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美大行けなかったコンプレックス克服までの思い出話①

こんばんは。今晩は私の自分語りたい欲に付き合っていただきたい。

「お前美大行ってもいいぞ。ただし行くなら有名大学にしろよ」
事の始まりは田舎の公立高校入学直後、車を運転しながらの父の言葉だった。
私はただの片田舎の絵を描くのが好きなオタク気質な高校1年生(なりたて)
高校も入学したばかりなのに、この親父は突然何を言い出すのかと思った。

当時私は将来のことなど微塵も考えておらず、漫画『動物のお医者さん』が好きだから獣医とかもいんじゃない~?とか適当に考えてたくらいの高校1年生(なりたて)だった。
何、突然?と尋ねると、なんでも父の知り合いの息子だか娘だかが、最近音楽をやるのに有名私立芸大に合格し通っているらしい。
その話を聞いて父は思ったのだろう。うちの娘もなんか絵描いてるっぽいし行けんじゃね?と。

結論から言うと、有名な某私立美大なんて行けるお金はなく、のちに提案した国立美大もことごとくこんな学費は払えないときっぱり突っぱねられた。

突然父に「美大行ってもいいぞ」なんて言われても、美大のことなんてまだよくわからないし、
正直美大のデッサンやら難しい絵よりも、専門学校とかのほうが私の性にあってそう~とか高校に置いてあるイラスト専門学校のパンフレットをパラパラめくりながら思っていたわけだ。
ただ、『美大(有名大学限定)行ってもいいぞ』
この父の紙っぺらより軽い言葉を後ろ盾に、その他もろもろの要因が絡み合って、私はどんどん美大に行きたくなっていってしまう。

高校入学してすぐに美術部に入部した。
その年はなぜか、例年より新入生の美術部入部希望者が多かったらしく先輩が喜んでいたのを微妙に覚えている。中学の時はお絵描き仲間がほぼいなかったので、同学年で絵を描く友達ができてうれしかった。

私が通っていた高校の美術部では、定期的にデッサン、クロッキー、絵画の模写なんかをやりつつ、年一くらいでほかの高校の美術部と合同で絵を描いたり、高文連に向けて個人の作品も作ったり、公募なんかもこんなのあるから希望者は出してもいいよ、みたいな感じの活動をしていた。(気がする。たぶん)
その中で、某私立美術大学の予備校の方もたまにきて、こんな授業をやってて通信で某私立美術大学に通えたりするんだよ卒業資格もとれるよみたいなスライドショーをやったりしていた。
デッサンもやってみたら意外と楽しかったし、たまにくる予備校の先生も短期講習とかやってるよ~と言っていたから、なんか楽しそう~ってテンションで短期講習に申し込む。

我が家は将来の話を家族間で全然共有しない家庭だった。
「美大行っていいよ」と言ったのも完全に父の独断で、
母は父がそんな適当なことを娘に言っていたなんて全然知らないまま、
高校卒業してから数年たった後の祖父の葬式のときに父がポロッとこぼした言葉ではじめて知ったらしい。
私も母がここまで完全に知らなかったという事実を、同じく祖父の葬式の時に初めて知った。
私はそんな当時何も知らない母に、この予備校の短期講習に行ってみたいんだと打診する。
若干怪訝な顔をされた気がするが、まぁ行ってみたいなら行けば、というような感じで行くことを許可された。

美大行きたい欲が溢れたきっかけは、もしかしたらこの短期講習だったのかもしれない。
デッサンはダントツで下手だった。
美大予備校あるあるなのかもしれないが、あの短期講習の中にもガチで美大を目指している人や、浪人生なんかもいたんだろう。
まじでみんなうまかった。
当時の私は妬み嫉みをエネルギーに絵を描くタイプだったので、それはもうエネルギーが溢れてたまらなかったんだと思う。
美大にいってやる!みたいな決心はまだないにせよ、ここにいる全員叩き潰せるくらい上手く描けるようになりたいくらいの感情は抱いていたような気がする。
それがいつしか増幅し、夏期講習冬期講習常連のふわふわ野郎になっていく。
何故夏期冬期限定で行くのかというと、実家から予備校まで車で片道3時間くらいかかったので常に通うのはちょっと無理そうで、
予備校の先生もそこらへん考慮してか、夏期講習冬期講習の時期になると電話がかかってくるので、じゃあ今回も行きますねって感じで行くようになった。

