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日本人の死生観➐ーその時、生と死が分離したー

こんにちは。橘吉次たちばなきちじです。
戦後高度成長に生まれ育った私たちは、全く「死」を考えてこなかった。
それが「生きている実感」を希薄にさせているのではないか?
そんな仮説から始まった「日本人の死生観」シリーズ。

前回に続き「生と死の接点」を古事記から考えてみようと思う。
いや今回は、接点というか「生と死」が分離した時をご紹介しよう。

前回、第6話はこちら



観念の「死」から目覚めた瞬間


前回、日本最初の死者である伊邪那美命いざなみのみことをご紹介し、生成の女神が死んで黄泉の国よみのくにに往き、死者の国の神となった話を取り上げた。
前回の話の続きなので未読の方は、以下よりお読みいただきたい。

さて伊邪那美命いざなみのみこと伊弉諾命いざなぎのみことの二柱の夫婦神
愛する妻に先立たれた伊弉諾命いざなぎのみことは、妻を連れ戻そうと黄泉の国を訪れ、そこで腐りはてた醜い妻の姿を見てしまう…

その時!
伊弉諾命いざなぎのみことは踵を返して黄泉の国からの脱出を図る。
「死」が観念から実感に変換された劇的瞬間である。

ウジが湧く妻の身体を目でみて
恐らく腐敗したタンパク質の臭いをかいで
死体に発生した雷のゴロゴロという音を聞いて
伊弉諾命いざなぎのみことは観念から目覚めた。

伊邪那美命いざなみのみことが「見ないでね」と封印したのは、生者の肉体に宿る五感だ。

己の身体の五感で「死」を実感した夫は一目散に逃げだす。
「さっき会った美しい妻は幻影か?この腐った肉体が実物か?」なんて考えない。
まさに「生きるとは身体反応だ!」という生物学者の主張そのままの物語である。
脳ミソなんてなくても生物は生きるのである。

妻は怒る。
そりゃそうだ。
迎えに来てくれと頼んだ覚えはない。
自分の哀しみを処理できなかった夫が勝手にやってきて、「見ない」と約束したのに約束破って、死者の世界に生者の身体感覚を持ち込んだ。

だから、黄泉津醜女よもつしこめを遣わして夫を捕まえようとした。
捕まえてどうするつもりだったのか?

それは古事記には書いていない。

黄泉平坂の大岩で対峙する夫婦神

生と死が分離した現場


追いかけてくる黄泉津醜女よもつしこめに、伊弉諾命いざなぎのみことは頭に巻いていたかんむりくしや投げつける。

するとアーラ不思議
かんむりくしは、山ブドウやタケノコになって、黄泉津醜女よもつしこめがそれらを食べているスキに逃げるのだ。

伊弉諾命いざなぎのみことはやっとのことで、生の世界と死の世界の境界である黄泉平坂よもつひらさかにたどり着く。

黄泉平坂よもつひらさか

ここが、この夫婦神物語のクライマックスを迎える現場
「平坂」と書かれると、なだらかな坂道を連想しちゃうけど、
平=ヒラとは崖のこと
坂=サカとは境のこと
つまり、断崖絶壁
ここに桃の木が生えていた。

桃の実は霊力を宿し魔をはらう
これは大陸由来、中国の神仙思想から来ているらしいが、伊弉諾命いざなぎのみことが桃の実を投げつけると、追っ手は怖れて逃げ帰ってしまった。

そこでラスボス登場
伊邪那美命いざなみのみこと、御自ら追いかけてきた。
余りにも哀しく壮絶な夫婦別離のドラマが始まる。

伊弉諾命いざなぎのみことは、妻との間に大きな岩を置いて離別を告げるのだ。
古事記には書いていないが、日本書紀には「絶妻之誓」とある。

妻、伊弉諾命いざなぎのみことは怒りに震えて宣言する。
「愛しいあなた。こんな酷い仕打ちをするならば、あなたの国の人間を一日に千人殺しますよ

夫、伊弉諾命いざなぎのみことはそれに答えて宣言する。
「愛しい妻よ。ならば私は一日に千五百の産屋うぶやを建てよう

愛し合い支え合い、一つであった男女の別れだ。
この場面でさえ「愛しい」と呼び合う夫婦が離別する。
哀しい…
哀しすぎる…
そうなのだ

その瞬間まで一つであった「生と死」は、ここで分離する。
生者の世界と死者の世界は、この黄泉平坂よもつひらさかの大岩を境界として、往来のできない分離した世界となったのだ。

この生と死が分離した現場、黄泉平坂よもつひらさかは出雲にある。
現場状況を確認したい人は訪れてみるとよい。

「黄泉平坂」 島根県松江市東出雲町揖屋

「多産多死」これが生命の真実


さて、二人の離別宣言
妻「一日に千人殺します」
夫「一日に千五百人産みます」
産屋うぶやを建てるということは「産む」ということ)

これはヒジョーに意味深い離別宣言である。
「だから日本国の人口は増えるのです」なんて、つまらん古事記解説書もあるが、そんな軽い宣言ではないのだ。

日々、千人産まれ
日々、千五百人が死ぬ
ドンドン産まれてドンドン死んで、1/3だけ増殖する。
ここに生命の大河の真実が語られている。
命は多産多死で、生死は循環する。

連日コロナ罹患者の人数とその死者が報道され、
「昨日の交通事故死亡者数」が交番に掲示され、
そして、生きることを自ら止める人が、日本では一日60人もいる。

私は、
今日も殺された豚や鳥を食べ、
死んでしまった腸内細菌たちを排泄し、
新しく生まれた皮下細胞に押されて、死に追いやられた細胞をお風呂で洗い流す。

生者の世界は「死」に溢れている
ひとつの「生」は、膨大な「死」に支えられている
これが真実だ。

この真実から目を逸らさないこと
これが「生きること」だと、神話は教えてくれるのです。


黄泉の国よみのくにから戻った伊弉諾命いざなぎのみことは、最も輝かしい「生」を産みだします

次回は、そのお話をする予定です。
最後まで、お読みいただきありがとうございました。

次回第8話はこちら


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