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自分で作った狭い世界は息苦しい

同じ環境に長く身を置いたとき、
●居心地が良くなるか
●息苦しくなってくるか
どっちだろう?

後者が多い私は「飽きっぽいからだな」って片づけてたけど、
どうやらそれだけじゃなさそう。

サラリーマン生活は、
凪の中でそよ風を楽しんだり、
高波で身を揺さぶられたりと、
居心地良いときも、息苦しいときも、
両方たくさんあった。

息苦しいときでも「物は考えよう・捉えよう」
相性の合わない同僚とのストレスフルなコミュニケーションも、
なぜこんな上司に管理されてんの?とモヤモヤしながらの社交辞令も、
それも含めての”お給料”だねーと、
同期とグチってうまくバランス取ってきた。
安定収入と終身雇用はそう簡単に手せない。

でもいざ、会社を辞めると決断したら、
「自分の思うままに前に進める、わたしは何者になってもいいのだ」と、
やっと陸にあがって安心して深呼吸ができるような、
想像していた以上に大解放された心境が待っていた。
そんなに息苦しかったのか!

この感覚、
生まれ育った故郷から離れ誰も知らない地で、
一人暮らしを始めたときに覚えた感覚と同じだと気づきました。

この「息苦しさ」は、どこから来ている?

狭い世界だと気づかず過ごしてきた

物心ついたころから同じ土地、同じ顔ぶれの中、
自分の脚と自転車と、
バスや電車で行ける範囲が知っている世界の全て。

学校は楽しい?
楽しいとか楽しくないとかでなく、
それ以外の選択肢がないから行ってただけ。

テストの成績で上位に入ったところで、
親が喜んでくれる以外に何があるのか。

まぁ希望の大学にも入れたし、
それなりの職業に就けるのだろうか。
ふわっとした気持ちで地元を離れました。

初めて迎えた一人暮らしの夜。

ホームシックになると聞いてたけど?
寂しさなどかけらも感じることなく、
真新しい布団とベッドで、いつもと変わらずぐっすり眠れたし。

1人で暮らすその部屋が、
まるでずっと前からそうしていたかのようにナチュラルだったし。

誰も私を知らない。見ていない。

狭いワンルームで、”人の目”という壁が一つもないおかげで、
「自分の思うままに前に進める、わたしは何者になってもいいのだ」
生まれて初めて味わった解放感でした。

他人軸は自分の首を絞める

他人の目ばかり気にしていたそれまでの私。
自分軸ではなく、他人軸。

いつも誰かに見られているような、
他人と違うことをするとうしろ指を刺されそうな、
別人格になることが恥ずかしいような感覚。

他人から見た自分でガワを作り込んでしまう。
首を絞めてしまう。
これが息苦しさの元でした。
正確に言えば、息苦しさにすら気づいていなかった。

誰もあなたのことなんか見てないし!
誰も縛ってなんかない。

自分軸で生きていても息苦しくなったら

そこからは自分軸で生きられるようになったものの、
この1年、
心や身体の意向に反する時間を過ごしている自覚がありました。
いつものように、
同期に愚痴るとスッキリするんだけど、
すぐに息苦しい現実沼にまた落ちていくような繰り返し。
自分軸でいくら考えても、
なかなか、なかなか、解決しない。

出口を探して本を読み漁り、
考えて考えて思考を整理して見えてきた息苦しさの元は、
「会社員を続けることに縛られていた」でした

誰があなたに会社辞めるな、なんて言った?
また自分で狭い世界を作っていたということ。

息苦しいな、何か違うかもな、と違和感を覚えたら、
「他人軸になっていないか?」と自分に問いかけてみる。
自分軸でも解決できない場合は?
それは「環境を変えろ、次に進め」というメッセージなのかもしれない
また一つ、学びました。

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