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今、フィリピンでキチママと暮らしてます。(第二期)(2)

一人暮らし

キチママが家を飛び出して新居に移り住んでから、平日は自分の家から仕事に通い、土日はキチママの家にいる、言わば単身赴任のような生活になっていた。


初めは娘に会えないので、毎日がつらかった。

「あれ、今日は一人なの?」と近所の人たちに聞かれるのも、つらかった。今まではいつも娘と手をつないで歩いていたから。「実は奥さんが娘を連れて出て行っちゃったんだよね・・」と話すと、以外にもほとんどの人は「やっぱりね」といずれこうなると思っていたという風なことを言っていた。

以前住んでいたヤヤさんが、娘が生まれた後すぐキチママが毎日飲んだくれて朝帰りをしていることやお金について私を怒鳴り散らしていることを近所の人に話していたので、そういう人といっしょになっている外国人というふうに見られていたのかもしれない。

だからか家の管理人さんや近所の人たち、私がよくいくお店のおかみさんなどはきまって「新しい人、見つければいいじゃない」と同じようなことを言うのだが、そういう気遣いがうれしいと感じる。

よく考えれば、今の場所に8年近くいるのだ。そういう近所付き合いができても不思議ではないなと思う。


ただし家の中は数週間前まで物の置き場がないという位だったリビングが1台の扇風機と椅子、寝室にはマットレスだけになっていたし、娘が生まれたとき、大きい家に住みたいというキチママの希望を叶えるためこの家にひっこしてきたのだが、その大きさがより虚無感を大きくする。

以前は会社から帰ると錆びたゲートをあけ、いつも開いいていたドアは常に鍵が掛かって閉まりきり、そのドアをあけると「ダディー!」と言って、いつも玄関まで出てき抱き着いてくれた娘の姿がない。何もない、誰もいないただの白い空間がそこにあった。


食事は今までヤヤさんが作ってくれたが、カレンデリアというフィリピンのお惣菜屋さんのようなお店から食事を買うかフード配達アプリで済ませているが、食欲が出ず何も食べずに寝ることもあった。


キチママとの関係は別居をしてから、うまくいっているように見えるが子供と週2回会う条件を失いたくなかったので、気分を逆なでするようなことはしないように心掛けていたが、それでも2週間に一回はケンカをしていたし、一人残された家で「キチママ、死んでくれないかな・・」そんなことを考える毎日を送っていた。

初めのうちは数日に一度、キチママからのLineが入ってきて、娘と話させてくれたが、そのあときまってキチママが追加の金やプリペイド携帯の料金の話をするため、うんざりしていた。

そもそも「犬を買いたいから・・」そんな理由で家を飛び出したキチママであったが、結局その犬もうるさいという理由で叔母の家に預けっぱなしになって、今では叔母の家に言っても見向きもしない。

これまでも私がキチママの命令に従わなかったとたったそれだけのために無関係な友人や自分が勤めている会社の人たちにさんざん迷惑をかけて、そのうえで私から娘を取り上げ、家具を全て持っていき、養育費という名目で金を巻き上げ、それ以上の追加の金まで要求してくる。

この人はいったいどれくらい私から奪えば気が済むんだろう。いや、私だけではない。私の娘や周りの人もそうだ。この人の存在が、世の中にとって害以外何物でもない。そんなことを考える。

そのうえで「私のこと、愛してる?」と、聞いてくるこの質問に私はもう嫌悪感しか感じない。むしずが走るとはこのことだ。どうやったら、こんな状況でその言葉が出てくるのかわからない。きっと、自分が周りの人にどれくらい迷惑をかけているのか、全く自覚がないんだろう。


それでも、娘とまた暮らしたい。だから、「戻ってきてほしい」と別居してからダメもとで何度かいったことがあるが、「今は新しい商売で忙しいから」と断られた。

キチママは以前からSNSを使ってでせどりのような商売をやっていたが横暴な態度で客の間で悪い口コミが広がってしまい、商売が続けれられなくなっていたが、引っ越し先でフィリピンの国民保険や年金基金の申請代理業を開業していた。

「子供に必要なのは父親ではない。金だ。」いっしょに住んでいるとき、キチママは何度も私にそう言っていたが、それはもう現実になった。

でもキチママはきっと考えてもみないだろう。夫の金を盗み、浮気相手と駆け落ちした母親をキチママは「早く死んでほしい」と言っていたが、今キチママがやっていることは、母親がしたこととほとんどいっしょだ。

いつか、娘にそんなことを言われる日がくるだろう。間違いなく。

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