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愛について

 愛とは元氣づけることだと思う。自他共に対して。
 例えば、愛する人が風邪を引いたとする。そのとき自分の「愛の力」で抱きしめても風邪は治らない。やはり風邪薬で治す。ただ、治るまでに看病して身の回りの世話をし、元氣づけることはできる。それが愛と呼ばれるものではないか。困難に直面したときにその人の真価が問われる。そのときにその人の愛を確認することができる。

 一方で、自愛というものもある。自分をいたわる。自己管理とも言う。まず、自分が自分のことを好きにならなければ、誰が自分を好きになってくれるというのか。自分のここが嫌いと思うこともあるだろう。だが、そこも含めて自分を認めるしかない。それが生きるということだと思う。そのときの自分のここが嫌だと分かっているのなら、改善の余地はある。一歩一歩修正を加えながら、こうありたい、というあるべき自分に近づければいいのだから。自分が変われば、出会う人も変わる。あきらめない。倒れてもいい、倒れるたびに立ち上がればいいのだから。まずは、自分から変わることだ。いくら成長を願って努力しても、変わらない部分もあるだろう。変われないからいけないとは限らない。そんなときは、あるがままの自分を受け入れるといい。愛とは認めることとも言えるかもしれない。
 こんなことを言っている人がいる。

「運命を引き受け、人を愛しなさい。
それが、自分を大切にすることです。」
(佐々木常夫『働く君に贈る25の言葉』)

 人のためになることをすれば、それが自分に返ってくる。
 そうして良い循環が生まれる。現状から逃げずにそれを認め、人を愛することが自分のためになる。逆境は自分を強くする。つらいときこそ、人のために行う。そうするといつの間にか逆境を乗り越えている。いつも、今、ここから、始まる。

 愛には喜怒哀楽の総てが含まれる。良いことだけではない。だから様々な愛の形がある。文学でも音楽でも多くの愛が語られる。だが、愛というからには根本には好意がなければならないのではないか。元々好きだから、腹も立つし、悲しくもなる。愛憎相半ばするという。それだけ、愛となると思い入れも強い。だから宗教にも表れる。それは生き方に関わる。
 愛の基本には人間への好意があり、だから元氣づけたくなる。人にも、自分にも。

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