見出し画像

分からない、ということ。

私は、20歳を超えてから、夜になると気持ちが暗くなる日が多くなった。
これといった原因はまだ自分でも理解できていない。
虚無感、寂しさ、将来への不安
そんな暗い毎日の夜に、少し希望のある思考ができたので、残しておく。

私は、思考が浅い人間で、発する言葉も薄っぺらいと感じている。
そんな自分を出すことに抵抗があって、人に自分の考えを話したり、人と関わることがすごく怖くなった。こんな気持ちになるくらいなら、一人の方が楽だと思っていた。

これまで周りの状況も良く見えず、周りの人の喜ぶ顔が見たいからと、私は他人のために頑張れる人間なのだと自分に言い聞かせながらも、自分のためにしかやるべきこと、やりたいことを考えられない人間だったのだと思う。いや、特に何も考えていなかったのだと思う。

自分の目標が達成できなかった時、自分はこんなに頑張っているのに、誰も助けてくれない、誰も見てくれないという、自分は悲劇のヒロインだ、誰か慰めてくれというような、本当に気持ち悪い思考状態になっていた。

落ち込んで落ち込んで落ち込んでふさぎ込んで、一人になって。
でもみんなそれぞれに人生を生きていて、そんな暗いやつに手を差し伸べてくれる人なんていなかった。いや、手を差し伸べてくれる人はいたのかもしれないけれど、その手さえはねのけてしまっていたのかもしれない。

けれど、失敗とか、成功とか、周りにどう思われているのかとか、そんなしょうもないことに見向きもせず、自分の好きなことを純粋に楽しんで、生き生きと生きることを楽しんでいる人を見て、いつまでも自分をかわいそうだと思って、落ち込んだふりをしている時間が本当に無駄なことだと気づいた。

私の口癖は、”分からない”だった。本当にわからないから。これが良いことなのか、悪いことなのか、分からない。自分がどうなりたいか分からない、どうなっていくのか分からない、この人にとって、その選択が良いことなのか、悪いことなのか、分からない。どんなことにも裏表があって、二面性があると思っていたから。そんな、物事をはっきりできない自分がすごく嫌だったけれど、「人生は分からないことだらけで、分からないからこそ楽しいんだ」という言葉に出会って、私の価値観を少し認められた気がしてうれしかった。

最近26歳にしてやっと、社会に目を向けられるようになってきたし、私は今どんな社会にいて、どんな位置にいて、自分にできることは何があるのだろうと考えるようになった。

今さら遅いのかもしれないけれど、自分がどんなことに興味をもって、どんなことをした時に幸福を感じるのか、今はインプットの時期だと思う。
色んな事を見て、たくさん思考して、いろんな角度から広い視野をもって物事が見れるようになりたい。そして自分のできることをしっかりと見つけて一生懸命生きていきたい。

自分が下した選択、決断にいろいろ言ってくる人もいると思う。けど、誰にも答えなんか分からない。私は、自分が死ぬときに思ったことが答えだと思っている。だからこそ、自分のために、頑張りたい。

未来が”分からない”からこそ、不安で怖いけど、”分からない”が多いからこそ、人生を楽しめる可能性が多いということなのかなと思う。

この文章も振り返ると、浅くて、結局何を伝えたいのかよく分からないんだよね(笑)
そんな自分に本当に嫌気がさすけれど、そんな自分を少しずつ受け入れていこう。

不安で、暗くて、虚無感に襲われながらも、分からない日々を一生懸命生きている君へ。
一緒に生きよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?