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学びたいときが学びどき

お友達と一緒にいる我が子を見て
「走るのが遅いな、大丈夫かな」とか
「字がうまく書けないけどまだ直さなくて良い?」などと
比較して不安になるのが親というもの。

子どもと外へ出かけるようになった頃、
私もそんな小さな比較を重ねては、
最初は親子でスイミング?それともスポーツ教室?
幼児教室ってどんなとこ??
と近所を調べ始めました。

周囲を見れば、0歳・1歳からの習い事は当たり前。
複数の習い事の送り迎えに翻弄する親の姿を見て、
うちは平日は連れていけないし土日に入れる?
でもやっぱり週末は休みたいよなぁ…などと焦ったり。

ちょっと、立ち止まって考えてみた。

子どもが意思表示できないうちは、
親がそこへ連れていけば良いだけ。
でも2歳・3歳になってくると、
嫌だとハッキリ拒否反応する子も居る。

素直に通い始めた子は、
うまくいけば園の運動会で上位に入り、
七夕の短冊に書かれた字が美しくて、
保育参観でも積極的に発言したりして、
それみて喜んでいるパパママを見て「もっと喜んでほしい!」と
さらに頑張って伸びる、みたいなこともある。

だけど、
もしまだ「嫌だ」という選択肢を知らず、
または表現することを知らず、
ストレスを覚えながら習っていたとしたら…
それは本当に「子どものため」になるのだろうか?

得意なことが見つかれば伸ばしてあげたいし、
劣るところがあればその凹みを少しでも埋めるべく習わせたいのが親心。

だけど、
その子の成長過程、このタイミングでその習い事は適当なのか?
その子の個性を逆に見え辛くしてはいないか?
凹みを無理やり平らにすることは子どもの未来に本当にメリットになるのか?

良かれと思ってする親の行動は、もっと慎重に考えた方が良いのではないかと不安になり、ぐるぐると考えを巡らせました。
そして「習い事を始めるタイミングは本人が最もよくわかっているんじゃないか?」という発想に至りました。

その理由を3つ挙げます。

1.保育士勉強で学んだ子供の発育・成長のしくみ

保育士の資格取得で学んだ
「子供の身体や脳が育っていく過程には順序、段階がある」
という内容は大変衝撃的で、
その後の子供との関わり方を変えました。

寝返りもハイハイも、
何でもイヤイヤ言っちゃうのも、
箱ティッシュの紙を全部出しちゃうのも、
あらゆる子どもの行動には意味があり、
発達・成長段階に必要なことだったのです。
何かが欠けると、後でそれを補うような廻り道をすることもある
と。

朝、保育園に出発するまであと数分というタイミングに
折り紙に夢中になっている我が子を見て、
正直、イライラしちゃってた私。
それを知ってからは(まぁイラッとはするもののも)
時間の許す限り、
本人の「今やりたいこと」を最優先する育児に切り替わりました。

成長の過程で何を学ぶべきかは、
本人が最もわかっている
ってことだと捉えました。

※身体や脳、神経系の発達・発育については「スキャモンの発育曲線」が大変わかりやすく腹落ちします。

2.社会人になってからの「学び」経験

学校の勉強は特に面白くなくて、
みんながそうしてるから授業を受けているだけ。
勉強は受験のためだけにやるものだと思ってた。
良い点数を取るゲームの感覚。
大学だって「単位を取って卒業するため」に通ってたようなものだ。

就職後、自分のキャリア形成に不安を覚え、
もう一度大学生になってみた。
これまで学んできた分野とは全く異なる美術の世界で、
授業も課題も楽しくて、何もかもが新鮮な学び。
インプットした内容だけでなく、
仕事と勉強のスイッチを切り替えて、
限りある時間で効率よく自分をコントロールする術を得たり、
椎間板ヘルニアを発症するほど制作に没頭して「自分」を知ったり、
リカレント経験はその後の生き方を大きく変えた。

二人目の育休中に、
野菜ソムリエの資格を取るために勉強。
資格勉強をしたというより、
知りたい事を1つずつインプットしたその先に合格があった、という感覚だった。

次に保育士の知識に興味を持って、
資格取得を目指して勉強してみた。
(独学3ヶ月で保育士合格を目指した受験体験はこちらのブログ
大半は日々の生活や育児・保育園生活に有益な情報で、
その後の子供との暮らしで迷うことが大幅に減って、
これは有益すぎた。

学ぼうと思えば何歳になっても学べる。
学びたい時に学ぶ勉強は、楽しくて夢中になれる。
結果、最も効率よく身に付く、と実感しています。

ちなみに「取っとくと得だから」「知っといて損は無いから」という理由でいくつか他の資格の教科書を手に取ったことがありましたが、
どれも見事に三日坊主。

子どもの意思を尊重することが「芯」を作る

わたし自身、習い事を始めたのは小3の頃。
遅い方だったんじゃないかと思う。
その後、中学でスポーツにのめり込むまでの間に
3つの習い事をして、
どれも2〜3年と短いものの、
一応、我が子に入門を教えられる程度には習得できている。

「こんな英才教育してくれてたら今頃は!・・・」
なんてことも一度も考えたことがない。
親から何かを勧められた記憶はなく、
始めるのもやめるのも、反対されることはなかった。
手配して、月謝を払ってくれた。
いつも自分の選択を尊重してくれた親には、感謝しかないです。

本人の「学びたい」意思があれば、
その効果は最大で得られる。
身体や心がどんな発育・発達状態にあるか?
自分が一番よくわかっていて、
だからこそ学びたい気持ちが湧き上がってくるんです。

学びたくないときには身に付かない。
周りより多少遅れてたっていいじゃないか。
まだそのタイミングじゃないんだから。

たかが生まれて数年でも、彼らには意思がある。
その意思に沿って、親はできる限りの環境を作ってあげることが
(親のものではない)子の人生を尊重することなんだろうと思う。
自分で選んだ道でうまくいったり・いかなかったりして、
そこで学んだことが沢山の引き出しとなり、
人生を支える「柱」とか「芯」を作っていく、
そんなイメージを持ってます。

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