感じているフリはできない (中編)

前編に書いた「80年代後半の思い出ソング・トップ10」のなかで7位に選んだ『Boom Boom』という曲について書こう。

87年リリース懐かしユーロビート。この曲を聴くと自動的に高校時代がよみがえる。いっしょに踊りに行っていた先輩とともに校舎の廊下で、その歌を唄いながら「パラパラ」を振り付け互いに大笑いした思い出、まるで昨日のようによみがえる。

そう、あの当時、この曲の歌詞も知らず、タモリの『空耳アワー』のように聴こえてきた音を「ブーン ブーン ブーン レッツゴー マシュマロ〜」と適当に唄い替えていた私達。のちに知るチャラい歌詞の内容に対する個人のテイストはさて置き、イケイケだった日本のバブリーな時代の勢いにガッツリハマっていた。 

なんせ、この曲のキャッチーさに耳から鼓動が引っ張られてしまう。耳障りであっても、耳に残っていなければ、わざわざ踊りに行った次の日に口ずさんでいないだろう。そしてその次の日も、その次の次の日にも唄っているのはなぜか。それだけでおさまらず、こうしてノートにも書きはじめたら、シャワー中に鼻唄ハミングしている自分もいたりする。

書くために調べているうち、ワタシのなかで「つじつまの合わない魅力」を持つこの曲に関する事実を知った。歌っているアーティストのポール・レカスキが、自らを同性愛者だと当時から公言していたこと。それとこのレコードがリリースされた当時を知るDJ友達に聞けば、過激な歌詞が理由で放送禁止にしたラジオ局もあったと教えられた。

英語が聞き取れていなかったあの頃。そんなこと自体、気にもしていなかったと思うのだが、とかく今の自分の耳には「マシュマロ」ではなく、「マイルーム」としか聴こえない。「オレの部屋へ行こうぜ」とビビッドにお盛ん。直球の歌詞に一瞬「あちゃー」とアンパイアが頭を抱える想いで、一瞬恥ずかしくなった。

いや、そんなハレンチな内容より、この歌をもっと広い心でとらえてみたい。日本でもカミングアウトしていないゲイをはじめとするLGBTQの人びとへどれだけの勇気を与えていたことか。無邪気過ぎた10代のワタシは、間接的にではあるが、ゲイカルチャーをレペゼンしていた。繰り返し謳歌した自分の無知ささえ誇らしい。

こうして我が歴史の一部として、この曲の価値をみずから見出せ正直うれしい。単に「カッコ良く」、「受けがイイ」、「好感度アップ」でなく、かと云って「独断と偏見」でもない、ワタシの現実世界で実際に生きていた音楽のトップ10と受け入れられる今に自画自賛。

音楽の本当の価値は、その上っ面のチギラギラ感や、派手さだけでは計れない。そうなってくると、どんな曲でも愛せる気がしてくるではないか。邪険にはできない気がするところで、「ひと」に置き換えてみると実に分かりやすくないか。

歌詞を自分の耳で聞き取れないときはグーグルってもみるが、書かれた文字以上に、「メロディーに載せた言葉の魅力」が果てしない。逆にことばにはできない感情。歌詞を把握しようと試みて以来、音楽を聴きながら踊っている時に変化が生まれた。心とからだがひとつになる感覚でとても満たされた。そしてフロアで自分の心を見つめ続けた。これ、日本語の曲に置き換えて想像してもらうとより明解になるハズ。

直感にうったえてくる音。言葉の壁も越えた「意味が分かる」とき、その音の楽しさが胸に突き刺さってくるようなリアルな体験ができるようにる。

なので、高校時代のワタシというのは、一生懸命「感じるフリ」をしていた。

48歳から人生の本編スタート。「生きる」記録の断片を書く活動みならず、ポエム、版画、パフォーマンス、ビデオ編集、家政婦業、ねこシッター、モデル、そして新しくDJや巨匠とのコラボ等、トライ&エラーしつつ多動中。応援の方どうぞ宜しくお願いいたします。