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映画「THE FIRST SLUMDUNK」喪失と再生の物語について語りたい



言語化されない感情を差し出す作品



のっけから極私事で恐縮ですが、
阪神淡路大震災から28年目にあたる
本日2023年1月17日、52歳を迎えました。

いろいろお伝えする内容を考えていた
のですが、すべての予定を放棄しました。
映画『THE FIRST SLAM DUNK』で脳内が
満杯になってしまったからです。


実は原作コアファンだった訳ではなく、
マンガ演出の勉強のために
観にいったはずだったのですが。

上映終了後に照明がついても、
ダンクシュートの「ダァン‼」という着地音、
高速ドリブルや体育館を駆ける振動の余韻が
耳の奥にも身体の芯にも残っていて帰れず、
立て続けに2回観てしまいました。

週刊少年ジャンプ連載作品が原作だから、
当然試合のラストは主人公側が大勝利!と
結末がわかってるはずなのに、
思わず手に汗握り、落涙してしまう。

原作者であり脚本・監督でもある
井上雄彦さんという方は、
人間の絶望と歓喜、喪失と回復を描くのに
極限的に長けてらっしゃる。



打ちのめされ、奮い立たされました。



主人公が宮城リョータである必然



映画が素晴らしかったのは、何より、
喪失を抱えたキャラクターとして造形された
宮城リョータが主人公だったから。

連載時の主人公・桜木花道ではなく、
脇役だった宮城リョータがなぜ?



週刊少年ジャンプ連載当時の
1990年~1996年頃は、
湘南を爆走したり特攻かけたりする、
BE-BOPな愛すべきろくでなし達の全盛期。

ヤンキーだった花道は「自称天才」、
思い込んだらまっしぐらの性格。
一目惚れした子のためバスケを始めると、
生来の身体能力が開花し驚異的成長を遂げる。

でも、30年近く経った今の時代では
そんなに無邪気に未来を信じられない。

井上雄彦監督も、「連載時は自分も20代で
主人公たち高校生に近かったが、
20年経って得た視点を入れたかった」
といった事を語っておられました。




父と兄を立て続けに亡くし、
現実を受け入れられない母の元で
欠落を抱えて育ってきたリョータが、
バスケによって傷つきながらも、
バスケを通じて喪失と向き合っていく。

