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美大行けなかったコンプレックス克服までの思い出話③

続きだよ!

美大に行かず就職すると決めたとき一番恐れていたのは、
大人になるにつれ絵を描かなくなってしまうことだった。
小さい頃から絵を描き続け、それなりに自己肯定感の低かった私は、
唯一の特技といえる絵を描く行為をやめれば、私の価値なんてなくなるんだと本気で思っていた。
絵を描いていない私に未来なんてないと。

しかし絵を描くことから逃げた先の世界は、私が思っていたよりもずっとずっと楽しかった。
絵を描かなくても友達はご飯にいってくれるし、職場の人とも変わらず楽しく話せるし、絵を描かない私を好きだと言ってくれる人も現れた。
どうやら世の中、絵を描く人の方がレアだったらしい。
私が絵を描くことをやめたところで、世界は何も変わらなかった。

私は気兼ねなく絵を描くことを止め続けることにした。
本当に絵を描くことが好きなのだとしたら、そのうち描きたくなるだろうと。

絵を描くのをやめてから1年後、あまりに絵を描かなくても平気なので、ためしにコミティアに向けてイラスト本を制作してみることにした。
描けなくはなかった。
描いてる作業自体は楽しかったと思う。
ただ描き始めるまでが本当に億劫だった。
描き始めたら描き始めたでなんとかなって、イラスト本も無事完成させてコミティアで頒布することもできた。
ただ、億劫だと思いながら絵を描くことに意味があるんだろうか?
世の中には絵や漫画がうまい人がたくさんいる。
別に私が描く必要なんてないんじゃないか?
そこから更に4年間、私は全く絵を描かなかった。

きっと私はそこまで絵を描くことが好きではなかったのだ。
だって描かなくても平気なんだから。

漫画を描くようになってから特に意識して観ていた映画や漫画も、絵を描かなくなってからはほぼ観なくなってしまった。
以前までは感情が大きく動く作品にたくさん出会いたくて、たくさん作品を観ていたのに、
この頃にはなるべく心を動かされたくないと思うようになっていた。

心が折れてからの5年の間に、私は結婚し子供を産んだ。
進学していった同年代もそれぞれ大学や専門学校を卒業して働き始めていて、進学できなかったことに対しての劣等感も徐々に薄れていった。
そして何より、高卒で地元に就職したからこそ旦那と出会い、我が子に会えたのだと思うだけで、これだけであのとき就職の道を選んでよかったなと心の底から思えた。そこに関しての後悔は一切なくなっていた。
絵を描かない日々はとても充実していて、幸せだった。

ただ美術大学というものに対する思いはまだ複雑だった。
高校2年生のとき予備校の先生とした面談終わりに感じた絶望感
絵を描き続けることができなかった無念さ
そして少ない人数かもしれないが、私が絵を描かなくなった事を悲しんでくれる人に対しての申し訳なさ
美大関連の話を聞くと、必然的にそんなネガティブ感情を思い出して辛くなったのだ。
私はおそらく今後もう二度と絵を描くことはないのだろう。
だけど、美大に行けなかったことへのコンプレックス、もとい絵・創作関係全てのものに対してのうしろめたさ、やりきれなかった後悔の念…みたいなものは、今後も一生心の隅に付きまとうんだろうなと思っていた。

そんなことを考えていた矢先、Twitterで『イラスト大教室』というオンラインイラストコミュニティの存在を知る。
「ママじゃない、自分のためだけの時間!」がモットーの女性専用のコミュニティ※ママじゃなくても入れる
そこにはイラストの先生はおらず、メンバーみんなでそれぞれ練習したり、作品発表したり、雑談したり、なコミュニティらしい。
私はこの頃になると、少しだけ育児も落ち着いてきており、
ぶっちゃけるちょっとだけ絵が描きたくなっていた。ちょっとだけね!
私も昔は『絵を描くのが楽しい!』と思っていた時期が確かに存在していたはずなのだ。
その頃のように純粋に楽しく、また絵を楽しみたいという気持ちがうまれていた。
でも、描き始めるまでが本当に本当に億劫で、描いたところで上手に描けないしいいやという風な感じで途中で投げだしていた。

