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ファッションセンスとは要は勉強なのかもしれない


ホリエモンという人が「寿司屋が何年も下積みをするのはバカ」といったらしいが、俺にはよくわからない。

寿司職人に下積みはいらないかもしれないが、ファションセンスは確実に下積みで養われる

俺が寿司をいただくのは都内ではもっぱらスシローあるいははま寿司で。青さ汁とサーモンマヨ的な寿司ばかり食う。
地元の北海道では、マジでガチでその辺の回転寿司が壊滅的に旨い。特にトリトンという店は、ネタがデカいので食べ応えがハンパなく、週末の昼時となれば沿道に延々と渋滞ができるぐらい人気。

恐らく俺が行ってる寿司屋には何年も修行した職人というのは多くないだろう。それでもそんなに人気なんだから、やっぱりそんなに修行がいらないのかも知らん。

けど33歳にもなって高級な寿司の一貫もいただいたことのない体たらくな人生なので、やはりわからん。というか、どうでもいい。高い寿司、死ぬ前までにはいつか食ってみたい程度。

そんな寿司談議はいいとして、寿司職人に必要な修行の年数は知らんが、ファッションセンスを身に付けるにはある程度の年数修行は必要だよね。なんて俺は思っている。

というと、コーデ解説動画はYouTubeに無限にあるし、instaで好きなインスタグラマーをフォローして真似してけば余裕っしょ。というゆとりどもの声が聞こえそうだが、厳密にいうと俺もゆとり世代だ。ついでに言うとミレニアル世代でもある。俺は味方だ。信用してくれ。

まあ確かに最近はコーディネートを教える系インフルエンサーが増えたので、ある程度のオシャレ感はすぐに出せないことは無きにしもあらずっちゃあある感じがしなくもない。

がしかし、そういうノウハウを吸収してもファッションセンスというものはなかなか身につかないと俺は拝察申し上げている。
かと言って何年もかければいいと言うわけではないが、一日の長。みたいなことはまああるのではないかと思う。今日はその理由について考察する。


ロジック。ノウハウ。だけでは、無難止まり。かと

オシャレになりてえなあ。人からオシャレと言われてえなあ。となった時、人はどうするのか。

10年、15年昔なら雑誌読むとか、ショップの店員と友達になるとか、オシャレな知り合いのバイト帰りに一ヶ月毎日出待ちして大雨の日にずぶ濡れで汚い野良犬のようになった末にやっと弟子入りするとか、そんなもんだったかと思う。

当時もネットでの情報収集という手もないわけではなかったが、2ちゃんねるのファッション板とか、ミクシイのブランドごとのコミュとか、ユーザーの数で言えばあまり一般的な方法とは言えなかった。

一方現代。インスタ、ユーチューブ、ツイッターやnoteなど、多くのメディアでファッションについて発信している人間が多い。

インスタとユーチューブには解説系の発信者も多く、コーディネートの基本やブランドの紹介といったコンテンツを発信するインフルエンサーも今や飽和状態と言ってもいいぐらいだ。
彼らはオシャレになるためのノウハウを、カジュアルとドレスやモードの違い、と言った基本的な部分から解説し、ロジカルなコーデの組み立て方を提案したりしている。

そういうインフルエンサーの功績か。巷にはオシャレな人が増えたような気がする。

しかし、オシャレっぽい人は確かに増えたが、俺的に感じているのは、あっさりした、いい感じにいい感じのコーデをする人が増えたなあ、ということだ。

いい感じにいい感じ。もう少し具体的に言うと、
良く言えば“違和感の少ない”。悪く言えば“無味乾燥なオシャレ”さんというのが増えた印象があるのだ。

解説系の、言わば正解を教えてくれるインフルエンサーが増え、インフルエンサーの名の通り影響力があるため彼らのコンテンツが拡散し、万人ウケするタイプのオシャレをできる人が多くなったと言うことなのか。

インフルエンサー自身にとっても、多くの人に支持されようと思ったらあまり攻めたコーデやアイテムを紹介するよりも、無難な、確実にオシャレなアイテムを勧める方が評判が悪くならずに済む。

かくして、無難なオシャレさんは増えたのだが、そこからその人たちが、無難から抜きんでたオシャレになっていくかというと、そうでもないような気がしてならない。

特に差別化は必要ないけど……

別に俺に解説系インフルエンサーを非難する意図はない。

むしろライト層を拡大し、消費者側の目線を厳しくし、要求を高くする役割を担い、ひいてはマーケットの活性化をもたらすという意味では重要な存在だと思う。
また、俺自身も結構解説系の動画を観ているが、提唱されるロジックや提案されるコーデの例なんかもよく練られていて、その作り込まれた構成に舌を巻いたりしている。