阪神淡路・東日本という2つの大震災、
さらに幾つもの自然災害を経験した
いまだからこそ作られた物語だと
個人的に解釈しました。


そして私自身が親友を
不慮の死で亡くしているため、
リョータの抱える痛みは
他人事と思えませんでした。




52歳になった今だからこそ感受できるもの、
伝えられることがあるんじゃないか。

セリフや説明を用いずに、
どこまで人間の感情を表現できるのか。

喪失と向き合うという困難な課題を、
エンターテイメントの中でどう扱えるのか。


物凄い情報量で学んだことを、
吹き飛ばされないよう
必死で書き留めてみます。



以下、

【壮大なネタバレ有り】超個人的長文レビュー

です。


※映画を2回観た記憶を辿って書いているため
 細部違っていたらお許しください
 メモはまったく取っていません

※原作は三井復活前くらいまで立ち読み、
 映画の試合はほぼ初見です

※あえて文体を変えています







絶望と歓喜のジェットコースター



映画のストーリーは、
主人公・宮城リョータの湘北高校VS
絶対王者・山王工業との激闘を縦糸に、
リョータの回想を横糸に進んでいく。

高校2年生、168㎝のリョータは、
バスケ選手としては小柄ながら
スピードと的確なパスを武器に、
"切り込み隊長"としての役割を担う。



高校最高峰の舞台インターハイで、
全国のバスケ強豪校の心を折ってきた
最強軍団・山王に挑む湘北。

前半は、下馬評を覆して湘北が大善戦する。


しかし後半、「開始3分でカタをつける」
という山王の監督の指示通り、
流れが一気に変わる。

湘北のパスはことごとくカットされ、
シュート一本すら打てないまま、
あっという間に20点差をつけられてしまう。

何をやってもサンドバック状態で、
一言で言えば「絶望」。
体育館の外は土砂降りになっている。

通常であれば心折れてしまうところで、
「諦めたらそこで試合終了ですよ」と、
湘北監督・安西先生の名セリフ。

「最強のシロウト」花道に秘策を授け、
息を吹き返した湘北が20点差を追い上げる。

しかし無情にも、
ギアチェンジした山王のエースが
湘北をまたもや突き放す。

この作者は、どこまで主人公達を
谷底に叩き落とせば気が済むんだと、
観ている側が悲鳴を上げそうになる。


それでも諦めない。
湘北の愚直なまでに懸命なプレーは
劣勢を打ち返し、完全アウェーだった
会場の雰囲気まで変えていく。

どちらに転ぶか全く先が見えない、
シーソーゲーム。



何故こんな力が出せるのか。

ピンチの時に厳しい練習とかを想起して
逆転するのは少年マンガの王道だが、
この映画ではもっと深く、
リョータの傷と影を追う回想が
何度も何度も挟み込まれる。





喪失と回復の物語




傍観者でいられない


リョータの回想は、陽だまりのような
記憶とともに始まる。


ミニバスケの名選手で、
リョータの憧れだった
3歳年上の兄・ソータ。

沖縄の海が見えるバスケゴールの下、
1on1で「自分に勝つつもりで来い」と、
小学生のリョータと
真剣勝負をしてくれるソータ。


しかし、兄の笑顔は
父の突然の死で、曇ってしまう。

父の遺影の前で泣き崩れる母を見て、
「これからこの家のキャプテンは俺だ。
お前が副キャプテンだ」
とソータはリョータと約束するが、
2人の秘密基地の小さな洞窟で
人知れず涙を流す。

無理もない。12歳には重すぎる荷だ。


来る日も来る日もドリブル練習を重ね、
遂に兄のディフェンスを抜いて
シュートしたリョータ。

ゴールできたかは直接描かれない。
が、ソータがリョータを抱きしめ、
「元気あった。頑張った。忘れんな」と
声をかけていることでそれはわかる。

もう一度やろうとせがむリョータを置いて、
友達と約束していた海釣りへ
出かけてしまうソータ。

「ソーちゃんのばか!!帰ってくんな!!」と
出港する船へ泣き喚くリョータ。

それがソータを見た最期となる。

海難事故でソータは帰らぬ人となり、
9歳のリョータと妹が残される。




死はたいてい突然で、
あまりにも理不尽だ。




多分リョータは、
ソータの死を知って茫然としたり、
「自分が”帰ってくんな”なんて
言ったせいじゃないか」とか、
「自分なんかが幸せになっては
いけないんじないか」とか、
思った瞬間があったんじゃないのか。


