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あなたは何者になるつもりなのか?後半

こんにちは。橘吉次たちばなきちじです。
沖縄で実施された「自分の人生をデザインする」という合宿研修で得た学びを前後半でお届けしております。
前半は日本人の多くが罹患している「自分以外の価値観で生きてしまう病」について考えてみました。
前半は記事はこちら。
前半記事はちょっとわかりにくかったよねー…という反省をいたしましたので、後半はもうちょいわかりやすく、じゃあーどーやったら「自分の価値観で生きられるのよー」という方法についてご説明申し上げます!



現実世界っちゅーもんの錯覚


多くの人は、確固たる現実世界というものが存在していて、その中に様々な人が様々なことを感じたり考えたりしながら、生きているものだと思っている。
あなたもそー思っているのではないでしょうか?
図にするとこんな感じ―!
(もう今日は時間がないから手書きだよー。ごめんね)

吉次の雑な手書き説明図

確固たる現実世界に生きるA子さんには、A子さんを取り巻く現実があり、B美さんにはB美さんを取り巻く現実がある…。
そう思ってませんか?

ところが!
実はこーではないのですよ。
万人が共有できる確固たる現実世界なんてなくて(あるように見えるのは錯覚で)、存在するのはそれぞれの人が創り出す、それぞれの現実世界なんですよねー。
(図にするとこんな感じ)

それぞれの現実世界

それにしても、ひでぇ図だよね…。ごめんなさいね。

この中央にある「X(エックス)」が、人類という種族の共通観念なんですよ。(またまたわかりにくくてスマナイ…)

つまりですねー。
私たち人類が把握できる現実世界というものは、肉体がキャッチできる五感の情報に制限されているわけですよ。
私たちには、目で見ることができないモノがあり、見たことないから想像することもできないモノがあるのですよ。
人類が識別できる色には限界があって、この限界を超えた「色」を僕たちは想像することもできない訳ですよ。

僕ら人類は「肉体の五感」という小さな窓からしか世界を把握することができませんよーという、制約条件のみが共通しているわけです。

だから、A子さんとB美さんの現実世界は、別物なんだけど「X(エックス)」を共有しているから、なーんか同じ現実を生きているよーに錯覚しちゃって、同じ現実世界の中で色んな人が生きていると理解しちまうのです。

伝わるかなぁ…。


どう頑張ってもわかりにくい説明…


「〇〇であるべき病」に罹患している人って、万人が共有している確固たる現実世界が要請してくるもの、期待してくるものに「応えなくちゃー!」と思っているのだ。
社会とか、時代とか、国家とか、家族とか…ね。

「自分の価値観で生きる」ってことが、自己中心的な生き方なんじゃないの?と考えてしまう人は、万人が共有している確固たる現実世界の中で、自分が好き勝手に生きれば周りにメーワクがかかると思っているのだ。

どちらも、現実世界ってもんを錯覚しているんだよねー。

あなたの現実世界は「あなただけのもの」なんですよー!
もっと正確に表現すると、あなたの現実世界は「あなたが創っているもの」なんですよー!となるのさ。

「自分の価値観に生きる」ということは、この自分だけの、自分の世界を自分で創造する生き方を選ぶっちゅーことなんですよ。

いやでも、吉次さん…。
自分がこの現代の日本社会に生きていることは事実じゃないですか。そこの制約から抜け出すことはできませんよね?

そうそう、そのとーり!
だから誰もが、人類という共通観念「X」を持ち、時代という「X」を持ち、国家という「X」を持ち、民族という「X」を持ち…、という立体構造の中で生きているわけさ。

この規模がどんどん小さくなればなるほど、「確固たる世界があるという錯覚」はキョウレツになるのよ。だから、最小単位の「家族」になると「同じ価値観を持つべき!」が強くなるんだよねー。
「家族の期待に応えなくちゃー!」となるわけさ。

…。で、吉次さん、そこから抜け出せるんですか?無理でしょ?