ブランド好きのかなりの割合の人がマウンティング好きも兼ねているが、インフルエンサーも色々見知った上で発信しているだろう。なのに、初心者が戸惑うような難しいことは極力言わず、目線を下げて初歩的なことに集中して発信していくのはなかなかできることではないと思う。やはり多くのフォロワーを抱えるインフルエンサーのコンテンツには傲り高ぶりがない。あったとしてもその感じが見えない。

だが、結果としてそれが個性的なフォロワーの出現を阻害している面がないとも言い切れない。

雛鳥が最初に餌をくれた者を種族や見た目の違いを考慮せずに親とみなすが如く、初心者や初級者が最初からロジカルに正解のコーデを学んでしまうと、なかなかインフルエンサーが教えてくれたその基本から離れるのは難しいかもしれない。

何事も守破離と言って、基本を学んでこそアレンジが効くという考え方があるが、ことファッションにおいては、スパーリング相手のような者はいない場合がほとんどで、評価に晒されることも、別にないと言えばない。
ファッション好きはフィルターバブルに囲まれている場合が多いが、友達や知人からファッションに対する評価が下されるコミュニティというのはそんなに多いわけではないのだろう。

要するに、ファッションに関しては基本を学んだその先がない。基本の後、伸びるための修行の場がない。

多くの人はそれで満足なのだろう。
彼女や奥さん、或いはそれらの家族や友達に白い目で見られない程度で万事オッケー。「清潔感あるよね」ぐらいの評価がもらえればめっけもん。って程度だ。

だからそんなに個性は必要ない。万人ウケする程度にオシャレに気を使っていればまったく問題はない。

万人ウケの限界

小綺麗な服装でそれなりに身なりを整えること。たいていの人はこれで満足だし、過剰なオシャレをしているとむしろ浮く。

が、そんな風にそれなりの服装をしていても、ふと欲求不満のような気分に囚われることがあるだろう。
若いと尚更。

もっとオシャレと言われたい。あいつみたいにオシャレになりたい。オシャレな友達とつるみたい。ショップの店員に見下されないような服装をしたい。
こうした欲求を満たそうとすると、例の解説系インフルエンサーのコンテンツでは物足りなくなる。

ではどうやってもっとオシャレになろうか。

残念ながら、一足飛びにオシャレになれる特効薬は存在しない。

なぜなら、小綺麗なオシャレ以上のオシャレとは、スタイルであり、カルチャーであるからだ。
ファッションというジャンルのみならず、これまで一朝一夕に成立したスタイルやカルチャーは存在しない。

試行錯誤を繰り返した回数がスタイルを作り、インプットしたコンテンツの質と量がカルチャーを作るのである。

ファッションにおいて、何がそれらを育むのかというと、何に興味を持ってきたか。もしくはどんな好きを突き詰めたか。以外にない。
インプットしたコンテンツがその人自身にカルチャーを作り、外見に表出してしまうほどの雰囲気を作る。

インフルエンサーの動画では、体型にあったテイストやアイテムの選び方を教えてくれるが、あなた自身が醸し出す雰囲気に合ったスタイルやコーデの選び方は教えてくれない。

体型は一定の共通認識の下でカテゴライズ可能だ。痩せ型や中肉中背、ずんぐりむっくりなど。

けれど雰囲気という、極めて抽象的な概念については、実質的にカテゴライズ不可能だ。
ワルっぽい人、クラスのリーダーっぽい人、ガリ勉ぽい人、オタクっぽい人、ガッチリ系マッチョだからラグビー部っぽいなと思ったらサッカー部かいって感じの人、進学塾で教えてる女子中高生に手を出しそうな大学生っぽい人……n と、百者百様の人が醸し出す雰囲気がある。

色んな人に似合うように万人ウケするコーデを考えているインフルエンサーとて、どんな雰囲気の人もカバーできる服装というのは流石に考えていない。
インフルエンサーから得られる情報、つまり受け身の情報にインフルエンスされている限りは、「オシャレの正解を教えられた人」の領域からを抜け出せないのだ。

あなたの雰囲気にマッチするコーデや服というものは、あなた自身のトライ&エラーからしか生まれないことをよく覚えておくべきだ。

やはりオシャレに近道なし。寿司職人と違って(違うのかどうかわからないが)、本当のオシャレには、やはりある程度の下積み修行が必要である。

このロクでもなくやはりロクでもない世界の目を瞑ってはいけない部分を目を見開いて見た結果を記してゆきます。