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今を考え直した話

秋が近づいてきたというものの、まだ暑い日が続く。

会社では半袖のワイシャツは認められているが、10月からは衣替えで長袖でネクタイの着用が義務付けられる。仕事柄仕方のない事だが、やはり首まで閉められているとどうも息苦しい。俺は首が人よりも太いので尚更だ。

肌寒くなった平日の夕方、上司がクルマの引き取りを俺に頼んできた。どんな面倒な依頼でも部下は断れない。仕方ない、行くしかない。

俺は自分の仕事を途中で切り上げ、出発の準備をした。もう一人の社員を連れとある高級車ディーラーへ向かった。(画像はイメージ)

車内で色々な話をした。こんな安いクルマで行っていいのだろうか、馬鹿にされないだろうかなど。ただ車両を引き取りに来ただけなのだから、何も考えることなんて無いのに。

30分は走っただろうか。やや離れた場所にそのディーラーはあった。

ガラス張りのショールーム内に、ピカピカに磨かれたクルマが並ぶ。
思わず「おお、、」と言ってしまうくらい綺麗だった。完全屋根下のお客様駐車場へクルマを停める。駐車場は薄暗く停めたクルマ一台一台が照明でライトアップされていた。

華奢なクルマのエンジンを切ると、2人のスタッフが運転席助手席ともドアの開閉をサポートしてくれた。

「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。」

なぜだろう。心地が良い。

ありふれた言葉ではなくシンプルで歓迎感がある。ここに来てからの錯覚だろうか。車両を引き取りに来たことを伝えると、外から輝いていたショールームへと案内される。室内には先ほど見たガラスの装飾のように光るボディーのクルマが出迎えてくれた。

自動ドアが開くや否や、柑橘系の明るい香りがした。派手さはなく、かといって落ち着きすぎていない。嫌味のない自然な香りだ。俺らは受付の前の椅子で待機するよう言われた。

「俺らのショールームと全然違いますね」そう言うと連れは「比べるまでもない」と軽く笑いながら言った。

ふと左に視線をやると、分厚いガラスの向こう側に大きな純白のクルマがあった。その周りに丈夫そうな服に身を包んだ家族が、賑やかに写真撮影や記念の花束を受け取る。新車の納車中だろうか。その家族の笑顔は汚れの無い透き通った笑みで、ガラスに映った自分の顔と比較して我に返った。


俺は何をしているのだろうか。

今朝も雨で傘もささず走り回り、昼もろくに取らずに毎日が仕事に追われる日々を過ごす。この汚れ一つ無いショールームで小汚い濡れたシャツの2人が居ることが恥だと自分に言い聞かせた。


さっきまで感動していたが急に恥ずかしさを覚え、ここから早く出たい気持ちになった。鍵を持った男性が現れ、今回の整備内容を説明してくれた。

鍵を受け取り、ショールームを後にする。用意されたのは全長5mはあるだろうか。これもまた純白のセダンだった。席のビニールはそのままに、座席へ乗り込む。ドアを閉めた瞬間、外界との音がシャットアウトされ、自分が動く音のみ聞こえる。サイドブレーキの場所が分からず焦るが、自動解除だった。


先に連れが小型のクルマで進み、俺が後ろを追った。


音も無くクルマが進む。



無音の車内で自分の「今」を考えた。時間というものは有限で、取り戻せない。

俺の職場は毎日時間に追われ数字にも追われ、常に慌ただしい日々を送っている。それに比べさっきの世界はどうだ。一つ一つに気が配られ、余裕のある行動。ゴミや汚れの無いショールーム。これは俺の主観であるが、疲れの見えないスタッフ達。


ヨレヨレのワイシャツであの場所に行った事が今更ながらさらに恥ずかしくなってきた。


職場に戻る。落ち着きの無いスタッフ。皆疲労が常に溜まり夜の24時まで毎日働いている。自分の置かれている状況を見つめ直すのにいい機会になった。

別に金が全てと言っている訳ではない。余裕が大切である。あの人生に焦りを感じさせない家族の笑顔が思い出せる。

俺は事務所に戻り、騒がしい中で再度自分の仕事に取り掛かった。

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