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2020年3月21日

誕生日を迎えた。49歳になった。

この日を祝うのはかなり久しぶり!

まあ祝う暇もなく過ぎていった、

24時間だったのだが、、、。

今をときめく「COVID-19」という名の「コロナウィルス」。ニューヨーク市にも上陸したどころか、蓋を開けてみれば感染者は約8000人に登っていた。

市長から10名以上の集まりを禁じられてしまった私と言えば、あえて自分の生まれた日に普段お世話になっている人たちに還元しようとパフォーマンスを目の前にしながら、この三ヶ月続けてきた連日のヨガとボイトレの効果で人前で緊張しても取り乱しても前回よりはしっかりハッキリとした声が出せる為の自信もほんの少しついてきた辺りで、春の陽気に誘われて芽を出したチューリープのよう、その声を試したくて試したくてしょうがない時期にも丁度差し掛かっていたところ。

「今、起こっていることは、既に過去。」

「わたしは未来に生きているンやから。」

と先日、再会したペインターの彼女に、『バック・トゥー・ザ・フューチャー』の主人公みたく言い放っていた。実際に2003年の湾岸戦争が勃発した同年に蔓延していた「サーズ」こと「鳥インフルエンザ」感染の本拠地のひとつであった中国の上海へと大阪港からフェリーで向かい長旅に出た経緯から『アレも乗り越えられたので、コレもいつか終わる』で、既に私の中でその話は完結していた。

それよりも自分へ起こりうるこれから先が楽しみで仕方ない今日この頃。

目覚めて歯を磨き、ヨガとボイトレを一通り終え、水色のドレスを着てオーバーサイズのジャケットを羽織り、頭にシルバーのスパンコールのヘッドバンドを巻き、水色の花をその横に差し、サングラスをかけマスクをして出かけた。バックパックの中には重いスピーカーが入っていて、楽譜立て、ラップトップ、ビデオカメラの道具一式が入った大きなカバンを手に提げていた。

丁度、後ろから見れば、山に行く人、もしや感染者、イヤその割には出で立ちがパーティー仕様という異質なミクスチャー。

本来ならこのようなやぶ用者は即座に自宅待機組に当てはまっていた。


何故にもっとリスクを減らす方法で、自分の足を使わず、汗もかかず、時間もエネルギーもお金も費やさず、今風ライブストリーミングに切り替えて、もっと楽な方法を最初から適用しなかったのか、、、超現場主義の自分には察しは付いている。


その一方で、同理由から私も招待した人達をキャンセルする選択にした最前線キーワード『ソーシャル・ディスタンシング』を実践していたクイーンズでのバスの運転手はといえば、乗客が乗ってくる前のドアを開けずに、後ろの降り専用のドアからのみ人を乗せ、前方の席に人々が座らないように黄色の「立ち入り禁止」のテープを貼りつつ、ヒトとの距離を6フィート(約183センチ)置いているので運賃の支払いをしに運転席付近へも近寄りきれず必然的に乗車無料でイエイ!

仮面舞踏会行きな我が出で立ちだったせいか、ウィルス感染への過敏がタタったのか、杖をついたおばあさんが車体との段差が高過ぎてよじ登れないと腹ただしく文句を言っているので、先に入った私が「助けは必要ですか?」と手を差し出すと「下がっててくれ!」と怒鳴られてしまった。そそくさと空いている二人掛けの席へ大荷物と共に座れば、今度は「私みたいなのに席が空いて無いなんてとんでもない。彼らは一体何を考えているのか。」と座っている私達に聞こえる声量でのイヤミ攻撃。それをプレッシャーに感じてしまった私の真後ろに座っていた女性が居ても立ってもいられずに立ち上がって他の席へ移動していった。そこへ当たり前のように座ってしまった、この世にも恐ろしい生き物。

かと思えば、親切にもギャラリーの鍵を届けにわざわざ自宅から外へ出てきてくれたオーナーのまゆみさんと待ち合わせの間に、マスクを付ける習慣が無かった私は、おもわずデリでコーヒーを買ってしまったものの、飲む度にマスクや顔を手で触って外していたらこりゃ着けた意味無いナと飲まずに置いてきてしまった。だが彼女とブルックリンの地下鉄の駅で別れた後、3つの地下鉄を乗り継いで目的地であるマンハッタンにあるビルの一室へと着いて、手を洗いうがいをしてマスクを外してからゆっくり飲もうと、その建物の通りを渡った角にあるデリへ再びコーヒーを買いに入って気づいたのは、ひとのピリピリ度がマックスに達していたコト。

コーヒーを買おうとしてその場に立っていたバンダナをマスク代わりに巻いていた白人男性に声をかけ退いてもらい、私はセルフサービスのコーナーでブラックを注いでいた。レジへと移動したその彼の真後ろへ並ぼうとした黒人男性が、私の背負っていたスピーカーと微かに衝突したので、振り替えり様に謝ろうとしたら彼の方から謝ってくれていた。そこまでは実に平和的なやりとりだった。しかしこの彼は深い咳をしながらも口も覆わずにマスクさえも付けていなかったのは事実。そこで自分の首の後ろへ息を吹きかけられているのを肌に感じるので立っている距離が近過ぎるから、もっと離れてくれと注意したのがきっかけで一気に大口論になってしまい、私はこの全体的な逆効果にドン引きした。正常な思考が出来ない精神状態なのか、リベンジモードなのか、むやみにライフルの売り上げがアメリカで伸びているのを何故か納得してしまう野蛮人がむき出しになり緊張が一瞬走った。

