語化力を育む

こんにちは。Kid.iAです。

先日、長男(6歳)の唯一の習い事であるスイミングスクールへいつものように車で送り迎えをしていました。

もう通い続けて一年近く経つと思うのですが最近になって

「スイミング、やめたい」

と呟くように。

基本「別にやめたいんなら、やめていいよ。」というスタンスなのですが、一応理由を聴くんですね。「なんでなの?」と。

ただ返ってくる言葉はいつもあいまいで、どこかはっきりしていません。

切羽詰まっているわけでもなく、また常に言ってくるわけでもないので今はそっとしながらスクールに通っている状況です。

とはいえずっとほったらかすのもあまりよくないかなとか思ったり。

毎回情報を軸とした問いを立て考えたことを書いている本note「Toi Box」ですが、今回は「スイミング、やめたい」発言から始まりその理由を長男と一緒に考える過程の中でまとめたことについて、「親の質問と子どもの言語化力」みたいなことをテーマに以下の構成で書いていけたらと思います。

1. 現状認識と観察

そもそもなぜやめたいと思うようになったのか。

「合わない友達がいるのかな?」
「泳ぐのが難しいから?」
「コーチが厳しい?」
etc.

プールで泳いでいる様子を見学したりすればもう少し細かな推測もできるのですが、もう通い始めた最初の段階から今に至るまで昨今の感染防止対策の影響で保護者によるプールでの見学が禁止されている状況があります。

ヒトの状況認識の過程というものは「観察」から始まるとも言われますが、そうした制限があるとスクール中の子どもの様子(状態)を親が見て取ることはできません。

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百聞は一見に如かずとはいかない状況、つまり何があったのかは本人の口から聴かないといけない状況なわけです。

2. 子どもの想いをひきだす質問

長男本人の口から話すためには自分の想いや考えたこと、目の前で起こった出来事を自分なりに認識した上で説明する力が必要になります。

その力というのが「言語化力」と言われているものです。

ただ冒頭にも書いたのですが、子どもから返ってくる言葉はあいまいなものが多く完全に言語化できているとは言えない現状です。

そうしたときに重要になってくるのが聴く側の「質問」となるわけです。

質問はなんでもいいんですが、例えば「今、どんな状態(気持ち)なの?」っていう聴き方があると思います。その質問に対して子ども自身の言葉で答えてもらうということです。

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子どもの習い事っていうことでみれば、子どもの状態は大体上図の4つに分類できるのではないでしょうか。

たのしい:習っていることの難易度と自分のスキルが合っている状態
つらい :難易度が自分のスキルより高い状態
たいくつ:難易度が自分のスキルより低い状態
ふつう :ただただ「こなしている」感じ

「スイミング、やめたい」と言ってきたときの私の予想として、クラスが上がるにつれて泳法の難易度も上がってきたことが影響し、長男は「つらい」状態だったのかなということです。

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その答えはゆくゆくわかっていくことになるのですが、ここからは私と長男の実際のやり取りを簡単に書いてみます。

(ある日のスイミングスクールが終わって)

父:今日は楽しかった?

子:んー。

父:できなかったことは?できたことは?

子:1つできて、1つはできなかった。
 
父:1つできたんや、すごいやん。

子:あ、ちがう。2つできて、1つできひんかってん。

みたいな感じでした。

「おー、ちゃんと『できていること』と『できていないこと』を自分なりに整理できてるやん」と感心しました。

これができているということは彼なりにしっかりコーチの教えに耳を傾けている証拠です。

現在の長男のクラスで取り組んでいる泳法はクロールです。

ここで親なりにサポートできればと、素人ながらクロールのポイントを大きく4つに分けた上で、

「今言ってたできなかったこと1つって、この4つのポイントの中にある?」

と何がうまくいってないのか質問をしました。

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すると、

「息継ぎがうまくできひん。」

という回答が。

さらに息継ぎのどういったところができてないの?と質問をかさねてみると、

「息継ぎのときに、身体が沈んでしまうねん。」

という風に教えてくれました。

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上手く泳げるように少しでも練習しようと今まで家のベッドの上でクロールの練習をしていたりもしたのですが、「沈んでしまうこと」が課題なのであれば「沈まないベッド」でいくら練習しても効果ないなとここで気づきました笑。

誰でもぶち当たる壁のようなものだと思いますが、やっぱり何事も上手くこなせるようにならなければ「たのしい!」とはならないですよね。

「スイミング、やめたい」と言ってきた背景がこの時点で大体わかった気がしました。

3. いたるところで役立つ言語化力

こうした質問や言語化力が必要になる場面ですが、私が書いてきたようなコロナ禍で見学が制限された習い事の例に限らないと思います。

例えば、日々の小学校での出来事など「親の目の届かない状況全て」にあてはまるのではないでしょうか。

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親が様子を気にかけ対話と振り返りを意識して、質問をすることで子どもの「言語化」をサポートしてあげる。すごく大切で両者にとって意義のあることだと思います。

言語化力というものは子どもが成長して働くようになってからもきっと役に立つ力です。

「今、何をやっているのか?」
「課題は何か?」

こうしたことに対する言語化の必要性って日々の仕事をする上で頻繁にでてきませんか?

また課題克服に限らず、子どもの目標・夢といったことの実現可能性を上げてくれるかもしれません。

なんか良いことづくしな感じがします。

まとめ

私の経験として今回書いた習い事の文脈でいえば、親としてはコロナ禍で折角楽しみのひとつにもなったであろう見学ができないということはネガティブなことなのかもしれません。

しかし、それを子どもの言語化力を育むチャンスと捉えることができるのであればすごくポジティブなことになるわけです。

これからも習い事に限らず、子どもの日々のできごとに対して興味を持ち質問をつづけていけたらと思います。

一方で気をつけたいのが、


なんでもかんでも聴きすぎない


ということ。

いくら言語化が子どもにとって有益だとしても質問攻めにしてしまうと子どもがかえってつらくなる場合も少なくないでしょう。

子どもと親との距離間みたいなところに気をつけながら、見守って支えてあげればいいのではと思います。

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(大好きな絵本作家の五味太郎さんの著作より)

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今後の創作の活力になります。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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