twitterではライトに投稿できたことでnoteでは構えてしまうジレンマ[自己中エッセイ]

8月の終わり頃から現在にかけて、7月~8月中旬頃までさして仕事もなく、少しはあった仕事をふてって滞らせたツケが一気に回ってきた。

働くもの食うべからず

自業自得

昔から人は煩悩や倦怠との付き合い方について、己と向き合い、悩みながら生きてきた。
そして、それを教訓として躓かぬよう、後世にもこれらの言葉や熟語として残すことで、道しるべとしてくれているにもかかわらず、、、、

オイラのような『踊るダメ人間』は、理屈で理解していたつもりであっても、DNAによって輪廻する。

人は進化しているようで、退化もしている。
オイラはダメな方だ。
だから、このままだと嫁さんももらえない。
子どもも残せない。
遺伝子は継承されない。。。。
わずかな望みをつなぐためには、今からでも頑張らねばなるまい。

30代くらいまでは、成り行きで適当に誰かしら自分に寄ってきて、まあ最終的にはなあなあの関係ができる形で嫁さんもつかまるだろう、くらいに思っていたが、結局、50代を手前にした今の今までそんな精神では人生の伴侶などつかまるはずもなく。
40代半ば頃になって、そのことに気づいたが、その後も効果的な打開策はみつからず現在に至ってしまった。

だが、あきめたらそれこそゲームセットである。
自分を磨くことだけは死ぬまで続けなくてはいけない。


ん?

なんか、また、書こうと思っていた道を外れているぞ?
やばいやばい。
忙しいんだよ。追い込まれているんだよ。

でも、noteも続けたい。
できれば、毎日つないでいきたい。

今日はそれについて考えていることを、ひとことだけ書いて、また、明日以降にバトンを託していきたいと思う。

そうなのよ。
ここでタイトルにある

twitterではライトに投稿できたことでnoteでは構えてしまうジレンマ

に陥ってしまうわけですナ。

noteは書こうと思えばいくらでも書けるぶん、今回も冒頭がそうであったように、余計なことをついつい書いてしまうのね。

一方、twitterでは逆に文字数が基本140字ということで、たいていは足りず、一度書いたものを削りに削って収まるようにとりまとめていた。

どっちがいいんだろう? と。

ただ、twitterで140字に収まるよう一生懸命文字量を削っていく作業は、通常のwebや紙の媒体などで所定の文字数に収めるのとやっていることは似ている。
そこから導き出される結論としては、「短文ながらそれなりに洗練された仕上がりになる確率が高い」ということかな。
まあ、それは人にもよると思う。中には少ない文字量に制限されているがゆえに、わりとライトにポーンと修正することなく放り投げるようにつぶやく人もいると思うので。

ただ、文字量が少ないと、逆に情報をいくら詰め込んでもすべてを入れ込めないというデメリットもあるよね。
その場合、補足的な注意事項や条件などが入れられず、変な誤解を招いたり、突っ込まれるスキを作ってしまうことになる。

140字の中にできるだけ書きたいことを詰め込んで、漏れのないようにしようとすることで、かえって盲目となってしまい、あらぬところで誤字脱字が増えることがあるのも泣きどころになるんだよな。
結局、あら探し系の人から突っ込みが入るというwww


では、noteならそれがすべて解決するかというと、理論上は解決するのだが、メンタルなところではそうでもなかったりする。

noteで書こうとすると、“重い”のだ。
容量とかパソコンのスペックという意味ではない。

文字量を気にせずたくさん書ける

→すべてを書かなくてはいけない

→構成から考えないと

→ああ、もうこんなに時間を費やしてしまった!

→結局、「下書き保存」止まり

→しばらく温められてしまう

→ああ、これせっかく書いたんだから完成させなきゃ

→でも、思いついた当時のテンションはもうだだ下がりなんだけどな

→随分かかってしまったし、旬を過ぎちゃった感は否めないけど、せっかく書いたしアップするかぁ

↑今ココ   である(笑)。


そう!
今回の文章そのものが、まさに1ヶ月くらい前に思いついて、途中まで書いたものの、時間がかかりすぎて書き上げきれずに下書き保存で保留しておいて、思い出したかのように書いた記事だったりするのだww

実をいうと、noteを再開……というか、本格的にメインの場として始めて以来、すでに2ヶ月くらいの間に、書き走りや途中までで下書き保存していて、そこで温まったままのものがすでに5~6本はある状態。

さらっと、触りだけ書いたものをそのまま「続く」という形で未完成ながらアップするということもしてみたけど、やはりしっくりこない。

ここでは、あくまである程度仕上がった“作品”としてアップしたい。
それが、noteの「重さ」の根源ではないかと現時点ではとらえている。

そのあたり、人気の書き手の人はどのようにとらえているんだろうねぇ。
これも人によるのかな。
でも、パラパラっとっサーフしてみてみると、みなさん、しっかりと完結までビシッと着地している文章に仕上げている感あるんだよあなぁ。

でも、完結していないからといって、更新が滞ってしまい、見かけ上は何日もコンテンツが更新されないというのもいかがなものなんだろう?
ただ、noteの場合、twitterのような時を争うような即効性は求められていないようにも思うし、、、、その判断が難しい。

まあ、最終的には、ここである程度収入になるようなコンテンツ展開をしていきたいんだよなぁ。

なにしろ、最近は自分のやりたいことが思うようにできず。食っていくためには、発注者や担当者が企画発案したぶっちゃけ「オレは別にやってもやらなくてもいいんだけど。そんなに面白いとも思えないし」という内容に対しても「面白そうですねぇ」などど二枚舌を効かせて対応していかなくてはならない状況が多くて、飽き飽きしている。

そんな状況だもん、取材も執筆もノリがいいわけないわな。

このストレスをどこかで解消し、言ってしまえば、もうやりたくない依頼については、「乗り気な企画でないので、お断りします。ほかにやりたいことを今やれていますので」とか言えちゃうくらいに、自分発信のコンテンツで食えるようになれれば、それが理想形なのよ。

そういうところを目指す模索のひとつとして、このnoteでもある程度有料記事ないし有料マガジンで資金を回せるような形にしていきたいんだよね。
まあ、ほかにもYou Tubeとか、ちょっと時代的には古いけれどもアフリエイト満載のブログとかの方が良いかもしれず、まだ道筋は見えていないのだが。。。

現状、そんな感じで、夢のまた夢状態だけれども、試行錯誤を続けながらなんとか単独で生活サイクルを循環させる環境を作っていきたいと思っている。

その流れからすると、、、、

noteであっても、あまり重くとらえずに、中途半端な状態でもどんどんアップしていっていいのでは?

というのが、とりあえずの結論として、徐々に固まりつつある。

その中で、ある程度商業的価値のあるコンテンツが偶発することに期待して、とにかく発信していこうと思う。
それと、「これは、有料記事としての価値がある」と思うものについては、購読者ゼロ状態がずっと続こうとも、有料で出すつもり。
これも、出し続けていれば、いつかは回転は始まるのではないかという希望的観測でしかないのだが、オイラはnoteについては、参入したときから「ここはコンテンツを販売する場」と決めている。

今はそれ以前に多く人にこの場を知ってもらわなければならないので、当面の間は無料ブログ的な運用をせざるを得ないが、次のステップに突入するタイミングでオンラインサロン的な有料マガジンを立ち上げて、うまく回せるようであれば回していこうと思っている。

果たして、うまくいくんか?
という不安のほうが今は大きいが、まあ、やってみてダメならそのときに、別の方向性をまた考えるようにしたい。

今後の展開に、自分で自分に期待しませう!

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