私がそうだったように。
大切な存在を失った人達が
そう感じて苦しんだように。


しかしそうした取り乱すシーンは一切なく、
リョータの心情は一言も説明されない。

ただ、最期に見た兄の顔や、
1on1してくれた時の笑顔が
ごく短く挿入されるだけ。


もしモノローグが入れば、観客は
「リョータ、可哀想」とか
「自分、無理」とか
第三者になって外側から観るだろう。

だけどそれが一切削ぎ落とされることで、
観客はリョータと同じ風景を見て
同じ体験をすることになる。


傍観者でいることができないのだ。




すべてを失った末に



太陽をいっぱいに浴びて
スクスク育ってきたような
可愛らしい顔立ちだったリョータの
表情や外見が変わっていく。

転校先の神奈川の中学では
鬱陶しいほど前髪を伸ばし、
もうピアスをつけて
ダレた小声になっている。 

湘北高校に入学した時は、
ツーブロックに刈り上げた髪に
吊り上がった眉の
ふてぶてしいツラ構え。

早々に上級生に目をつけられ
大人数からボコられて、
バスケシューズを封印せざるを
得なくなる。


たったひとつのよすがだった
バスケさえ奪われて、
「クソッ!クソッ!!」と毒づきながら
バイクを猛スピードで飛ばすリョータ。

バイクのフロントに貼ったガムテープが
風を受けてバタバタ音を立てることで
とんでもない速度で走っていることがわかる。

トンネルの向こうは、
沖縄のサトウキビ畑を抜けて海へ続く道。
リョータに笑顔が広がる。
ホワイトアウト。


病院で目を覚ましたリョータは、
バイクは大破し、生きていたのが
奇跡だったと妹から告げられる。
リョータに怒りをぶつける母。




沖縄にふらりと帰るリョータ。
しかしかつて過ごした家には
見知らぬ誰かが住んでいて、居場所はない。

雨に降られ、兄との秘密基地だった
小さな洞窟に避難するリョータ。

当時から最強だった山王を「倒す!」という兄の夢が書かれたバスケ雑誌や
リストバンドをみつけて、
「なんでかな…。俺はずっと
母ちゃん泣かせてばかりだ」と
呟くリョータ。

突然こらえきれなくなる。


ここでもセリフは一切ない。


「代わりに叶えられなくてゴメン」でもなく
「キャプテンの役割果たせなくてゴメン」でもなく
「なんで死んじゃったんだよ」でもなく
「最後に酷いこと言ってゴメン、
帰って来てよソーちゃん」でもなく、
ただ顔をグシャグシャにして
子供のように背を丸めて嗚咽する。

それだけで痛切さに胸を抉られる。




本当に哀しみが深い時ほど、
向き合うのが難しい。

さまざまな想いが去来し過ぎて
言葉になんか出来ないのだ。





雨が上がったあと、
ソータと1on1勝負したバスケゴールの下で、
やがてドリブル練習を開始するリョータ。


砂浜にシューズを脱ぎ捨て、
汗だくになりながら、
何度もダッシュを繰り返す。



無言であるがゆえに、
静かな決意が伝わってくる。



帰宅すると、バスケシューズを入れた
ダンボール箱のガムテープを剥がすリョータ。

遂に、封印を解いて
リョータが帰ってくるのだ、と
観客にもわかる。



インターハイを前にして、
リョータとソータの誕生日。

ケーキのデコレーション板チョコには
「Happy Birthday Sota&Ryota」と
記されている。
板チョコを手の中で握り潰すリョータ。

ソータがいない現実を受け入れられない
母の無意識の残酷さへの無言の抗議なのか。




インターハイに出発する前夜、
母に手紙をしたためるリョータ。

「生きていたのが俺ですみません」と
書きかけては捨て、何枚も書き直す。


”なんでソーちゃんが死んで、
俺が生きてるのか。
俺が死ねばよかったのに”

リョータの声にならない叫びが
聴こえてくるようで、
泣けて泣けて仕方なかった。


わかってる。誰も悪くない。


母も、大切な存在を理不尽に
奪われたのだから。

でも、ずっと放置されてきた
リョータの痛みは?





