やればできる

何も伝えきれていない。何も伝わっていない。原因は自分にある。そもそも何を伝えたいのかがはっきりしていない。毎年伝わっているだろうと勘違いしているのかもしれない。最初に抱いた思いは今も継続できて継承されていると考えていた。違う。毎回毎回伝えなければならないし、伝わる言葉で伝えなければならない。気の遠くなる作業だが、それが伝えるということなのだろう。そもそも、何が伝えたいのか。それは、簡単に言えば、「やればできる」ということ。「やればできる」は、1番:やれると思うこと、2番:自分で踏み出すこと、3番:それを続けることに分解される。私は。1番を飛ばして2番3番に焦点を当てていた。その気にさせることができていない。好調の時は、何もせずとも1番は整っていた。だから2番3番への指導の方法で成果は出ていた。手間がかかるが、1番からやり直す必要があるようだ。そうすれば2番3番に乗っかってくる。しかし、1番をないがしろにするのには理由がある。裏切られる失望感があるからだ。これだけやっているのに、という悔しさと悲しさが返ってくることが大いにある。だから、ここまでする義理はないと感じてしまう。まさに暖簾に腕押し。しかしだ。そもそも自分は何を達成したかったのかというところに戻ると、このようなことに挫ける話ではない。これは自分の人生である。自分が心のそこからしたいことをする舞台が人生であり、演者である。そこで何を表現し、何を世界に伝えるのか。それは「やればできる」に尽きる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?