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聖夜に悪口本を二冊読んだが病んでない。

12月24日の夜、私の手元には二冊の本があった。白・黒・金の3色の表紙に、「悪口」という聖夜に似つかわしくない二文字が共通している。
世間の人々が大切な人と過ごしている中、悪口を読む。なんて性格の悪い人かと思っただろうか、私も思った。しかし、読了後は意外にも嫌な気分ではなく、性格が悪くなったような自覚もない。

悪口本① 教養インテリ悪口本

著者は、「(たぶん)世界で唯一のインテリ悪口専業作家」を自称される堀口見さん(https://twitter.com/kenhori2)人気急上昇中のYouTube・Podcast「ゆる言語学ラジオ」で、主に聞き手を担当されている方だ。
今回の話とはほとんど関係ないがシンプルに面白いので知らないという方は是非見てほしい。

堀元さん個人については、冒頭の通り悪口を書いて生計としていて、最近ではビジネス書を100冊読んでいたりしている。こちらは人によっては気分を害するかもしれないので、まず切り抜き動画を見てから本編(生放送アーカイブ)を見るのをおすすめする。

本の話に戻るがこれらのコンテンツを大いに気に入っていた私は発売が決まるとすぐにamazonで予約した。

内容は題名の通りに、教養を踏まえていないと理解できない悪口と、その使い方を、使いたい場面ごとに紹介している。

いくつか例を挙げると、

・植物だったらゲノム解析されている
・ヴァレンヌ逃亡事件じゃないんだから
・「かすれた文字モード」の実装が待たれますね  etc

教養悪口本

どのような悪口なのかは実際に本を手に取って確認していただきたい。

さまざまな分野からの悪口は、人を攻撃するのには勿体無いくらいの興味深い歴史的事実科学的知見があるので、蘊蓄本としてもお勧めできる1冊となっている。

しかし、私が一番関心したのは「はじめに」の中の一部分

そう。「悪口はつまらない」は正しくない。知性とユーモアが宿れば、悪口は面白い。嫌なことや不愉快なものを、笑い飛ばす原動力にもなる。

教養悪口本 (太字は筆者による)

私はこれを読んで、悪口を知ることは攻撃力を上げることでなく、防御力を上げることである、と考えた。
故にこの本を読んでも性格は悪くならない、むしろ防御力が上がり、より温厚になるのではないだろうか、安心して手に取っていただきたい。

悪口本②文豪たちの悪口本

教養悪口本の予約の後、たまたま目にしたのがこの本、前者はインテリな単語を使った悪口だが、こちらはインテリが実際に使った悪口だ。どんな美しい日本語で悪口を言っているのか、気になって表紙を見て驚いた。

知性もユーモアもなかった。

太宰治の顔写真の横に「刺す。」とだけ書いてあった、もはや悪口というよりむしろ犯行予告ではないか、一見教養のなさそうな悪口だが、それを言っている人に教養があるのはほぼ間違いないので比較したいと思い購入。

ちなみに、この二つの悪口本に共通する悪口が一つだけあった、

青鯖が空に浮かんだような顔しやがって

中原中也の悪口である。詳しい説明は両書に書いてあるので省略するが、日本語の使い方と破天荒な行動が詰まった悪口であり、中原中也を表す言葉だと言いたいくらいだ。

さらに脱線するが、文豪たちの悪口本の中原中也の章には、

殺すぞ

文豪たちの悪口本

もあった。犯行予告その2である。

話を戻そう。読んでいる内に気づいたのだが、この本は悪口よりもその悪口が言われた背景が面白い、例えば表紙の「刺す。」とは、極めて端的に纏めると、芥川賞を取れなかった抗議として川端康成に向けて書いた手紙の中で使われた言葉である。他にも悪口として、

織田作之助か、嫌だな僕は。汚らしい
                             -志賀直哉
この作家(志賀直哉)などは、思索が粗雑だし、教養はなし、ただ乱暴なだけで、そうして己れひとり得意でたまらず、文壇の片隅にいて、……(後略)
                              -太宰治

文豪たちの悪口本(括弧内は筆者による)

などがあったが、いずれも自分の文学や派閥を背景に置いた上での発言であることが多く、悪口を言う相手にも背景があり、軽薄に表すならばプライドのぶつかり合いがそこにあった。それらを伴わない小言やジョークを交えた悪口もあったが、今回は扱わない。

また、この本の大部分を占めるのは、悪口単体ではなくそれが含まれる手紙や対談などであり、悪口を楽しむというよりは人間を楽しむ物だろう。
私は当時の文壇の様子や関係についてはむしろ疎い人間であったため、内容が難しいと感じることもあったが、悪口という切り口のために、わかりやすく、興味を持って読み進めることができた。

さて、今回の記事の趣旨である「悪口」に沿ってこの本をまとめると、言葉の表面上だけ見たときには知性やユーモアが見られないような悪口も見られるが、発言の裏側には文壇や文学に関わる熱い想いが潜んでいる。
これを踏まえると、背景に派閥の仲間意識や、自分の文学に対する想いのおかげで、シンプルな言葉の力強さがかえって悪口の攻撃力を上げている。と言えるのではないだろうか。

しかし、繰り返しになるがこの本のメインは悪口の裏にある部分であり、悪口そのものではない、付随して文壇に興味があるなら、是非手に取っていただきたいが、悪口の収集だけのために読むのはあまりお勧めできない犯行予告をすることになる。

悪口の攻撃力を考える。

ここまで2冊の悪口本を読んできたが、それぞれの特徴である言葉の巧さ場面の重さに注目して比較したい。次のようなことを想像してほしい。

軽い場面で言葉の拙い悪口を使う
重い場面で言葉の巧い悪口を使う

以前のような攻撃力は見込めないのではないだろうか、
例として、浮気した恋人に直接言う悪口を考えてもらいたい。

教養悪口本を読んだ方で

マダラヒタキのオス

教養悪口本

を思い浮かんだ方はもう一度考えていただきたい、浮気した恋人に直接言えるだろうか、言ったとして怒りは届くだろうか

悪口と向き合う。

先述の通り『教養悪口本』は悪口の防御性を教えてくれた。これからはモラルのない人間や頭の悪い人間と関わっても、この悪口を使えば盾となる。

同時に『文豪たちの悪口本』では、文豪たちは自分の信念を守るため、時に剣を持って立ち上がった。本来あるべき悪口の攻撃性を教えてくれた。

2冊を読んで世間に流れる悪口を4象限に分類できるようになった。
場面と巧拙によって、性質がわかるようになり、その攻撃性を冷静に分析すれば、それを言った相手の思いも少しは判るようになるだろう。

私はこれまでなるべく悪口は言わずにいたし、これからもなるべく言いたくない。でも悪口とそれを言う人に対する見方は大きく変わった。

終わりに

この文章は教養悪口本の発売にあたり書いた物ですが、両書を等しく扱いたかったために、登場する教養悪口を文脈では使わないようにしたので、期待に添える物ではなかったかもしれません。それでも最後まで読んでいただきありがとうございました。
時間がなく冗長な文章になってしまったため、心中には数多の悪口が思い浮かんでいることですが。それらはきっと極めて巧い言葉が連なっているでしょう。この記事の場面性は極めて軽い物なので。

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