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記録映像レビュー④-2014年 FUKAIPRODUCE羽衣『耳のトンネル』

FUKAIPRODUCE羽衣
『耳のトンネル』

2014年6月 吉祥寺シアター

[プロデュース]
深井順子
[作・演出・音楽]
糸井幸之介
[出演]
深井順子、日髙啓介、鯉和鮎美、高橋義和、澤田慎司(以上、FUKAIPRODUCE羽衣)、伊藤昌子、西田夏奈子、金子岳憲、並木秀介(大人の麦茶)、加藤律、幸田尚子(クロムモリブデン)、内田慈、Sun!!、枡野浩一(歌人) 

[振付]
木皮成
[舞台監督]
谷澤拓巳、上嶋倫子
[照明]
松本永
[音響]
佐藤こうじ
[音響操作]
寺澤光
[衣装]
吉田健太郎
[装置] 西廣奏
[宣伝美術] 林弥生
[記録映像] 杉田協士
[制作]
坂田厚子、林弥生、大石丈太郎、鈴木裕二

 FUKAIPRODUCE羽衣について文章を書くのは初めてだ。何度も観たことがあるけれども、わからない、という感覚が強烈にあって、何かを話すべきではないと思っていた。達者な俳優や独創的な演出、毎回凝っている舞台美術や歌や衣裳などで楽しく観劇したあとに「それにしてもよくわからなかった」とひとり呟いて帰ることを繰り返していた。これは作品のクオリティの問題ではなく、個人的な価値観によるものだという自覚がある。私の作品だって、どこかでそのように言われているのだろう。ただこの話をすると「綾門くんはラブホいったことないからでしょ」とか「童貞なの?」とか失礼な知人に言われてイラッとしたことがあるので、そういうことではない、という話をしておきたい。

 私は生々しい性愛がとにかく苦手だ。地雷、と呼んでもいい。だから他人のSEXに至るまでの細密な過程やムラムラする感情が生じる瞬間を、見つめ続けることがどうしても出来ず、なかったことにして目をつぶってしまう。演劇は実際の人間が舞台上にいるので、生々しさが小説や映画よりも増幅されて感じられる。そうなるとFUKAIPRODUCE羽衣を観ることは、『耳のトンネル』に限らず、ほとんどの作品においても原理的に難しい。いやそれでも何度も観てきているのだけれど、より正確に言うと、肝心なところを観ることが出来なくなる。恐らくこの劇団は、私が最も苦手とする、論理的な整合性を取るのが難しい愛や情の部分を、人間の素晴らしさの一部として伝えようとしていて、そこがどうにもこうにも呑み込めない。現実で恋愛をすることは出来るが、恋愛小説を解読出来ず、ポカーンとしてしまう問題にも近い。いずれにせよ個人的な問題だ。例えばQや鳥公園にも同じく、「問おうとしていることをこちら側がうまく受け取ることが出来ていない」もどかしさを、自分自身に感じている。特にQは、内容が苦手すぎて観劇の途中で恐怖で泣いてしまったことがある。ある意味、琴線に触れた表現だという言い方も出来る。

 ただそれでも、人と人が、誰かにとっては他愛ない、けれども個人にとっては大切な瞬間を積み上げていくこと、それがいつのまにか後から振り返るとすべてが愛おしい人生になっていて、しょうもないところもつまらないところも含めて、丸ごと巨大な慈しみに包み込んでいくような『耳のトンネル』は、恋人との何気ないデートすらうっすらと禁じられているような今だからこそ、切なく沁みるものがある。「人間の血が通っていない」と揶揄されたことがある私ですらそう思うのだから、「人間の血が通っている」ひとが観ると、感動と辛さで立ち上がれなくなってしまうのではないだろうか。


チーフ・キュレーター 綾門優季

いただいたサポートは会期中、劇場内に設置された賽銭箱に奉納されます。