ここまで読んでなんとなく察している方も多いと思うが、
私はたいして真剣に進路を考えていなかった。
まぁ「美大行ってもいいよ」って言われてるし、このまま頑張って練習して予備校の先生の言う通りにしていれば美大行けんじゃないかなーくらいに考えている。
当時何も知らない母には、度々看護学校と勧められるようになっていた。
父は美大に行けと言っているのに、なぜ母はこうも看護学校に行かせたがるのか?
絵を描きたい、全ての者を私のデッサンで叩きのめしたいと考えている当時の私はイライラしながら車のドアを無言で強く閉めた。何も知らなかった母ごめん。当時の私を許して

ついでに言うとお金の価値もたいしてわかっていなかった。
進路を決めるタイムリミットのときに、美大別学費一覧みたいな紙をファックスもらって見てみても全然ピンとこなかった。
ただ父の一番最初に提案していた有名私立美大は、トップクラスで金額がでかいということはわかった。
父はこのファックスみて初めて現実を知ったらしい。
このファックスはいつの間にか捨てられており、後日父を問い詰めたときにはっきりこの学費は無理だと言われた。

予備校の先生に相談したところ、一度予備校の学長と私の両親と話しをしようということになる。
この話を、私は父のみにした。
看護学校をやたら勧めてくる母に、『ちょっと美大行きたいから学費のことで片道3時間かけて美大の予備校行って将来の話でもしない?』と切り出す勇気は私はなかった。まぁ、私が言わなくても父から母に話してくれるだろうと。
ただ父はこのことも母に言わなかった。
きっと父も軽く美大すすめたことを母に怒られるのやだなって思ったんじゃないかな。似た者親子だね
なので当日は二人で予備校に行くことになる。
おそらくこの日私たちが予備校に美大の学費の話をしに行ったことを私の母は未だに知らない。

その日は私、父、予備校の学長、いつも電話をかけてくる予備校の先生の4人で話をした。
そこそこ長い間話をしていた気がするが、なぜかその内容を私は全く覚えていない。
ただ、話が終わったとき予備校の先生に『素敵なお父様ですね』と言われたことだけ覚えている。
本当に全然覚えていないが、おそらく父は娘の行きたい気持ちは尊重するが、この学費はちょっとねえなんてニコニコしながら喋っていたんだろう。たぶん。なんか言ってそうな気がする。
不思議なんだが本当に全く覚えてないからなんとも言えない。
ただその時私が感じたのは、もう絶対に美大に行けないだという確信と漠然とした絶望感だった。
予備校の先生からそれ以降講習の連絡が来ることはなかった。

わかる。行けないことはない。本当に行って勉強したいなら奨学金でもなんでも借りていけばいいんだから。
その後母にも言われた。本当に行きたいなら働いて自分の稼いだお金で行きなさいと。
至極全うその通り!
ただ将来を真剣に考えてこなかった高校2年生の私にそんな度胸はなかった。
美大に行ったところで就職が有利になるわけでもない。そもそも合格できるかもわからない。無事合格できたとして卒業後アルバイトしながら画家として活動する為に多額の奨学金を借りるのか?そんな私をみて周りの人間は私をどんな目でみるんだろう。
私は周りの目が怖かった。世間体なんてくそくらえと思いながら、私自身が一番世間の目を恐れていた。

私は高卒で就職することにした。
ほかの大学を目指す気にはならなかった。私が行きたいのは美大だったから。
田舎だったからか就職組も結構いたし、奨学金借りて美大を目指すより周囲の大人の目は優しい目をしていた。きっと。当時の私はそう納得していた。

まぁ、美大目指さなくても絵は描けるしね!
とりあえず絵描けばいいじゃん!描けば描くだけ上達するし!!
将来のことはよくわからんけど、とりあえず手動かそう!
そんな私が目を付けたのは、当時購読していた少年ジャンプの漫画公募のページだった

次回、初めての漫画作成




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