弟がアイルランドに旅立った
妖精の国
アイルランドと聞いて、具体的にどんな国かイメージできる人はどのくらいいるだろうか。
「イギリスの横?」って思ったそこのあなた、僕と一緒です。友達になろう。
「首都はダブリン」「ラグビーが強い」ということを知っている人は十分アイルランドについて詳しい方だと言えるだろう。
「アイリッシュパブがある」「自然豊か」「国旗は緑白橙のトリコロール」とか答えられる人はアイルランド人である。
ケルト文化が深く根付き、音楽と酒と妖精を愛する国、アイルランド。我が弟の留学先である。
厳密に言うと兄弟ではない
弟は僕の3つ下であり、幼い頃から僕達は何をするにも一緒だった。そう書くと、後ろから「にーちゃんにーちゃん」言いながら追っかけてくる小さな男の子を想像するかもしれないが、僕は弟から兄ちゃんと呼ばれたことは一度もないし、弟の方が僕より1cmデカい。
弟は僕のことをむっちゃんと呼ぶ。祖母からは兄ちゃんと呼びなさいと矯正されかけたことがあったが、幼い弟はそれを明確に拒否した。一方、口には出さなかったが、僕もそう呼ばれるのは嫌だった。
弟が兄を兄ちゃんと呼んだが最後、二人の関係は“兄弟”になり、それまでのものとは変わってしまう。物心ついた時から隣どうしにいた僕達はそれを嫌がったのかもしれない。
だから、僕達は厳密に言えば兄弟ではない。
それを聞いた弟は言う。
「いや、厳密に言えば言うほど兄弟なんだよ、むっちゃん。」
アイルランド留学
初めて弟が留学に行くと言ったのは、今年の初めの頃だったと思う。
というのも、去年の末に内定がもらえ、海外出張があるということを知り、では留学経験があった方がいいということで、言ってしまえば行き当たりばったり的に決まったのだ。
僕はよく知らないが、留学というのは行きたいですと言ってすぐに行けるものではないらしい。また、円安の影響で留学費用も笑えない程の高騰を見せており、留学先の選択肢はそれほど多くなかった。
まず、英語圏の中でもアメリカやイギリス、カナダなどのメジャーな国は費用が高いらしい。オーソドックスな英語を勉強できるというメリットはあるが、残念ながら選択肢には入らなかった。一方、オーストラリアやアイルランドなどは、訛りが強いものの費用は安く済むとのことだった。
また、期間については、入社前にしておきたい他の勉強、引っ越しの準備、そして費用のことも考え、夏休みの1ヶ月半ということになった。
長期留学を経験した人にとっては、1ヶ月半は旅行と変わらないかもしれない。
しかし、料理はだし巻き玉子しか作れず、洗濯機を回したことがなく、コーヒーを飲むと必ずお腹を壊すうちの弟が、1ヶ月半もの間、日本と8時間も時差のある島国に留学に行くと言い出したのだから、我が家は心配したり応援したり茶化したり心配したりと大騒ぎだった。
我が家で海外に行ったことがあるのは弟だけで、その弟も、高校の修学旅行で台湾に行ったことがあるだけだ。かく言う僕も、アメリカ語はハロー・センキュー・ファッキューしか知らない。つまり、我々家族に分かることは何一つとしてなかった。
あわあわしている我々を他所に、弟は半年かけて着々と留学の準備を整えていった。スーツケースとかパスポートとかユーロとか変圧器とかみそ汁の素とかパンツとか、とにかく色々なものを準備していた。
「学校と寮の近くにバスケットコートがある。」
弟がGoogleマップでダブリンの地図を見ながら言った。
「ニューヨークみたいにガチガチのストリートバスケしてんちゃう?」
フェンスの中でタンクトップや上裸のマッチョたちがバチバチのゲームを繰り広げている光景を想像した。ジャパンの部活動バスケしかしてこなかった僕達にとって、そこはちょっぴり危ないところのように思われた。
しかし、ここは妖精の国アイルランドである。本場アメリカほどストイックではないかもしれない。僕達は興味本位でそのコートを調べてみた。すると、恰幅の良いアイリッシュパパがTシャツと短パンでポンプフェイクをかけている写真や、「よく子どもと遊びに来るけど良いところやで」というような口コミが見つかり、僕達はここを安全なコートであると判断した。
翌日、弟は出発前最後の散髪を終えた帰りにゴム製のバスケットボールを買ってきた。僕はスーツケースに入るようボールの空気を限界まで抜いてお椀のようにしてやった。
「むっちゃん、俺わくわくしてきたよ。」
めちゃくちゃバスケ上手くなって帰ってくるんじゃないか。語学留学としてはどうなんだという気もしたが、正直無事に帰ってきてくれればそれでよかったので、捻挫するなよとだけ言っておいた。
フライト
弟が旅立つ日、家族で空港まで見送りに行くことになった。
フライトが9時50分と聞いて油断していた。国際線に乗る場合、保安検査などを受けるため、3時間前にはチェックインしていなければならないらしい。チェックインしてしまうともう出られないので、見送るには僕達も3時間前に行かなければならない。6時50分に空港に着くには5時に家を出なければならず、そうなると起きるのは4時だ。
司法試験が終わってからすっかり昼夜が逆転してしまった。基本3時寝の僕が急に思い立って10時に寝付けるほど人間の体は単純にできていないらしい。この日も3時まで寝付けずにゴロゴロしていたので、結局1時間しか眠れなかった。
リビングに行くと、父と母はもう起きてきていた。祖母はそもそも寝ていなかった。おばあちゃん大丈夫かと思われるかもしれないが、元々そういう生活サイクルなのだ。
