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美大行けなかったコンプレックス克服までの思い出話②

続きだよ!

美大に行くことを諦めた高校2年生の私は、漠然となんかやりたいなと思い漫画制作をすることになる。
お話を考えたことはあまりなかったので、1番最初は指定された数ページのネームを漫画に描き起こす作画担当発掘賞みたいなものに応募する。
もちろん賞には引っかからなかったが、なんとその原稿を見た編集者の方が電話をかけてきてくれた。
当時美術部員の同級生が持っていた吉成曜画集田中達之画集をかっけー!と思ってバキバキに影響を受けた上での作画原稿だったので、きっと下手なりに目を引いたんだと思う。
※吉成曜画集は一緒に借りた画集だった!
 そのとき影響を受けていたのは田中達之作品集でした


とにもかくにも私は初投稿漫画で担当編集がつくことになった。
まぁまずは自分でお話考えて完成した原稿編集部に送ってきてよという話になる。
 しかし初めてのオリジナルストーリー漫画は、どこかの過程で紛失し、担当編集から連絡はこなかった。
※みんなアナログ原稿はちゃんと書留で送ろうね。

初めてのオリジナルストーリー漫画、確かに郵送したはずなのに、待てど暮らせど担当編集から電話はかかってこない。
そしてやはり私は度胸がないので、担当編集に『送った原稿届いてますか?』の連絡がどうしてもできなかった。

そこでどうしたかというと、出張編集部が私の住んでいる県にくるという情報をゲットした私は、初オリジナルストーリー漫画原稿のコピー&新しく描いたネームを出張編集部に持っていくことにした。

結果は、初めてのオリジナルストーリー漫画は微塵も面白くないが、新しく描いたネームはなんか面白かったらしい。
漫画原稿のコピーと新しいネームはその後、私が連絡できずにいた担当編集のもとに渡され、その時無事読まれることになった。
担当編集の感想も、出張編集部で見てくれた編集の方と同じで、
原稿のコピーの方は全然面白くないけど新しいネームの方は面白いから、このまま少し修正して月例賞に出そうねということになる。
(ちなみに「完成原稿の方は俺読んでないけど、たぶん封筒のまま月例賞のほうに回してだめだったんじゃないかな」と言われた。ほんまかいな)

そしてなんとそのネームをもとに完成させた漫画が月例賞のうち小さめの賞に入賞した。
毎週読んでいる漫画の連載作家陣が、私の考えた漫画へのコメントをしてくれていた。その時の感動は忘れられない。

この時点でおそらくギリギリ高校在学中の出来事だったような気がする。
美大には行けないが、私は就職して仕事をしながら漫画を描き続け、連載決定と共に仕事を辞めて東京に旅立つのだ…という新たな夢が確立する。

お察しだと思うが私は漫画家にはなれなかった。

その後の経過を以下にまとめる。
・入賞後にいくつかネームを描くが全没が続く。
・割と自信のあった新作ネーム、郵送後やはり待てど暮らせど連絡がこない。担当編集に連絡するも適当にあしらわれ、後日かかってきた電話でネームをぼろくそに言われ全没。
・いや絶対これは面白いだろという思いが消えず、友人とイラスト合同誌で参加したコミティアに来ていた別の漫画雑誌の出張編集部にネームのコピーを持ち込む。面白いと言われ(ほらやっぱり)ネームを直してその漫画雑誌の新人賞に投稿。
・新人賞の中の一番下の賞に入賞する。新人賞だから授賞式があり東京に行く。嬉しい。
※その時の漫画を昨日Twitterにあげたところ、おすすめに載ったらしく私史上でめちゃくちゃバズったから見てほしい。このポストからnote来てくれた人もありがとうね。

・次に描いた漫画は新人賞落選。月例賞の小さな賞に入る。
・その次に描いた漫画が新人賞の前回よりちょっと上の賞にはいる。授賞式に行く。嬉しい。
・その次に描いた漫画も新人賞落選。月例賞の小さな賞に入る。
・新作ネームを描くが担当編集が微妙な反応。このまま原稿に進めてもいいけど…と言われるが没にする。もっともっと面白い漫画を描くぞと決意する。
・描けない
・全然思いつかない
・新人賞の締め切りが迫る。
・なにも描けない。
・新人賞の締め切りが過ぎる。
・描けない。
・担当編集から連絡が来なくなる。
・描けない
・描けない
・つらい
 以上。

前回の記事でも書いたが、私は妬み嫉みをエネルギーにして絵を描いていた。
それは高校を卒業をした後も続き、なんなら拗らせ、妬み嫉みの対象は絵描きに限らず進学することができた人々にも向いていた。
私は、無事進学ができ、学費なんて気にせずにキャンパスライフを送っている同年代の人々が羨ましくて仕方がなかった。
仕事をしながら漫画を描き、認められたかった。
専門性のある学校に行かなくたってプロになれるんだと、架空の誰かを見返したかったのだ。

でも私は漫画家にはなれなかった。
妬み嫉みをエネルギーにしても絵は上達するかもしれないが、それと同時に自分自身の心はどんどん消耗していき、ついには折れた。
絵を描くという行為は私に苦痛しか与えなくなっていた。
私は絵を描くのを辞めた。

次回、克服編。たぶん最後


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