映画「セッション」から感じる狂気の師弟関係
映画「セッション」を見た。すごい映画だ。
何がすごいって、J・K・シモンズ演じるフレッチャーという鬼教官。
私は、蜷川さんの舞台演出風景を見た事がないが、よく、灰皿が飛んでくるというくらい激しい指導があったと聞くが、多分、この鬼教官みたいな感じだったのでは?
蜷川さんは、かなりのスパルタではあったけど、尊敬され、罵倒されてもいいから蜷川さんの舞台に出たい!と多くの一流の役者の人たちから切望されていたと聞く。
しかし、この鬼教官は、主人公マイルズ・テラー演じるニーマンを罵倒するどころの騒ぎじゃない。精神的にも追い詰めて、なおかつ、自分の意にそわないと音楽家としての彼の将来を抹殺しようとまでする。
指導という名のパワハラ、恫喝、暴力。
彼の狂気は、自分の指導を認めさせたいという激しい承認欲求と自己愛なのか。そこに教え子に対しての愛情は微塵も感じられない。
でも、なのである。
彼の音楽に対する美意識は半端じゃない。
一瞬にして聞き分ける音のずれ、リズムの微妙な間合い、すべてが完璧なものでなければ許せない激しいまでのこだわりを持っているのだ。
はっきり言って、人としてはこういう指導者とは関わり合いたくない。関わりたくないけど、これだけの美意識を持って罵倒してまで「ここが違う」と言ってくれる人と出会えるか、出会えないかで人生変わることもある。
彼が言った一言。
「俺は、グッジョブ!(Good Job!)という言葉が一番嫌いなんだ!」
そうなのだ。それほど良くもないのにちょっと出来たくらいで褒められて、それで出来た気になるとしたら、一流にはなれないのだ。
普通の人は、自分に甘い。私もその一人。
ほめられて伸びるんです。そう、確かにほめられることは嬉しいし、もっと頑張ろうという気持ちになる。
でも、それだけじゃ超えられない壁があるのだ。
怒鳴り散らされても、殺したいくらい憎らしくても、中途半端なことで、「良かったよ」って言われるくらいなら、「お前はそこが出来ないから、ただの凡人なんだよ!」って、言ってくれる人と出会えるかどうか。
実は、その出会いに気づくかどうかが、人生を変えるのだ。
多分誰しもが出会っていると思う。絶対に自分の美意識を譲らない人、めんどくさい人、なんでそんなところにこだわるんだよと思う人。
そんな人は遠ざけたいけど、そのこだわりを持った人、厳しい言葉を容赦無く浴びせ続ける人が自分を変えてくれることもあるのだ。
主人公のニーマンは、ラスト9分で自分の運命を変えた。
最後は自分の力を信じて、まわりからの評価も恐れずにぶつかっていったのだ。
その捨て身の強さは、潔かった。
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