見出し画像

【西国三十三所】 勝尾寺

こんばんは。歴史バカ3代目kicchan15です。

本日は自宅から最寄りの西国三十三所霊場をお伝えしたいとおもいます。

それは第二十三番札所 應頂山 勝尾寺です!!!

kicchna15が今の分譲マンションに居住するようになってからの話ですので、7年ほどになるのですが、その経験から、ひょっとして…御朱印にご関心があるか、いわゆる箕面を中心とした近隣の方以外は、あまりご存知ない!?というのを危惧しています。まぁ余談はさておき、本題に参ります。

Google Mapで一撃ですが、箕面の山中にあります。まさしく修験道に近いような、ある意味西国三十三所らしいようなところにそびえたっています。ちなみに紅葉の時期スゴイです!!!夜間ライトアップもありますし、期間内の週末のバスなど、鮨詰状態です。近隣の交通規制もスゴイ!!!ある意味京都クラスの人出です。

①そんな勝尾寺ですが、創建は奈良時代末期、善仲と善算の兄弟(藤原氏の血をひく)がこの地に草庵を築き、仏道修行に勤しんでいたことに始まる。その善兄弟に、光仁天皇の皇子、開成が弟子入りし、大般若経六百巻を理経して、一寺を建立、彌勒寺と号し、開山に至る

②六代座主 行巡上人は清和天皇の病気平癒を祈祷し、効験があったとのことから、王に勝った寺という意味で、勝王寺の寺号を帝より賜るが、寺社側が辞退し「王」を「尾」に変え、勝尾寺と号し、以後、勝運の寺として、信仰されてきた

③清和天皇の信仰をえたことから、以後、清和源氏の流れをくむ鎌倉幕府、室町幕府の歴代将軍も帰依した。

なかなか複雑です。誰か一人の人物が創建し、そのまま以後…という流れではないので、私も理解するのに時間がかかりました。

簡単にまとめると①創建に関わった3人 ②寺号の由来と、以後に大きな影響を与えた清和天皇 ③後世の有力者→現在に至る

といったようなところです。

とりあえずのところ、大阪府箕面市に西国三十三所の一つの札所があり、そこは紅葉がとても綺麗な寺院だと伝われば、本日は本望でございます。

今後ともよろしくお願いいたします。


この記事が参加している募集

#一度は行きたいあの場所

54,500件

いただいたサポートは、取材活動、執筆活動に真摯に利用させていただきます。