曇っていたからか、外はまだ暗かった。祖母が夜なべして作ってくれたサンドイッチを食べていると、弟と妹様が順に降りてきた。
家族でサンドイッチを黙々と食べていると、弟が苦笑いしながら言った。
「みんな、クソ眠いだろうにこんな時間にありがとう。」
まあ、単に旅行なら、たしかに僕も起きて来ないと思う。しかし、なんせ1ヶ月半もアイルランドに行って帰ってこないのだから、起きないわけにはいかない。別に帰ってこられないと思っているわけではないが、それだけ長い間弟と会わなかったことなど、今までの人生で一度も無いのだ。
5時、家族で車に乗り込む。見送りのために盆休みを1日早まらせた父が運転をする。
晴れてきた空に太陽が昇っていく。お昼にはまた暑くなるらしい。
アイルランドの緯度は北海道よりも高く、8月でも平均15℃くらいだという。羨ましくて仕方がない。外国と比較するといかに日本の夏が狂っているかが分かる。
あっという間に空港に着く。まだ7時にもなっていないので、ターミナルは思ったより空いていた。
搭乗手続きを済ませると、すぐにお別れの時が来た。
来月の末には帰ってくるのであまり真面目なことを言う気にはなれず、かといってふざけられるほどすぐ帰ってくるわけでもない。なんと言っていいのか分からず、結局いつも通り、いってらっしゃい、気をつけてと声をかけた。
何度か振り返って手を振りながら、弟は保安検査場に入っていった。
空港のスタバでコーヒーを買い、4人で飲みながら一息ついていると、父が重大な問題を発見した。
「展望デッキ、10時からしか開いてへん。」
僕達は弟と別れた後、フライトまで空港で時間を潰し、弟が乗った飛行機が飛び立つのを展望デッキから見送る予定だった。しかし、展望デッキが10時からしか開いておらず、弟の乗る飛行機は予定通り行けば9時55分に離陸してしまうということが分かった。
他に飛行機が見えそうな場所を調べてみるも、やはり展望デッキからしかまともには見えなさそうであった。
眠くて仕方ないし諦めて帰ってもよかったのだが、10分でも遅れてくれれば確実に見送ることができるので、空港近辺をうろうろしながらフライトの時間を待つことにした。
父は母と、僕は妹様と周囲を探索した。駐車場の屋上とか、ターミナルの端とか、とにかく滑走路が見えそうなところを当たってみたが、どこも空港に遮られて全く見えなかった。
9時15分、国際線の案内板を見るも、残念ながら1分たりとも遅れは生じていなかった。
「どうせちょっともたつくから、行くだけ行ってみたらええねん。」
父が言った。つまり、滑走路が混んでいたりなんやかんやして離陸が遅れることを祈り、ギリギリ見られるようになる可能性に賭けるということだ。弟に「少し暴れて時間を稼いでくれ」とLINEを送り、僕達は空港から展望デッキへの無料のシャトルバスに乗り込んだ。
展望デッキに着いたのは9時40分くらいだっただろうか。職員の気まぐれで早く開けてくれることを期待しつつ、炎天下の中自動ドアが開くのを待った。
9時55分、弟から「行ってくる」というLINEが届いた。やはり間に合わなかったか。
結局定時までドアは開かず、僕達は10時になってから急いで展望デッキに向かった。
デッキに出ると、馬鹿みたいに広い空の下、何機もの飛行機が離陸の順番を待っていた。そして、ほとんど見えないくらい遠くの方に、弟から送られてきた写真の飛行機と同じデザインの飛行機を見つけた。
まだ離陸していない。間に合ったのだ。
僕達はそれだけでたいそう喜んだ。このクソ暑い中歩き回ったり待ちぼうけたりした時間が無駄にならなかったこともあるが、何より弟を最後まで見送ることができるのが嬉しかった。
飛行機はデッキの方にゆっくりと進んできて、Uターンして滑走路に入り、そして轟音を響かせて空に浮かんでいく。
弟を乗せた飛行機がこちらに進んできた。
僕は弟に間に合ったことを知らせるため飛行機の写真を撮った。
母は弟に向かって大きく大きく手を振った。
父はそんな母を隣で見守り、妹様はそんな2人の様子を動画で撮った。
弟が滑走路に入る。あっという間に加速し、長い長い滑走路を突っ切っていく。
白い機体はいつの間にか宙に浮いて、弟を乗せたままどんどん遠くなっていく。雲ひとつ無い青空なのに、弟が次第に見えなくなっていく。
弟が空の真ん中に消えた時、なぜだか少し涙がこぼれた。
振り返ると、遠くの空を見つめる妹様と、満足そうに笑う父、そして目を真っ赤にした母がいた。
「行っちゃったねえ。」
翌日の午後9時頃、つまりフライトからおよそ1日半経って、弟からアイルランドに到着したという連絡が入った。
LINEを見ると、寮まで送迎してくれたアイリッシュガイとの2ショットと、レンガ造りの街並み、そしてこれから過ごす部屋の真ん中にスーツケースが置いてある写真が送られてきていた。正直あまりにおしゃれだったので普通にジェラった。
ただでさえ内定という点で大きく差をつけられているのに、さらに一皮も二皮もめくれて帰って来られたら、いくらなんでもむっちゃんがミジメである。
勉強しよう、司法試験から1ヶ月経ったし。
郵送代がいくらかかるのか、何日で届けてくれるのか見当もつかないが、しばらくしたら手紙を書こうと思う。
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