ここなら絵を描くモチベーションを保てるのではないか?また絵を描けるのではないか?
そんな希望を胸に私はこのコミュニティのメンバー募集に応募した。

端的に言うと、このイラストコミュニティに入ってから見える世界が変わった。
こんなこと書くとPRみたいだな。PRじゃないです。勝手に書いてます。勝手に書いていいのかな
絵を描くという事に対する考え方が変わったという話だよ

今まで何故、絵を描くのがこんなに億劫に感じていたのかというと、
妬み嫉みエネルギーのみで絵を描いていたからだということに気付いた。
他人とばかり比べて、無意識に自分で自分を攻撃してしまっていたのだ。
『あの人はこんなに上手いのにお前全然だめだな』
『あの人はこんなに練習してるのに、お前なんで練習してないの?』
『褒められたからって自惚れるな。あの人より全然下手だよ』
頑張っても自分自身にその都度否定されれば絵なんて楽しく描けるわけがない。
そしてこれまた厄介なことだが、自分で自分を攻撃するのと同時に、私のプライドはエベレストのように高く、そして醜く膨大になっていた。
『この程度のもの描けて当然』
『これぐらい私なら描ける』
そう思いながら描き始めてしまうからこそ、描けなかったときに悔しくてやるせなくて嫌になっていた。

このコミュニティでは『比べるなら、昨日の自分と。』というモットーがある。
これだけ読むと、まぁそんなのそうだよねとも思うんだけど、
コミュニティ内にいるとそれを身をもって体験できた。
ここでは練習してもいいし、練習しなくてもいいし、描きたくなかったら別に描かなくてもよかった。
プロもアマもお絵描き初心者の人だってたくさんいて、美大出身の人だって美大に行ってない人だってたくさんいた。
ここではプロもアマもお絵描き初心者も美大出身の人も美大出身じゃない人も、みんな対等だった。
ここでは妬みも嫉みもなく、ただただみんなのイラストが素敵に見えた。
私自身の絵を描くハードルがグッと下がった。
素直に練習できるようになったし、結果描く枚数も増えた。
他人と比べるのをやめることで私の心は軽くなり、醜いプライドも崩れていった。

一人で孤独に上り詰めることで得られる力はあると思う。
私が今まで好きになった作品は、そういうストイックさの中から生まれたものもたくさんあったろうと思う。
だからこそそこに憧れて、私自身も孤独に、ストイックに、自分に厳しく頑張らねばと思っていた。
でもその結果、私の場合は5年も絵が描けなくなった。

思い返せば、高校の時はまだ絵を描くのが純粋に楽しかった気がする。
美術部員のみんなでワイワイ絵を描くのが楽しかった。
私はずっと、本当は誰かと一緒にお絵描きを楽しみたかったのかもしれない。

『イラスト大教室』という名前は、大学の大教室をイメージして名付けたとのことだった。
あ、じゃあ実質私は今美大に通っているのでは??と思いながら主催のかざりさんに連絡したところ、
あくまで名前を決める際たまたまわかりやすいかな?と大学の大教室を思い出しただけで、コミュニティの内容自体は美大をイメージして作ったわけでは決してないとのことだった。違ったわワロリン
最後は若干の私の認識違いではあったものの、私の美大行けなかったコンプレックスはこのコミュニティに入ったのをきっかけにいつの間にか消えていた。

そんなわけで現在は気楽に自分のペースで絵を描いている。
練習しようがしてなかろうが、描くペースが落ちようが、私が考えていたよりも他人はそんなこと特段気にしてないらしい。
無駄にストイックになってまた数年絵が描けなくなるのもコスパが悪いので、
気が済むまでのんびりゆっくりお絵描きを楽しんでいきたいなーと今は思っている。

ここまで読んでくれた方ありがとう。
悶々としていた過去を文字にして整理することで更に私の心は軽くなった。やったね!

イラストコミュニティ詳細です。気になった方見てみてね。

入会の決め手のひとつになった主催かざりさんの記事も是非見てみてください。美大の話です。

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