回想シーン。
父の仏壇の前で泣き崩れたままの母と、
傍らで涙を流し立ち尽くすソータ。

高校生のリョータが母の頭に
そっと手を置き、後ろから無言で
ただ抱きしめる。
「母ちゃんも大変だったんだよな」とでも
言うように。




成長したリョータは、
兄にもできなかったことをやり遂げる。

自分で超えて、自分の力で、
ソータが立つはずだった場所に立つ。



それは、映画の1番の山場、
山王ディフェンス陣とリョータの
ガチ勝負の場面へと繋がっていく。




すべては、この時のために。



後半、押せ押せで追い上げる湘北と、
なんとしても勢いを止めたい山王。



試合の流れを決定づける局面で、
鉄壁の山王ディフェンス陣は
パスの供給元であるリョータを
徹底的に封じにかかってくる。

186㎝と185㎝の高校ナンバー1と
ナンバー2プレイヤー2人がかりで囲まれ、
どこにもパスが出せない
絶体絶命のピンチに陥るリョータ。

湘北マネージャーの彩子が、
ベンチから檄を飛ばす。

「行け、リョーターーー!!」




そうだ、いま勇気出さなくて、
いつ出すんだ。

リョータの胸中が聞こえた気がした。

ありったけの勇気を振るって、
真っ向勝負で前へ出る。



「ドリブルこそ、チビが
生き残る道なんだよ!!!」




爆発的なスピードで
つんのめるように包囲網を突破して
咆哮するリョータの姿に、
「っしゃーーーーー!!!」と
拳を握り締めたのは私だけではないはずだ。


「元気あった。忘れんな」
抱きしめてくれた兄の腕、
向き合えないくらい辛かったあの過去は、
あの日々は、この一瞬のためにあった。


すべてのピースが
収まるべきところに収まり、
残り0秒での奇跡の大逆転劇へ結実する。




試合終了後、歓喜の輪の中でリョータが
晴れやかな顔で見上げた上空には、
青空が広がっていた。

その先に、ソーちゃんは居たのだろうか。






ひとは誰かから受け取ったもので出来ている




誰かが遺したもの、受け継いだもの、
あるいは奪われたものによって、
私たちはできているのだと思う。



ソータから、1対1の勝負で勝つためには
「どんなにしんどくても、心臓バクバクでも、
平気なフリでいろ」
と教えられたことが、リョータの
ポーカーフェースを作ったように。


勝てそうにもない強敵とのマッチアップを
前に、吐き気に襲われていた時、
「緊張したら手のひらを見るって
決めておこう」と彩子が提案してくれたことが
ここぞという時に震えを止めたように。


そして、ソータが残していった
形見の赤いリストバンドを身につけて、
「行ってくる」と語りかけてから
大一番へ向かったように。



いつも、いつまでも、護られているんだよ。


この作品全体が
そう語りかけてくれているように感じた。





勝手な拡大解釈かもしれない。



でも、私自身がいまここで
こうやって拙い文章を綴っているのも、
漫画家になるのを諦められなかったのも、
亡くした親友に捧げる作品を産み出したい
と思った契機があったことは間違いない。


彼女がいなければ今ここにはいなかったし、
ここでnoteを通じて
貴方と出逢うこともなかった。


そういうひとつひとつで、
私たちのいま現在は形作られている。


沢山の命が喪われた日だからこそ、
そうあってほしいと、切に願う。





胸の中で鳴り続ける旋律



最後に、
映画のテーマソングと劇伴について
書かせてほしい。

圧倒的なリアリティと
音楽が掛け合わさることで、
幾何級数的な効果が発生していたからだ。


オープニング、The Birthdayの
不穏なハードロック
「LOVE ROCKETS」に乗って
鉛筆書きのリョータたち2次元キャラクターが
コマ送りアニメで歩き出すシーンは、
まるで脈打つ肉体が動き出したようで
ゾクゾクするほどがカッコ良かった。

怒涛の攻撃や反撃の狼煙を挙げる
「暁の砂時計」、
王者の巨大なプレッシャーが
のしかかってくる「Slash Snake」、
そしてクライマックスにかかる
「Double crutch ZERO」…


セリフも擬音も極限的に省かれた試合の
疾走感や高揚感を高める効果は破壊的だった。

とどめはEDテーマ、
10-FEETの「第ゼロ感」。

映画の内容やリョータの心情と
シンクロした歌詞の、
ひとつひとつが突き刺さる。



そして個人的に一番印象に残ったのは、
「BLIZZARD GUNNER」。

あの砂浜で、リョータが
静かな決意を胸に
ダッシュを繰り返していた時に
流れていた曲だ。


今でも脳内では、
この曲がずっと鳴り響いている。


かけがえのないものを喪っても、
叶わないものがあるとしても、
痛みを知ったからこそ見える景色があると。




熱砂を蹴って、
自分を超えて、
前へ進むために。








ぜひ、映画館で体感して欲しい。

そして公式の劇中音楽に浸って
リフレインして欲しい。


それだけで、
もう言葉は何も要らないはずだから。
















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