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記憶の「部屋」を整理する 思い出が朽ちてしまわないように

突然だが、皆さんは、どれだけ思い出を詳細に覚えているだろうか?

私は残念ながら記憶力にひどく偏りがある。嬉しかったことや感動したことなど忘れたくない思い出ほどなぜか忘れてしまい、悲しかったことや許せないこと、傷ついたことなどさっさと忘れてしまいたいことほどいつまでも記憶している悲しい質だ。

例えば、私にはたくさんの忘れたくないことがある。世界一周やサンティアゴ巡礼で訪れた旅先の美しい景色、感動に震えた気持ち。人からかけてもらった嬉しい言葉。喧嘩をすることもあるけれどいつも味方でいてくれる家族の優しさなどなど。
人生の走馬灯を自分で編集することができたら、ぜひともこれは入れておきたいという瞬間が誰の人生にもあると思う。

だが、私はこの大事な、忘れてしまいたくないことほど普段忘れてしまう。
たぶんこれは、私の脳の性質上仕方のないことでもあるのだと思う。

私は今年(2021年)、32歳で広汎性発達障害と軽度のADHD傾向と診断を受けた。この発達障害は、記憶などを司る脳機能に問題がある障害で、日常の様々なことに問題が生じる。
例えば有名なものだと「部屋を片付けられない」「遅刻する」「マルチタスクが苦手」などがあるが、一言でまとめてしまうと、あれこれと物事が頭に浮かび容量を食うので、頭の中も部屋もごちゃつき物事の取捨選択ができないといった感じだろうか。

障害の話はもっと詳しく書かれている専門のサイトなどを見ていただくとして、「記憶の偏り」に話を戻そう。

なぜ、記憶していたいことほど忘れ、忘れてしまいたいことほど記憶しているのか。そもそも、良い思い出も悪い思い出も元は同じ一瞬の体験に過ぎないのに、なぜこんなに記憶に違いがあるのだろう。

それはおそらく、記憶の「部屋」が散らかっているせいで、良い思い出よりも悪い思い出の方が目につきやすくなっているからではないだろうか?
つまり、単純に記憶を思い返す(目にする)頻度の違いがもたらすものなのだと思う。

どういうことか?
もう少し具体的に話そう。

私は普段思い出をどう扱っているか。嬉しいことや美しいものへの感動を全力で感じ、その瞬間に没頭している。しかし、その一瞬を感じた後はその辺に放置してしまっている。あるいは、引き出しの奥に大切にしまい込むこともある。
いずれにせよ、あまり丁寧に手入れをしてあげていないので、ほかの多くの記憶や日々の雑多な思考の中に埋もれ、くすんでしまっている。

そして、思い出したくない記憶。これもその辺に放置しているのだけど、実は放置しているからこそ、いつも視界に入ってきて思い出すんじゃないかと思う。
この記憶をゴミに例えるなら、部屋の中に放置され悪臭を放っている空き缶や弁当のゴミといったところだろうか。こんなものが部屋にあったら、誰だって目につくし視界に入るたびに不快になると思う。

なので、これから記憶の「部屋」を片付けていこうと思う。
残念ながら部屋の片付けとは違い、嫌な記憶を完全に処分してしまうことはできない。でも、美しい記憶をきちんと手に取れるように整理したら、自然と思い出したくない思い出より良い思い出を思い返すことの方が増えるのではないだろうか。

だから私は、忘れたくないことをこれからたくさん記していこうと思う。そのために note を書こうと思う。私の人生に美しい瞬間がたくさんあったことを忘れないために。

それはちょうど、引き出しの奥にしまいこんでしまっている美しい思い出を引っ張り出し、埃をはらい、記憶の部屋に飾ることである。記憶の山に埋もれ、しわくちゃになった思い出にアイロンをかけてぱりっとさせることである。

文章という目に見える「形」に記憶を整え、並べなおそう。大切な思い出がいつまでも消えてしまわないように。

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