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旅が教えてくれたこと (10) 2002年秋、ブリュッセル

■その3
 
 ブリュッセル到着3日目は、アントウェルペン(Antwerpenはオランダ/フラマン語読み。アントワープ:Antwerpという英語呼称の方が馴染み深いので以後はアントワープと表記する)へ行ってみることにした。これには、後述するようにちょっとした目的があったからだ。
 アントワープはブリュッセルから約50㎞、人口は約50万人でブリュッセルに次いでベルギーで2番目に大きな都市だ。スヘルデ川(エスコー川)の河口にあるヨーロッパでも有数の港町でもある。15世紀後半にブルージュに代わってフランドルの毛織物交易の中心地となり、さらに16世紀には北ヨーロッパの公益の中心地として非常に栄えた。現在でもベルギーの工業・商業の中心地であり、ダイヤモンド産業やファンション産業の隆盛も知られている。美術館ではルーベンスやファン・ダイクを始め中世フランドル派、オランダ絵画が数多く見られ、中世のゴシック建築もたくさん残る芸術の都だ。そして僕たち日本人にとっては、あの名作アニメ「フランダースの犬」の舞台になった場所として広く知られている。
 
 さて、ブリュッセル市内には3つの大きな鉄道駅がある。まずはタリス号が発着する南駅(Gare du MIDI)、グランプラスや王宮からも近い中央駅(Gare du Central)、そして近代的なオフィス街に近い北駅(Gare du NORD)である。ベルギーの国内へ向かう列車に乗るには、基本的にどの駅からでもOK。アントワープまでは、IC(Inter City)と呼ばれる長距離列車に乗れば、北駅からわずか38分で行ける。東京から横浜へ行くぐらいの感覚だ。アントワープに停車するICは1時間に2本程度はあるので、いつ駅に行ってもOKだ。運賃も2等なら6ユーロと安い。この日はホテルをちょいと早出して、8時半頃の列車に乗るためにホテル近くの地下鉄駅からトラムで北駅に向かった。
 
 北駅の窓口で切符を購入、ほどなくホームに入ってきたICに乗って30分ちょっとでアントワープに到着した。まず戸惑ったのは言葉だ。アントワープに着いたとたん、基本的にはオランダ語圏に入る。
 ベルギーは多言語国家で、北半分がオランダ語(フラマン語)、南半分がフランス語(ワロン方言)、ドイツと国境接する一部地域を中心にドイツ語が話されている(首都のブリュッセルはフランス語優勢で、一部ドイツ語やオランダ語も話されている)。列車でわずか30分ちょっとの距離にあるブリュッセルとアントワープでは、日常使われる言語が全く異なるのだ。ブリュッセルの駅構内では表示もアナウンスも全てがフランス語で、切符もフランス語で印刷されている。そこから30分ちょっと列車に乗ってアントワープ駅に降り立つと、駅構内の表示もアナウンスもオランダ語に変わる。自慢じゃないが、僕はオランダ語はさっぱりダメだ。…っていうか、オランダ語に堪能な人なんて、自分の周囲には誰もいない。
 
 アントワープ中央駅(Central St.ation)は、19~20世紀の変わり目に建造されたネオバロック様式の大建築で、アントワープを代表するランドマークである。ガラスと鉄骨で築かれた半円筒形のホーム天蓋はベルギーを代表する近代建築の傑作だと言われている。
 このアントワープ中央駅を降りた僕は、街の雰囲気を楽しもうと市庁舎やグロート・マルクト(Grote Markt)、ノートルダム大聖堂などがある中心部まで徒歩で向かうことにした。
 中央駅から市の中心部へ向かう道が、街を東西に走るメール(Meir)通りである。広い歩道を持つこの大通りは、道の両側にファッショナブルなブティックやデパートが立ち並び、ブリュッセルよりも近代的でおしゃれな雰囲気を感じさせてくれる。歩いていて、とても気持ちがいい。さすがにファッションの街アントワープだ。ショーウィンドウを眺めながら15分も歩くと、アントワープのもう1つのランドマークであるノートルダム大聖堂の塔が見えてきた。
 
 ノートルダム大聖堂の前には、既に見学(ミサ?)のために人が並んでいる。中は後で見学することにして、まずは近くのツーリスト・インフォメーションへと向かう。目的はホーボーケン(Hoboken)へ行くこと…、つまり「フランダースの犬 ミニツアー」をやろうというわけである。
 僕は昔、TVアニメの「フランダースの犬」の最終回を見て人並みにちょっと感動した。涙が出そうになった。バカバカしいとはわかっていても、やはりここまで来たからには、「ネロとパトラッシュの故郷」へ行かねばなるまい。もっとも、ココへ行くのは日本人と韓国人(韓国でもTVアニメが放映されて人気を博した)だけだそうだ。まぁ、冗談半分、話のネタ作りに行くのである。
 
