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「おばあちゃん」は第3の居場所

徒歩20分の距離に祖母の家があり、
週末や放課後に、よく遊びにいきました。

着いたらまず、美味しい緑茶とみかんをいただきます。
急須や茶碗を先にあたためるとか、
平たい茶匙に取る茶葉の量とか、
複数の茶わんに少しずつぐるぐると注いだら濃さが一定になるとか、
お茶の美味しい淹れ方は、
おばあちゃんに教わりました。

お茶の後は、
おばあちゃんのつくる洋裁や編み物、
パッチワークに小物工作と、
その時々で異なる制作物を見る時間です。

解説しながら実演してくれた後、
私に初級編の材料を渡してくれます。

針に糸を通したら玉結び、
まち針で縫う位置をあわせる、
なみ縫いしたり、返し縫いをしたり。
簡単な基本的動作の繰り返しに夢中になり、
あっという間に夕刻を迎えます。

おばあちゃんは料理も好きで、
生地から作るアップルパイやピザ、
大きな魚を捌いて作るメニュー、
黒豆やなますや煮しめなど、
手の込んだ料理も手伝わせてくれました。

私が「やってみたい」と言うのがわかっているから、
あらかじめ適当な布を見繕っておいてくれたり、
バターを何層にも重ねる面倒なパイ生地部分は先に仕込んでおいたり、
おばあちゃんはいつも用意周到でした。
おかげで私は、
モノづくりの最も面白いハイライト部分だけを経験させてもらえていました。

・・・・・・

たとえば旅先の陶芸体験。
ろくろの横に練られた土が置いてあり、
手ほどきを受けたらすぐに作品作りに入ります。

土の肌触りを楽しみながら、
思った形になかなかならない難しさと格闘しているうちに、
あっという間に時間が過ぎていきます。

何でもない土が何か意味のある形に変わる、
それを施しているのは自分の手。
もっと作ってみたい、次はもっと美しく、
少し難しい形にトライしたい、
そんな気持ちが湧いてきます。

楽しいところだけを切り出した体験、
ほんの30分程度の時間ですが、
日頃使わない感覚を使うことで、
自分の中に眠っていた意欲を呼び起こしたり、
物の見方が変わったり、
その後の生活が豊かになります。

・・・・・・

初めてのモノづくり経験

そうして様々な手ほどきを受けているうちに、
通学用トートバッグを作りたくなりました。
身体が大きくなって背負えなくなったランドセルの
代わりになるものが欲しかったのです。

自分の好きな色、程よい厚さの生地、
教科書や道具類がしっかり入る大きさ、
疲れない持ち手の長さ、ポケットの位置、
全て自分仕様のオリジナルです。

出来上がったトートバックは、
何てことない普通のものだけど、
毎日登校するのが誇らしかったのを覚えています。
自分が使いたいものを、自分の思い通りに作った
いちばん初めの記憶。
私のモノづくり人生のスタートです。

おばあちゃんが居なければ、今の私はない。
本当に、ありがとう。
もっともっと一緒にものづくりしたかったな。

もう一人のおばあちゃん

もう1人、
同じ屋根の下で暮らすおばあちゃんがいました。

親に注意されて一緒に居たくないとき、
見たいテレビが居間で見られないとき、
なんとなく暇なとき、
おもむろにおばあちゃんの部屋に行く。
そんな突然の訪問におばあちゃんは嫌がるそぶりを見せることなく、
孫の話をじっくり聞いてくれ、
あとはのんびり自由に過ごさせてくれる。
気持ちが変わったらさっさと出ていく孫を、
おばあちゃんは黙って見守っててくれました。
勝手すぎる孫でごめん、ありがとう。
振り返ると、いつもそこに居てくれるおばあちゃんの存在は
とても、とてもとても、大きかったです。

おばあちゃんは第3の居場所

私にとって二人のおばあちゃんは「第3の居場所」でした。
身近に祖母がいる子ども時代を過ごせた私は、
本当に幸せ者です。

いまを生きる子ども達は、
学校終わりで沢山の宿題、習い事、部活、受験塾…と、
やることに追われて慌ただしく過ごしています。

本来、そこまで詰め込まなくても、
自分自身で成長できる生き物のはず。
もっと余白があってもよいだろう、
いや、むしろ余白が必要なのではないか、と思うのです。

何にも縛られることなく安心してボーッとできたり、
その子がその時々に心からやりたいと思うものをやりたいだけできて、
友達と、親ではない大人と、
のんびり過ごす時間と場所。
まさにおばあちゃんの部屋・家のような
「第3の居場所」を私は作りたい。

二人のおばあちゃんから与えてもらったものを、
私が次の世代に渡していく番です。

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