占い わたし これから③ 歴史に見る日本
人生の捉え方って、その人が関わる事象で経験も価値観も食べるものさえも違う
常に怒っている人 ネガティブな人
笑って過ごせる人 楽天的な人
物事をシリアスに捉えがちな人
この「人」を作っているのが環境であり、食事であり、関わる人達でもある
今、日本古代史の本を読み進めているのだけど、やはり日本はどこ変わった国
宗教観も地球上の他の国とはあきらかに違う。
調べてみると、世界人口の約23億人がキリスト教。
その次に多いのがイスラム教18億人、そしてヒンズー教、仏教徒と続いていく
ちなみに日本人は?と聞かれると いったい何教なのだろう。
私は○○教ですって答える人あまりいませんよね。
実際、お正月には神社にお参りに行き、お盆にはお寺へお墓参り、ハロウィンやクリスマスは宗教儀式だけど、なんやわからんが日本でのお祭りイベントで受け入れている。
そしてまさに八百万の神達が日本中にはたくさんいるのですが、ここも海外とは少し違う捉え方のように思う。
私が占いをする時は主にタロットを使うのですが、
海外は神と悪魔が必ずいて、天使と死神と言ったような、相反する対象者の構図
しかし、日本は違う。
神のそのものの中に鬼と化す祟り神が存在する。
呪詛を吐き続きける物の化にならぬように神社を作り、神と崇め、どうぞ飢饉や災難を起こさないでくださいと奉る。
一方、神の方もお前達の祈りが足りぬのなら、こうしてやると言わんばかりの事象が起きる。
菅原道真公の祟りの話は歴史の話としては有名ですよね。
現在は学問の神様として、京都と福岡に天満宮があり多くの参拝客で賑わっていますが、はて?平安の宮中を恐怖に慄かせたのは、他でもないこの方なのです。
現在の日本の政治も同じですが、勢力争いに大いに荒れていたのです。
菅原道真は、政治的手腕のある人だったのでしょう。右大臣という要職についています。一方、反対勢力の左大臣には藤原時平がいました。
時平は、道真が邪魔だったのです。
当時の天皇はまだ年少だった後醍醐天皇。道真が謀反を企んでいるとうまく言いくるめ、無理やり道真を福岡、太宰府へ左遷させたのです。
そこでの暮らしぶりは見るも無惨なあばら家での軟禁生活。
俸禄(お給料)もなく、食事もままならなかったとされています。
その地で失意の死を遂げるのです。
その無念たるや、いかがなものだったかと想像するだけで胸が痛くなります。
道真の死後、京の都に次々と事変が起こるのです。
左遷に追いやった主犯格の藤原時平は39歳の若さで病死してしまします。
その後、後醍醐天皇の皇太子も21歳の若さで急死。
そこから、道真の左遷に関わった人物達が次々と亡くなっていくのです。
そんな時に、「道真の怨霊の仕業」だと宮中では噂されるようになります。
これは大変なことになったと、朝廷はおののきます。
道真の他界後ではありますが、右大臣に位を戻し、正二位を追贈したりしましたが
それでも効き目はありません。
そんな中、宮中の一つである清涼殿に落雷があり、道真公を陥れたひとり
大納言藤原清貫が焼死します。
少し余談ですが、その後も何度も雷が京の都に落ちるのですが、
「桑原」の地には落ちなかったことで、
ゴロゴロと雷が鳴ると、昔の人は「くわばら、くわばら」と唱えたそうです。
今でもその語源、残ってますよね。
若い人達はさずがに使わない言葉ですけど(笑)
このように、恐怖心が生んだ怨霊説、祟りを抑えてください的な御霊信仰の始まり
が日本の宗教観を他の国と同列にできない、複雑な人間模様を成しているように思います。
そこでこの日本においての呪術、占術が政治的中心の役割を果たしていくのが
陰陽寮の人たちなのです。
次回、占いとはなんぞや へ続きます。
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