だから、ハイキューが好き
1ヶ月前、「劇場版ハイキュー‼ ゴミ捨て場の決戦」を観に行った。
1ヶ月前、この記事を途中まで書いて却下した。
なぜなら、あまりにもタイトルも内容も普通だったからだ。
1ヶ月後の今日、どうしてもこの記事を書ききりたくなってしまった。
なぜなら、あまりにもハイキューが好きだからだ。
ハイキューの好きなところを、冒頭に一言で述べてしまいたい。
それは、「やっぱり私、スポーツがどうしようもなく好きなんだ。」と思い出させてくれるところだ。
漫画が完結して4年。その間ハイキューに触れてこなかった私は、今回の映画を観てハッとした。この作品の良さを思い出したどころか、更に、更に更に好きになってしまった。
その良さについて、勝手に語らせていただく。
①プロだけでなく、脱落者も許容する
ハイキューには、様々な立場の人が登場する。
皆、高校でバレーをしていたことは共通だが、
プロになって海外でプレーする者、
プロになって日本でプレーする者、
社会人チームでプレーする者、
高校でバレーを辞める者、
医者やおにぎり屋になりバレーから完全に離れる者。
全国大会出場の強者でも、どれだけバレーが好きでも、皆が続ける道を選ぶ訳ではない。
各人が抱くバレーへの愛、憎しみ、諦め、後悔、、、
各人それぞれの環境、才能、性格、夢、、、
色々な条件が起因して、バレーを続けない選択をする者がいる。
ハイキューは、全ての人を許容する。
プロになることが全てじゃない、バレーが好きなら各人がそれぞれ好きな関わり方を選択すればいい、と教えてくれる。
作者の古舘先生は、きっとバレーを辞める者を「脱落者」とは呼ばないだろう。
バレー未経験の私に対しても、「あ、知識や経験がなくても、好きなら好きって認めていいんだよ」と笑顔で言ってくれそうだ。お顔を拝見したことすらないけれど、そんな気がする。
②スポーツに関わる喜びを思い出させる
私は単行本でハイキューを読んでいた。毎巻泣いていた。
「くそッ、やっぱりスポーツって最高じゃねえか…」
運動部なんて辛いばかりだ。ろくなもんじゃない。くるしくて、くるしいけれど、たった一つの成功で、全てを忘れてしまう。見たことのない景色を見たときの、何にも代え難い快感に、心を奪われてしまう。
古舘先生はそれを表現するのが上手すぎる。
しかし、今回の映画は更にヤバかった。
劇中、映像が俯瞰ではなく、プレイヤー目線になる部分がある。目まぐるしく動く敵と味方、脳が処理しきれないほど動きまくるボール。
まるで、自分がプレイヤーのようだ。
バレーが全く出来ない私でも、選手の目線を体感できてしまう。
この場面で、フラッシュバックした景色がある。
それは、私が高校時代に所属していたハンドボール部の紅白戦での景色だ。
私達は高3の春、全国大会優勝経験のある強豪校に惨敗した。引退後、最後に母校の体育館で紅白戦を行った。
私は3年間キーパーをしていた。だが、この試合で生まれて初めて、攻撃のポジションにつかせてもらった。
相手のボールを奪取した瞬間、全員が敵陣にダッシュする。目まぐるしく変化する敵、味方、ボールの配置。私はぶっ飛んだ。なんだこれ。なんだこのスピード感。今までゴール前から俯瞰で観ていた景色が、私の周りで3次元で高速に展開されている。
す、すげぇ…
この時の衝撃は、凄まじかった。
でも、忘れていた。
劇中のバレー選手目線の景色を見た瞬間、あの紅白戦での景色が駆動しはじめた。あの時の衝撃と感動が、突如として胸に押し寄せた。
ハンドボール、好きだったんだな。
痛いだけで、面白くなくて、嫌いで、高校っきりのハンドボール。もしかしたら、かけがえのない時間だったのかもしれないと、やっと気付くことができた。
おわりにおわらない
終わらない。尽きない。
プロになることを諦めても、チームに所属しなくなっても、そもそもプレイしなくなっても、試合すら観に行かなくなっても。結局、プレイや観戦で得た衝撃は忘れられない。好きなものは好きなのだ。
ハイキューは、そのことを思い出させてくれる。
私のような、スポーツを真っ直ぐに愛せない捻くれ者ですら、許容して抱きしめてくれる。
勝手にそんな気がしている。
だから、ハイキューが大好きなのだ。
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