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黙々と心が熱くなる

年末に見つけてぼちぼちと読み進めていた本をやっと読み終えた。
柳澤健『2016年の週刊文春

1月の終わりに東野幸治が自身のYouTube「幻ラジオ」でも1回分を使って絶賛している作品(https://youtu.be/7x_Kmhcq4WI)。花田紀凱と新谷学という名編集長を軸に週刊文春の歴史を描くノンフィクション。

週刊文春といえばASKAさんを敬愛する自分にとっては複雑な感情を抱かざるを得ない対象。今でも「シャブ&飛鳥の衝撃」という見出しを忘れる事はできない。もちろん作中でもこのスクープ記事についても描かれているが、莫大な数のスクープを世に出してきた週刊文春にとっては飽くまでも1ページにしか過ぎない。

読んでいるとまるで昭和・平成・令和の社会の裏面史そのものである。裏面史のさらに“裏”が描かれているのである。覗き見趣味がどうしても疼いてしまうのではないか。しかしそこで描かれている編集部の“裏面”は会社でどのように生きるのかという誰しもが抱いている葛藤とそれに面と向き合って対峙してきた男たちの物語そのものだ。

例えば人事異動。文藝春秋という会社の社風はあるのだろうが、上司次第で編集部の雰囲気が変わりそれが雑誌のクオリティにも関わっていることや、時代の変化の中で(例えば紙媒体からデジタルへみたいなこと)新部署を立ち上げようという心意気に対して理解を得られず葛藤する姿やそれを後押しする上役など・・・。

ああ、自分が体験したことに似ているなぁというため息。。もちろん芸能人の取材や殺人者を追うなどという経験は流石にないが(借金取りの仕事ややったことがある)、そんな社会を大きく揺るがす仕事の裏では上司の器であったり組織をどのように成長させるかの頭が硬い人や信念が強い人の戦いがあったりと、これは自分も通ってきた的な共感度大のテーマが一貫して貫かれている。

そこにあるのは上司の器の大きさ。花田紀凱や新谷学など個性的な人物が多く出てくるが上司の器で動き回る記者の熱量が大きく変わっている。伸び伸び個性を引き出すとか、細かく制限をかけないとか、そしていつも明るくいるとか、自分も意識をして振る舞ってきたり出来なかったりしたことが彼らの生き様を通じて描かれている。

話は脱線するが、自分が最も胸が熱くなった映画のシーンの一つに『踊る大捜査線〜レインボーブリッジを封鎖せよ』クライマックスシーンがある。
抑圧的な指揮官の下で犯人の追跡が行き詰まる中、颯爽と現れた室井管理官の、

「この地域の実態を教えてくれ。捜査員に関わらず、役職や階級も忘れてくれ」
「被疑者を見つけ次第確保だ。本部の命令を待たなくてもいい」
「全捜査員、聞こえるか。自分の判断で動いてくれ。本部への連絡は厳守。現場の君たちを信じる」

これらのセリフに興奮し胸が熱くなったことを思い出した。きっと自分が部下の立場で聞いていたのだろう。こんなセリフ言われたら痺れるなぁ的なことだったのだと思う。

今となっては上司側の立場も経験した身としてこれはこれで強烈なセリフだ。あまりにリスクが高い。どこまで部下を信じていいのか、それは怖いことである。信じられないわけはないがどこまで任せればいいかというのは上司であれば誰もが迷う仕事だ。

自分はまだその匙加減がわかっていない。実際仕事を完全に任せて首をかき切られたこともあるし。任せな過ぎて自分自身がオーバーヒートしたこともある。これはこれからも迷い続けることになる大きなテーマである。

だからこそ週刊文春という社会の裏側を抉り続けている舞台でのあまりに自己投影をしてしまう舞台裏に熱くなってしまった。そもそも何が正解なんてことは存在しないということがやっと分かりかけてきた40歳。作中でも迷いながらがむしゃらに生きている記者や編集者がひたすらに描かれている。自分もずっとそうなのであろうからあんまりクヨクヨ悩まなくていい。

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