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コスパが悪いは悪なのか


最近日本のニュースやSNSなどをみていると、以前にもまして「コスパ」を求める人が増えているように思う。

確かに、コスパは大切だ。お金だけではなくて、時間やエネルギー、人やものなどのコストをかけたからには、それに見合うパフォーマンスを得ることを目指すのはうなずける。

でも、何もかも「コスパ」を基準に判断し行動すると、何かを間違えるように思う。

そもそもコストをかけた見返りとして求める「パフォーマンス」とは何なのか。

お金をかけたからには、その分それ以上のお金が見返りとして戻って来ればいいのか。時間は、人は、どうなのか?

使ったコストと同じ質と量のパフォーマンスが得られれば、コスパがいいというのか。

例えば、中学高校留学にお金をかけたら、卒業後に、留学に行かなかったらおそらく就けなかっただろう仕事について、その分を留学した期間以内に得られたら、コスパがいいのか。

スマホを買ったらそのコスパはどう測るのか?

そして最近は、「この人と付き合うとコスパがいい」と言い出す人もいるらしい。人と過ごす時間はコストだと言える場面もあるかもしれないけれど、それに対するパフォーマンスをどう測るのか。そして人と過ごす時間にいつも誰に対してもコスパを求めるのはどうなのか。

留学で得られるものは、パフォーマンスとしては測れないものもたくさんあるだろう。スマホを使うことで感じ方や考え方も変わるだろうし、勉強や仕事にもいろんな場面で使えるだろう。人と過ごす時間は、人生の中でも貴重で思い出に残ることもたくさんあるだろう。

そんな「パフォーマンス」では測れない何かが、生活の中に、人生の中にはたくさんある。

それをなんと呼ぶのかは人それぞれだろうけれど、いつもいつもコストに見合うパフォーマンスを求め過ぎてしまうと、その「何か」に永遠に出会うことができないように思う。


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