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「好きな人候補者」が常にいたわたしは、結婚を勝手に万能な解決策にしていたかもしれない💍

最近、母校の大学の学園祭へ、所属していたサークルの後輩たちのステージを見に行った。

あいにくの雨で、ステージ自体はたくさんの傘に囲まれて見づらかった。
でも、後輩たちのキラキラした笑顔や、活気にあふれた学内が、雨の中でもわたしにはとても眩しかった。

1つ下の代の後輩たちも働き始めて、同期は社会人2年目で少しできることも増えて、みんな苦労しながらも波に乗っていた。
休職という形で立ち止まっている自分が少し置いていかれているような気分がした。

ステージの後に仲間とお茶をしていて、恋愛の話になった。

大学の同期や、中高時代の古い友人がちらほらと結婚、婚約しはじめている。
その中で、大学時代に恋愛経験がなかった子が焦りを感じたという。

マッチングアプリを使って、1人付き合ってみたものの、友達として人間として好きだけれど、ちょっと"オス"が出ると気持ち悪いと思ってしまうという。

わたしはいつも「好きな人候補者」がいた恋愛スタイル


わたしは今のパートナーと出会うまで、常に恋愛していたいタイプの人間だった。自分では認めなかったけど。

常に友達やちょっと親しいくらいの男子のうち誰かしら1人が、「好きな人候補者」だった。

わたしもたしかに、"オス"を感じると嫌だと思う時期はあったけれど、「好きな人候補者」が常にいる状態になってからは、むしろわたしが常に"メス"を出していたんじゃないかと思う。
男性たちがそれを感じ取っていたかは別の話ではあるが。

わたしの親しい友人の中だけでも、いろんな恋愛のタイプがいて興味深いなと思う。

彼女のように、"オス"を感じる、あるいは好意を感じると嫌になってしまうカエル化現象になってしまう人。

男性に奢られるのも嫌、とにかく対等でいたい、いやむしろ自由に働けるように干渉しないでほしい。欲を言えば、家事万能な主夫がほしい人。

アイドルやイケメン俳優が好きで、ストライクゾーンが狭くなった理想が高い人。

ものすごくかわいくていい子なのになぜかクズ男に遊ばれてしまう人。

経済力、学歴に明確な条件を持っていて、見た目は二の次で割り切れる、論理的な理想を描く人。

自分のタイプではないけど、一般的に見て最高な条件の人と付き合っているから別れない人。

純愛を望んでいるのに、相手に純愛を望まれない人。

性欲だけで恋愛感情を望まない人。

ずっと恋愛経験がなかったが、一度軽い気持ちで経験してコンプレックスを解消したことで気が済んだ人。

いろいろいる。

一緒にお茶をしていた同期の言うように、
一見すると先に挙げたタイプの大半は「恋愛に向いてない」の一言で片付きそうだが、
彼女は続けて興味深いことを言う。

「結婚したいけど恋愛こじらせてる人って、どうして結婚したいの?というか結婚をどう捉えてるの?」

たしかに。

「恋愛に向いていない人」を細分化してみる

その問いがあると、「恋愛に向いてない人」を細分化する必要がありそうだ。

本当に結婚したいけど恋愛感情を持ったことがなくてどうしたらいいかわからない人。

実は結婚じゃなくても、条件によっては相手はパートナーではなく友人としての関係で十分な人。

自分の望んでいること全てが実は結婚で手に入るわけではないけど、とりあえず結婚が解決策として思いつく人。

「好きな人候補者」がいるモードだった時代のわたしは、3つ目だったと思う。
そして結婚は恋愛ののちにあり、恋愛は自分が好きになった先にあるものと思っていた。
だからいつも、結婚という解決策に近づくために、「好きな人候補者」を近くに作っていた。

わたしは結婚で何を解決したかったんだろうか?

この問いが、「恋愛に向いていない」と言われがちな友人たちへのヒントになるのではないだろうか。

実は結婚ではなくてもいい、人との関係性や自分の不安への解決策にしていた?

