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ポジティブな言葉は、誰かを傷つけることがある

過去のメモ書きを振り返っていたら、

〝 本当の癒しはポジティブな言葉ではなくて、ネガティブな経験の共有かもしれない 〟

と書かれていて、本当にそうだなぁと思った。

苦しみのさなかにいるとき「この地獄は、誰にも理解されない」と思ってしまう。こんな経験をしているのは、自分だけだと信じて疑わない。けど実際は、誰かしら通った道であることがほとんど。ネガティブな経験を共有してくれる人がいると、ちょっとした事故みたいなものだったんだな、と思えてくる。

私たちの経験は、必ず誰かの癒しになる。

一方で、上辺だけのポジティブな言葉は、誰にもわかってもらえない絶望感を強めることがある。もちろん、同じ言葉で癒される人もいるのだから、扱いが難しい。

正しく共感できているかが肝なのだろう。誰かに共感しようとするとき、自分が経験した範囲だけで相手の経験を切り取り、理解したつもりになることは、往々にしてある。

他者の人生は背景が複雑に入り混じって今がある。だから、誰だって完全に相手を理解しきることはできない。せめて、ポジティブな言葉を使うときほど、誰かを傷つけるかもしれないことを覚えておきたい。それだけで、ぐっと相手に寄り添える気がしている。



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