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Iとme「わたしとあなた」の神道哲学

こんにちは。橘吉次たちばなきちじです
ジョージ・ハーバート・ミードってご存じですか?
アメリカの社会心理学者であり、哲学者でもあったG.H.ミード。
きちじは全く存じませんでしたが、あるセミナーでミードのコミュニケーション論を学び、
「もう!そう!そうそう!これ神道じゃん!」と
興奮してしまったので、記事にまとめてみました


ジョージ・ハーバート・ミードってだれ?


誰でしょう?
知らないよね
ガッツリ近代思想とかコミュニケーション学を学んだ人以外は、知らないんじゃないかな?
それともきちじが無知なのか?
(まあ、そうなんですが…)

はい、このかっちょエーお爺さんがミードです!

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

このかっちょエーお爺さんが、こんなことを言っている

「自我」は、ある個人が自分以外の他人の役割を想像できるときに、初めて発生する。自分以外のメンバーがどのような行動をするかの傾向を知り、また自分がどのように行動すれば他のメンバーによって「正しい」と見なされるかも知っている。つまりその時、「自我」は自分にとって一つの「社会的対象」となる。

ウィキペディア(Wikipedia)

すんません…
もうちょっと、わかりやすく話してもらう訳にはいきませんかね?

「自我」とは自覚されたときから社会の場にいる、つまり「孤立した自我」は本来の自我の状況ではない

G.H.ミード

どうして哲学者とか社会学者という人々は、こーゆ―難しい言い回しをするのだろうか?

つまり、これって
「てめえ、何様のつもりだ!誰のお陰でここまでこれたと思ってやがるんでぇ!」
っていう、江戸っ子の啖呵と同じことでしょ?

えっ?そうだよね?


「わたし」とは何か?


ミード爺さんは、
「I(アイ)」を自我
「me(ミー)」を、他者の視線の先にある「わたし」と定義しました。

I(アイ)よりもmeが先
自分以外の誰かがいなければ「わたし」は成り立たないという主張です。
「わたし」という概念は「あなた」という存在があって初めて生まれてくる。
そして「わたし」という概念が生まれて、その後「自我」となる。
だから「孤立した自我」などありえない。
と、いう説なのです。

これものすごく本質的な話です。
本質的すぎて
「へっ?あたりまえなんじゃないの…?」と思うほど本質的です。

「へっ?あたりまえなんじゃないの?」と思った、そこのあなた!
あなたはとっても日本人です。
変な日本語だけど、昔の日本人が「当たり前だ」と思っていたこの人間の本質が、最近日本では「あたりまえ」にならなくなってきております。

だから、あなたはとっても日本人なのです。

世間があって
人さまがいて
初めて「わたし」が成り立つ


もっと言えば
八百万の神々おわす自然があって
先祖と神仏のお陰があって
初めて「わたし」のいのちが成り立つ

これちょっと前までの日本人には、ごくごく当たり前の感覚でした
この「わたし」の感覚だけで充分だった
これが神道的な「わたし」です

ところが、近代になって「自我」なる概念が海を渡ってやってきた
「自我」ってなに?


これが大問題なのだ
現代人は、「自我」を「私」だと思っている

思考の中心
意識の主体
これが「私」

でも、ホントにそうだろうか?


わかりにくいことを申し上げますが…


他者の目線の先にある「me」の存在を忘れて、
「I(アイ)」=自我を「私」だと認識すると、偏った個人主義ができあがる。

これが現代日本人の不幸なのだ。

神道的生き方をする人は「自我」なんてない!ということを知っている
自然や先祖や、世間や人様に囲まれているからこそ、成り立つmeが「わたし」なのだ

ジグゾーパズルをイメージしてほしい。
周りに囲まれて、はじめてその形が浮かび上がる
これが神道的、古より続く日本人の「わたし」でありmeだ。

囲まれて初めて形がわかる

例えば、たった独り真っ暗な宇宙空間に放り出されたとして、
意識の主体「自我」を維持することができるだろうか?

光も音も、風も重力もない空間
恐らく自我は崩壊するだろう

でも、meは崩壊しない

神や祖先の視線の先にある「わたし」
一時も休むことなく働く心臓やどんどん再生される細胞の視線の先にある「わたし」
与えられた魂の視線の先にある「わたし」
この揺るぎようのない「わたし(me)」の自覚があるからだ

自我なんてなくても「いのち」は生きる
「いのち」がmeなのだ

わかりにくいよね…
ごめんなさい…


自分で自分を責める人


ああ、また〇〇しちゃった…

と自分で自分を責める人がいる

ああ、また「わたし」〇〇しちゃった…
なんで、「わたし」は〇〇しちゃうんだろう…
ホントに、〇〇しちゃう「わたし」ってダメだと思う
なんで、いつも「わたし」は〇〇しちゃうのかな?

と、延々自分を責め続ける
反省と後悔が入り混じった、「I(アイ)」=自我とmeの混乱状態が癖になっているんだよね

上記の「わたし」を
「いのち」や「たましい」という言葉に置き換えてみて欲しい。

人は本来、やりたいことをやるものなのだ
やりたいことしか、できないものなのだ

それを思考でグルグル!
お悩みモードを回転させているのは私=「自我」

一度自我を捨ててみると、違う世界が開けてくる

吉次が繰り返し申し上げているのはこのことです。
自我=「I(アイ)」を捨てて
あなたの魂であるmeに気づいてくださいませ


最後までお読みいただきありがとうございました!
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