 ホーボーケンは、アントワープからトラム(路面電車)で30分ほどの距離にある小さな街。そこが「ネロとパトラッシュの故郷」である。何でも、ホーボーケンのツーリスト・インフォメーションの前には、ネロとパトラッシュの銅像が建っているという。この銅像の前でデジカメのシャッターを誰かに押してもらって記念写真を撮るのだ。例えそれが一生の恥になっても…
 まずは、アントワープ市庁舎近くのツーリスト・インフォメーションへ行く。TV番組で見たとおり、「フランダースの犬」担当のお兄さんがいて、日本語で「コンニチワ」と声を掛けてきた。ホーボーケンへの行き方を聞いたら、「郵便局の前のトラム乗り場から4番の電車に乗って終点がホーボーケン」とのこと。地図で乗り場を教えてくれる。ただし、この説明は日本語ではなく英語だった。コンニチワ以外の日本語はしゃべれないようだ。
 ツーリスト・インフォメーションから5分ほど、グロート・マルクト(Grote Markt)近くの大通り沿いに郵便局の建物があり、その前にトラム乗り場があった。4番の路線の乗り場を探すと…あった、確かに終点の地名がホーボーケンとなっている。路面電車がやってきたので、急いで乗り込んだ。
 後部から乗り込んだのはいいが、ワンマンカーで切符の買い方がわからない。見ていると、切符を持っている人と持ってない人がいる。持っている人は、ブリュセルのトラムと同じ車内の「検札機」に差し込んでいる。まあいいや…降りる時に払えば…と思っているうちに、窓の外の光景に夢中になった。小さな町をいくつも通り過ぎながら、電車はゆっくりと走る。看板は全てオランダ語、何が書いてあるのかさっぱりわからない。
 そうこうしているうちに30分ほどでホーボーケンに到着した。運転手に運賃のことを聞こうと思ったのだが、運転手はトラム電車を降りてスタスタとどこかへ行ってしまった。結局、ホーボーケンまでタダ乗りである。
 
 「ま、いいか」と歩き出す。小さな町である。電車が止まった辺りが繁華街らしい。線路がある大通りを挟んで、両側にはいろんなお店が並んでいる。カフェのオープンテラスでは、街の人が楽しそうにお茶を飲んでいる。通りには広い中央分離帯があって、何やら青空マーケットが開催されている。おいしそうなワッフル屋さんも出ている。
 さて、ツーリスト・インフォメーションはどこだろうと歩き出したが、案内図もなにもない。そこで、道を歩いているおばさんに、ツーリスト・インフォメーションはどこか聞いてみた。むろん英語で聞いたのだが、そのおばさんは英語が喋れるらしく丁寧に教えてくれた。
 大通りからちょっと(50mほど)入ったところに、ホーボーケンのツーリスト・インフォメーションはあった。電車を降りた場所から、ほんの5分ほどのところだ。そして、ツーリスト・インフォメーションの前の歩道には、大きな台座の上に「ネロとパトラッシュの銅像」が鎮座していたのだ。これだったのかと、しげしげと眺めて写真を撮る。この銅像、ネロと較べてパトラッシュが少し小さいような気がするけど…
 狭いツーリスト・インフォメーションの中には、「ネロとパトラッシュ関連グッズ」が所狭しと置いてある。パトラッシュが引いたと思われる小さなリヤカーとブリキの牛乳缶などもある。お土産用の「ネロとパトラッシュチョコレート」なんてのもあるのだ。壁に日本地図が貼ってあり、自分の出身地にピンを刺すようになっていたのには驚いた。日本地図だけが貼ってあるのだ。日本からはけっこう来るのが大変な場所なのに、かなりの数の日本人がここを訪問しているようで、ピンがいっぱい刺さっていた。ベルギーの片田舎にある日本人だけが来る観光名所…、実に不思議で異様な場所だ。TVでよくやっているような「世界の珍百景」の1つと言ってもいい。ある意味で、非常に興味深い。
 
 というわけで、短時間でネロとパトラッシュを堪能して、ツーリスト・インフォメーションを早々に退散し、ホーボーケンの街を少し歩いてみることにした。
 小さいけど、なんとなく穏やかな街だ。既に時間はお昼近くで、少しお腹が減ったこともあり、屋台でワッフルを買って食べる。ブリュセルの街中より安いし、とても美味しい。ワッフルをかじりながら30分ほど街を歩いてから、アントワープ行きのトラムに乗った。
 むろん帰路はちゃんとチケットを買ったことは言うまでもない。前のドアから乗り込んで運転手に「アントウェルペンまで」と英語で告げたら、ちゃんとチケットを売ってくれた。2ユーロだった。
 
 さて、正午を過ぎたところでホーボーケンからアントワープへと戻ってきた。まずは昼食のためのレストラン探しである。
 グロート・マルクト(Grote Markt)の周囲には、カフェやブラッセリーがたくさん並んでいる。グロート・マルクトは市庁舎の前の広場で、周囲をギルドの建物が取り囲んでいるところは、ブリュッセルのグランプラスとよく似ている。市庁舎は16世紀に建築されたというルネッサンス様式の立派な建物で、市庁舎眼には、巨大なブラボー(Brabo)像の噴水がある。ブラボーは、ブラバントという名の紀元となった古代ローマの兵士の名で、スヘルデ川で暴威をふるっていた巨人アンティゴーンの手(ant)を切り取って投げた(werpen)という伝説に登場する英雄。この伝説が、アントウェルペンという地名の由来となったとのこと。
 