当時のわたしは、華の女子大生なのに今思えば相当生き急いでいた。今も若干そうだけど。

せっかく頑張って入った一流大学で出会った
賢く逞しい人と付き合って、純愛を貫いて卒業3年後に結婚する。
彼は、商社か外資系に勤めて、いつか駐在に帯同してちゃっかり外国に住みたい。
わたしは、好きな仕事に就いて、彼の駐在のタイミングでうまいこと転職。

と言った具合に、東京カレンダーに連載されそうな生活に憧れ、好きな人候補者」をだいぶ慎重に見定めていた。

結果、大学2年以降、卒業まで誰とも付き合わなかったが。

わたしが解決したかったのは、
安定した生活、より正確には豊かで充実しすぎているくらいの生活を、
経済的にも精神的にも保障してくれるパートナーを得ることだったのだろう。

だから、わたしの暗黙の条件は
海外駐在できそうな英語が話せる人で
そういう企業に入れそうな要領の良い人で
純愛を貫けそうなどちらかというと恋愛経験が多くない人
だった気がする。

たまに、明らかに遊びきった感じのする、スマートでいかにも港区のお坊ちゃんぽい子に憧れたこともあったが、それは置いておく。

結婚したい人ができた今のわたしの“解決策としての結婚”

結婚したいとお互いに思っているパートナーがいる今、結婚を何の解決策か試しに考えみる。

それはだいぶ変わった気がする。

解決策という言葉をあえて使うならば、わたしにとって結婚は
パートナーとずっと一緒にいるための、お互いへの約束であるだけだと思う。

それ以外に特に思い浮かばなかった。
なぜなら、別に結婚していなくても、彼はそこにいるから。

今のつらいうつ病の状態や休職の期間も含め、付き合うと一緒にいるのが当たり前になってくるし、お互いをいかに励まして力になれるかが交際なのではないかと思っている。

いつも「好きな人候補者」がいた状態の頃のわたしは、結婚しない限り人間関係は不安定だと思っていた。

たしかに、デートっぽいことをしてみては自分から、あるいは相手から離れてということを繰り返していたら疑いたくもなる。

でも、よく考えてみると、友達としての関係に結婚のような契約は発生しない。親友という言葉を使ってお互いを特別な友達だと周りに伝えることはあっても、それ以上のことはない。

つまり、わざわざ契約なんてものがなくても本来人間は一緒にいることができるはずだ。

ではなぜ、恋愛を経て、あるいは経ることがなくても結婚という契約が発生するのか。
そしてこれを考えると、一人の男と一人の女という組み合わせ以外の婚姻を認める制度が必要とされている理由も浮かび上がってくる気がする。

2つ理由があると思う。

同じ戸籍に入ることで、ともに暮らし、支え合っていくことを政府に宣言し、代わりにそれなりの社会保障を受け取るためではないだろうか。

もう1つ精神的な理由は、「結婚している2人」というステータス。
1つ目の理由に裏付けられている安定ではあるが、何かしらに永遠を誓い合った二人は、周りの人にずっと一緒にいることをある意味認められるのではないだろうか。

まあ、個人的には別にどうして他人が愛し合う二人が一緒にいることに、認めるだの認めないだのと首を突っ込む必要があるのかは疑問だが、
でも実際に社会的な承認というは大きな役割があることも否めない。

こうして結婚という契約を考えてみると、
わたしも含め結婚を考えるすべての迷える人々は一度結婚は自分にとって何をもたらすものか考えてみるのもいいかもしれない。

そうすることで、自分の理想の結婚が見えてきて
どんな人と誓い合いたいか、見えてくるのではないだろうか。

そう考えると、これはわたしが絶賛奮闘中の
転職のための自己分析やセルフコーチングと似ている気がする。

自分の理想の姿形を捉え、相手とマッチするかよく観察する。
マッチしたのちに何が欲しいかもよく考える。

そう、世の中文字通りマッチングが大事なのだ。

未熟な24歳の独り言は以上!

それでは。


もっと電車乗って人間つれづれ書きます🚃