「し」について 【思考文】

 「し」について考えてしまう。
 
 目の前が真っ黒になる。重たく、暗く、深い。振り払おうとして、他のことを考えても、しばらくはその思考に飲み込まれてしまう。風呂に入っている時やドラマを見ている時、夜寝る前にふとそんな瞬間が訪れる。忙しくしていると、そんな隙がないのか、考えることはない。少し時間があるとき、心に隙間ができ、そこに入り込んでいるのだろう。
 
 人はいつか死ぬ。全く不思議ではない。幼い頃には気にすることもなかった。それが始まったのは、中学生ぐらいのころだった気がする。漫画を読んでいて、キャラが死ぬシーンがリアルに描かれていた。ふと浮かぶ。
 
 もし死んだら
 
 それ以来、何度も何度も何度も何度も、それを考えてしまう。死んだ後はどうなるのか。死後の世界。天国。地獄。無。感覚も感情も思考も全てなくなってしまって、無になる。そしてその後は。
 
 だんだんと、だんだんと、どうしようもなく心が狭く狭く縮こまっていく。いや、「し」が広がっていって、どんどんと圧迫されていっていると言う方が正しい。血が酸素を運ぶのをやめたかのように、顔と胸が苦しくなっていく。他の人もこんなに苦しいのだろうか。

 大人になってからはそれに対処すべく、論理的に冷静になろうとする。死ぬまでに何をするかが大切。今を幸せに生きる。生き物は死ぬのが当たり前。頭は驚くほどに冷静に「し」に対処できているように感じる。それでも暗闇に飲み込まれてしまう。
 
 この暗闇が死そのものなのかも知れない。ただ、「し」んでみないと分からない。
 
 周りの人はよく、苦しまずに死にたい、とか、眠るように、とか平然と言っている。ただ、今、すでにその苦しみを少しずつ味わっている。だからもう遅い。

 また考えてしまっている。「し」について。

【思考文】
 何の脈絡も作法も技法もない、ただ脳みその中の言葉を書き連ねた駄文。
 脳みそは常に言葉や文章、イメージを生み出しているので、それを捨てないようにとっておくために書く。もったいないから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?