極めつけには、ようやく行き先のビルへ辿り着いたら、普段は空いているハズの一つ目のドアの鍵がかけられてしまっているではないか。私自身も「第一関門はあのドアとドアの間にいつも寝泊まりしているホームレスのおばあさんが持っているかもしれない菌の突破。」と冗談でまゆみさんに言っていたら、やはりこの伝染病が猛威を振るう最中、普段は大目に見ていた彼女を今回だけは入らせることが出来ず避けられない選択だったそう。

急遽パフォーマンス前夜に招待した人達を、ビデオ撮影のみにしたことでキャンセルにしておいてホント良かったと思った瞬間。現場をこよなく愛する私にとっては、やはりそこへ行ってみないと分からなかったこと、見えてこなかったモノがあるとはこのコトだと味わい噛み締めていた。

再度、帰りの地下鉄の中でゆっくり飲もうと手に持っていたコーヒーも、忘れていたこの非日常下にある背景をフト思い出し捨ててしまった。

考えてみれば、わざわざブルックリンとマンハッタンへコーヒーを買いに行ったも同然。でなければ自分のテリトリーをコーヒーでマーキングをしに行ったような日。それがなんとなく滑稽ではあったが、決して嫌いではなかった。意味が分からなかった「君のやることは豪華過ぎ。」と言った主人の言葉が今になってよく分かるから、ゴメン。

それも後で聞いてみれば、まゆみさんとスペースをシェアしているアーティストのサラはビルの部屋の中で絵を描き作業をしていたというではないか。私も彼女とは面識があり連絡先も知っていただけに、何故そこで本人へ直接一本連絡を入れてみようとしなかったのか。彼女を思い浮かべさえもしなかった自分があの部屋へ入らなかったのは、何かのお告げであると受け止めていた。

一人が出たら新しい一人を入れるシステムを導入し、間隔をあけて並ぶので通りに長い列が出来ている肉屋をそのビルの反対側から見ていた。日本の「マスク着用で感染防止」の精神とは売って代わり、様々なレイヤー重なる人間の歴史の怨念からなのか、または免疫保持者、それでなければ、日本でも既に逮捕された例があったように持病が末期と宣告された患者が「感染ってくれ」と言わんばかりの大袈裟な咳、それも口を覆わずお構い無しに、道端でも店でも地下鉄でもしてしまう人達が周りに多過ぎていた実情。

急いでマンハッタンから脱出しようとしたが地下鉄の車両内で今度は「俺は怖くない。」と何度も繰り返しながら白人男性の顔の至近距離で怒鳴ってしまう黒人男性も乗っていて、この場合に及んでは、さっさと隣の車両へ移動した私だった。他の区と違いマンハッタンの人口密度と凝縮した空間には、結構ギリギリはちきれそうな空気感が膨らみ滲んで溢れ返っていた。

再びまゆみさんからのテキストを受け取った頃には、もうクイーンズのウチの近所のチャイニーズのテイクアウトを注文した後だった。次のプランを実行に移そうと閃いたと同時に私はマンハッタンを出るモードに入った。その計画とはこのノートを書くきっかけとなった今年の初めに技術面で早速メゲてしまい書く行為で補ってきていたユーチューバーとしてのデビューを再び飾るコト。遂に今日「やりたい欲求」という必要に迫られる機会をコロナさまが与えてくれた!イヤ、どっちみち自分がやろうとしていた事柄が、コロナさまの到来によってよりドラマチックに色を添えた?でも結局はまたもやケーブル不足の発覚でライブ動画配信とまでは至らず大爆笑。それもおなじく又、何かにリマインダーされていると感じつつも、とても気のイイ臨機応変な縁の下の力持ち君への多大な感謝を忘れてはいない。

そしてなにより一番に満足しているのは、今年の抱負を「ベスト10」にしてココへ日記として書いた約二カ月後にようやくカセットテープ作りを完成させられただけでなく、以前から気になっていたアーティスト本人達が日本から東南アジア経由でニューヨークへ戻ってきたタイミングで数年振りに再会した際に直接渡せ、時間はかかったケド、念願であったベルリンと京都在住のアーティスト達へもこの19日無事に送り出すことが出来た。それ自体に少々自分でも驚いている。

だからもう既に「やれば出来る」ではない。

風林火山化したわたしを信じ

「やり尽くそうと努める」

今の自分が一番好きなのだ。

ハッピー・バースデー・トゥー・ミー!

40代後半から人生再スタートしました。日常生活のアウトプットを、ポエトリーやDJという方法で表現しています。残された時間、後悔ないよう、トライ&エラーしながら多動中です。応援の方よろしくお願いいたします。