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艱難汝を玉にすはほんとうか

「艱難汝を玉にす(かんなんなんじをたまにす)」という言葉がある。玉を「ぎょく」と読む場合もあるようだけれど、「たま」が正しいらしい。

人間は苦労や困難を乗り越えることによって立派な人物になるという意味だ。「若い時の苦労は買ってでもせよ」と似ている。

昔のスポコンアニメなどは、この言葉そのままのストーリーが多かった。若いスポーツ選手が苦労して苦労して一流選手になる。その成長の過程を描くドラマだ。

アニメに限らず、映画や小説、そして実生活でも、艱難汝を玉にすをベースにしたストーリーは多くて、人々はそれに感動する。

確かに、困難に出会って苦しみ悩むことで人は成長する。そんな人はとても魅力がある。

でも、あらゆるすべての困難や苦しみ、悩みが、すべての人を成長させるとは限らない。それらよって、成長するどころか、委縮して、周りに背を向け、いやな人になってしまうこともきっとあるだろう。

若い時の苦労は買ってでもせよ、という言葉からもわかるけれど、艱難汝を玉にすも、だいたい若い人に向けられる言葉だ。そして多くの場合、年上の人が年下の人に向かって、このような言葉をかける。

でももし、すべての困難や苦しみ、悩みが、すべての人を成長させるとは限らないのであれば、このような言葉を簡単に使うわけにはいかない。年上の人が若い人を励ますために使った言葉で、逆に若い人がつぶれてしまうこともあるかもしれない。

困難に出会っている若い人にむかって、どんな時もどんな状況でも、「艱難汝を玉にす、という言葉があるように、今の困難や苦しみもきっと君を成長させるだろう」などというのは、少しいい加減だろう。

もしだれかの成長を望むなら、その困難や苦労は、その苦しみや悩みは、ほんとうにその人を成長させるのだろうかとまずは考える必要があるだろう。そして、どのように対処すれば、その困難や苦しみがその人を成長させるのかまで考えて、言葉をかけるのがいい。

艱難汝を玉にす、の物語はたくさんある。でももしかすると、サクセスストーリーにだけ光があたって、そうでない物語は忘れ去られているのかもしれない。

それがサクセスストーリーになるためには、その人だけではなく、周りの人が、どうかかわるのかも大切なのだと思う。


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