だからね。
抜け出すんじゃないの。抜け出す「枠」がある!と思っていることが錯覚だよって言ってるの。
そんな枠はそもそも最初からないのよ。
在るのは、あなたの存在を基礎づける条件だけで、その条件のもとで、あなたが何者になっていくのか?はあなた次第なんですよーって話なんですよね。

やっぱり…どう頑張ってもわかりにくいよねー…。


最高の人生ってどんな人生?


ちょっと説明の角度を変えてみよう。
現実がどうあれ、世界がどうあれ、あなたは「あなた以外のモノ」になることはできないのですよ。
逆に言えば、誰かが「あなたになる」なんてことはあり得ないんですよ。

「あの人みたいになりたーい!」と願って頑張っても「みたいな人」にはなれても「あの人」にはなれんのですよ。

人生は「なりたい自分になる一本の道」なんです。

多くの人はここで大きな、しかも決定的な間違いを犯してしまう。
それは「なりたい自分」を誰かが設定した「理想形」にしてしまう間違いです。

「美しくて優しくて思いやりがって、経済的にも精神的にも豊かで、センスが良くて知性があって品が良くて、でも謙虚で努力家で…」ってな理想形ね。

これやっちまうと、理想にあわない「自分」を切り捨てる、もしくは修正しなければならなくなるのよ。
これじゃぁ、「なりたい自分」にはなれません。
人生前半はそれでもなんとかなるけど、中年になれば必ず違和感を覚える時がやってきます。

「あれ?私って誰だっけ?何者だっけ?」状態になりますよ。

「なりたい自分」というのは、理想形の自分じゃなくて、
「私ってサイコー!私って完璧!私って素晴らしい存在!」と無条件に、何のテライも恥じらいも躊躇ちゅうちょもなく、全身で「あなたが認めている状態」の自分なんですよ。

ここポイントです。
「なりたい自分」って「状態」のことなんですよ。
だから、今すぐにだって「なりたい自分になる」ことは可能なのです。
この状態を四六時中、24時間、無意識にキープできる人生が最高の人生です!

実はこれ、ありとあらゆる生物が達成している生き方なのですが、人間だけが「この状態」で生きることができないんですよ。
この状態のことを巷では「悟り」と表現しているのではないか?と吉次は睨んでおります。

そう、意識を獲得した人類には、それほど「自分の存在を100%自分で寿ことほぐ」ことは、困難なのですよ。
だから、その困難を乗り越える方法として「自分の価値観で生きる」という術を学ぶ必要があるんですよねー。


自分の価値観で生きる


「普通の人」という人は独りもいません。
「価値観」が全く同じという人もいません。
「普通の指紋」というモノがあり得ないように、「普通の価値観」というものは存在しないのですよ。

それなのに僕らは「世間一般の価値観」が存在しているように錯覚してしまう。
だから、自分の価値観で生きるってことは、「世間一般の価値観」なんて存在しないということに気づくことからスタートするんですよ。

「〇〇しなければならない」という誰かの価値観を手放し、世間の常識を疑い、善悪や優劣、正誤という一般常識的判断を留保して、「全てを自分で決める」という覚悟をすること。

これが「自分の価値観で生きる」という宣言であり、やり方なんです。
「人生とは生涯かけて自分になる道」だというのはそーゆー意味なんですね。

あなたは何者になるつもりなのか?
そうなんですよ。自分になる以外の道なんてないのですよ。

前後半にわけて、ヒジョーに説教臭くてヒジョーにわかりにくいことを申し上げましたが、この記事を書きながら吉次が自分に言い聞かせているわけなんで、お許し願いたいと思いまする。

「自分らしく生きる」という言葉がちょっと流行した時期がありましたが、これからの時代はもっと加速して、もっと明確になって「らしく」なんて言葉は削除されていきます。

自分を生きる。
これだけですね。


最後までお読みいただきありがとうございました!

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