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無数の振られる手 (2000字のホラー)

35歳で、歳取ったなあなどと思わされてしまうのも癪だが、歳を取ると、外で一定のボリュームを超える声を出すということが憚られる気がする。

人が二人並んで歩くのが精一杯な狭い歩道。

目の前に、四、五人のグループでトロトロと歩く少年少女がいたとして、例えば10年前、つまり25歳時の自分なら、「邪魔だどけこら」と言わんばかりの心持ちで「あ、後ろごめんねー」と注意喚起しつつ彼らの脇を通り抜けることになんの抵抗もなかった。

それが35歳の今はどうか。

ある程度おっさんになってしまった自分が、前を歩く少年少女に声を掛けることで下手に怖がらせたり警戒させてもいけないし、少年少女の後ろを歩く自分の、更に後ろを歩く市民の皆様に、「あ、おっさんがガキを威嚇しているよ」、「いやだいやだ、年長者というだけで偉そうに振る舞う非今日的態度」などと謗られるのも悲しい。

であるからして、いくら狭い道で前を塞がれようとも、おっさんが自らの掛け声により前を歩く人に道をお譲りいただくという試みは辞退して、心の中で「(邪魔だどけこら)」と暗唱するに留めておくに如くはない。

ただそのように、暗唱しながら俯き加減の卑屈な姿勢で少年少女グループの後ろを延々と尾行しているようになり、そのうち警察に通報されるハメになっても困るので、やはり時にはシチュエーションに応じた声量ではっきりとモノを言わなければならない時もある。

自分が暇な大学生だった時分に、暇が高じて同じく暇を持て余していた杉下ペロ志と共に体験した出来事は、大きな声を出すことの重要性を強く意識せしむるのである。

当時自分達は、心霊的な噂のあるスポットや、噂はなくとも廃墟であったり、現役でも老朽化が進んである種の雰囲気を湛えた建物などを訪ねることに耽溺していた。

というのも杉ペロの野郎、大学生になって免許を取ったは良いが、ガールフレンドは疎か、車に乗せる知人が一人もいないという体たらくで、そういう悲惨な実態を、ペロ志と同じ、スーパー銭湯の館内着やタオルを延々と畳み続けるバイトをしていた自分が、親しみやすさと和の伝統が調和したフォントで『たまゆれ』とプリントされたフェイスタオルを600枚畳んでいる際に本人から聞かされ、ここは一番、人助けのつもりでペロ志の助手席に時間の許す限り座ることにしたのである。

ペロ志はニ週に一回程の頻度で自分にメールでプレゼンした。

「西区、カオスの滝入り口のトイレでかつて焼身自殺の噂」
「東608丁目交差点付近の公園がハッテン場との情報アリ〼」
「ビラ川中学校、学校オフィシャルの夏休み肝試し大会で38人が原因不明の体調不良」

「一個だけヤバすぎだろ」

「ハッテン場?」

「それもヤバいが38人の体調不良とかガチ過ぎん?校長どころか市教育長の首が飛ぶぞ?(と言っても公務員のためせいぜい配置換えだが)」

「ビラ川中、明日深更にでも」

「オーケー相棒」

こんな調子で、ペロ志曰く地元の先輩から聞いたという情報を頼りに、怪しげな噂のあるスポットに我々は日夜繰り出していたのである。

中でも件のビラ川中学校では、これまで訪れた中で最もイカつい経験をした。

夏休みも半ばを過ぎた丑三つ時、我々はペロ志の(親の)日産バサラでビラ川中の校門前、グランドを挟んで校舎の正面全体が見える位置に乗り付け、大人が少し頑張れば乗り越えられるほどの校門を超え、グランドに立った。

取り立てて特徴のない住宅地に立地する創立30年の中学校ではあるが、暗闇に浮かぶ乳白色の校舎は、それだけで一種催怖的である。

正直なところ自分は、スピリチュアルや霊の類は一ミリも信じていない無神論者だが、バイオハザードとかも一人ではプレーできない小心者だったので、この時点で、遠巻きに校舎を眺めて帰るつもりでいた。

「よし、わかった。大体そういう感じだね。じゃ、行こうか」

「ご冗談を。入るでしょ?」

「俺は絶対にこれ以上近付かんしこれ以降お前が少しでも説得してきたら二度とバサラには乗らん」

「仕方ないですね。単独ソロで乗り込みましょう」

ペロ志の胆力には恐れ入る。
ペロ志と自分、比較して自分の方が勉強も運動もできるしなんなら顔も良い。
しかも、ペロ志は銭湯のバイト先で自分よりタオルを畳むのが遅いくせに、店長の栃原と仲良くしているのはどういうことなのか。自分はどちらかというと栃原に嫌われている。

「一階から四階まで順番に昇ってって、窓からこちらに向かって手を振ります」

ペロ志は一直線に校舎へ走る。
長いストライド、伸びた首筋、美しいランニングフォームだった。

校舎裏手に回ったと思ったら、一体どこから忍び込んだのか、すぐに一階の窓が開き、「おーい」というマヌケな呼び掛け。一窓の開いた窓に人影。

人影は手を振る。暗くて曖昧な人影を凝視し、ペロ志であることを確認。自分も手を振りかえす。

そして、ペロ志からフォーカスを外し、校舎全体を引きで見た自分は目を剥いた。

「やめろ!今すぐ帰ってこい!」

「ご冗談をー!まだ一階でーす!どんどいきますよー!」

さっ、と消えたペロ志。
程なくニ階の窓が開き、また手を振る。
またも目を剥く自分。

「バカ野郎!やめやがれ!早く降りてこい!」

何も言わず消えるペロ志、そして三階の窓が開き、人影。自分はペロ志が手を振る前に叫ぶ。

「やめてくれ!助けてくれー!誰かー!金返せー!」

「どうしたんですかー?大丈夫ですかー?仕方ない!そっちが心配なんでもう戻りまーす!」

美しいランニングフォームで戻ってきたペロ志。

自分はもうこの時、はっきり申し上げて卒倒寸前だった。

「はあ、はあ、もう、なんなんですか。大丈夫ですか? そんな油汗流して大きい声出して」
言いながらペロ志は、自分の両肩を掴んで軽く前後に揺する。

ことここに至って、やっと少し平静を取り戻した自分は答えた。

「ペロ志、お前がな、窓から手を振ったら、他の全部の窓からも手が振られてたんだよ。無数の振られる手が、全部の窓から」

「……え?」

【おしまい】

#2000字のホラー

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