 観光客目当てのレストランが多そうなグロート・マルクトの周囲を避けて、裏通りを歩いて落ち着いたレストランを探す。ノートルダム大聖堂の裏のあたりでビールメニューが豊富な感じのいい小さなレストランがあったので、飛び込んだ。
 メニューはオランダ語で、さっぱりわからない。むろん、英語メニューなんてない。ホール係に英語でいろいろと聞いたあげくに、ベルギー名物の「ムール貝のワイン蒸し」とビールを頼んだ。登場したのは、小さめのバケツのような深い鍋にいっぱいのムール貝である。食べても食べても、鍋の底からムール貝が出てくる。バゲットと一緒に食べるムール貝は思ったよりも美味しかったけど、こんなにたくさん貝を食べたら食あたりするんじゃないかと、本気で心配した。
 
 さて、満腹になったところでノートルダム大聖堂(Onze-Lieve-Vrouwekathedraal)へと向かう。ここは、何といってもネロが最後に見ながら死んでいくルーベンスの名作「聖母被昇天」があるところ。ホーボーケンまで行った以上、この絵も見なくちゃならない。14世紀に建造が開始され16世紀に完成したという大聖堂の中は、とてつもなく広く、天井が高い。そしてはるか前方の祭壇の上には、教科書でも見たことがあるルーベンスの絵がかかっていた。
 
 ノートルダム大聖堂を出ると、時間は午後2時頃。大聖堂を背景にルーベンスの銅像が立つグルン広場(Groen plaats)では、多くの市民がひなたぼっこをしている。ウィンドウショッピングをしながら、中央駅までぶらぶらと歩いて戻ることにした。ダイヤモンド市場などは全く興味がないので、行く気はない。
 メール通りは午前中よりも人出が増え、ショッピングを楽しむ人で溢れかえっている。考えて見れば、この日は日曜日ではなく平日のはず。こんなに多くの人出があるのは不思議だ。何はともあれ、中央駅に戻り、ブリュッセル行きの列車に乗ったのは午後3時、夕方4時にはホテルに戻っていた。
 
 ところで、このアントワープ旅行で、ベルギー国内のオランダ語圏では言葉についてあまり心配しなくてもよいことがわかった。ブリュッセルのようなフランス語圏では、地元の人は基本的にフランス語しか話さない。しかし、オランダ語圏の人は、ほぼ例外なく英語を話せるようなのだ。実際にその後、ブルージュへ行った時なども、英語が問題なく通じた。ただし、これは会話の話である。書いてあるオランダ語というのは、さっぱり読めない。
 
※3日目に飲んだビール
・グーズ(ア・ラ・モール・シュビット)
・ブラックベリーグーズ(ア・ラ・モール・シュビット)
・Jupiler(ファルスタッフ)
・シメイブルー(ファルスタッフ)
 
■その4
 
 ブリュセルも4日目である。特に予定はない。ゆっくり朝食を食べながら、今日はどこへ行こうかと考え、とりあえず近くにあるベルギービールの醸造所を見学することにした。
 目的地は、「グーズ博物館(MuseeBruxelloisdelaGueuze)」の別名で知られている「カンティヨン醸造所(BrasserieCantillon)」である。ホテルを出て近くの地下鉄駅へ、そこから地下鉄で南駅まで行き、南駅からは徒歩で約5分ほどのところにカンティヨン醸造所はあった。
 建物の前まで行ってみると、入り口がどこかよくわらない。やはり見学に来たらしいヨーロッパ系の若いアベックが入り口を探してウロウロしていたので声をかけ、目立たないドアを開けて一緒に入った。
 この醸造所では、酸味の強いランビックを昔ながらの製法で作っている。案内係らしいお姉さんの英語での説明を聞くと、見学と言っても要するに勝手に工場の中をうろついてよいとのことらしい。3ユーロを支払って、工場見学に臨んだ。30分ほど、カンティヨン・グーズ(Gueuze:ランビックをベースに年代の異なる3種類のランビックをブレンドし、二次発酵させて2年以上樽で熟成させたもの)をグラスに注いでくれる。これがウマイ!
 飲みながらお姉さんと話をしていたら、カンティヨン・グーズを日本にも輸出しているとのこと。「小西酒造」と提携していると教えてくれた。さらに、チェリー味のカンティヨン・クリークをグラスに注いでくれる。3ユーロで醸造所を見学でき、美味しいビールを2杯も飲めて非常に満足した。朝からビールを飲んで、実に幸せである。見学を終えてホテル近くまで戻ったが、まだ午前11時にもなっていない。
 
 市内をウロウロするのも飽きたので、ブリュッセル近郊にある大学の町、ルーベン(ルーヴァン)へビールを飲みに行ってみることにした。とりあえず徒歩でブリュッセル中央駅まで行き、リエージュ方面行きの列車(IC)に乗った。わずか15分足らずでルーベン駅に到着。まだお昼前である。
 ルーベン(Leuven/Louvain)もまた、中世の面影を残す古い都市である。中世の面影…とはいっても、ブルージュなどとは違い、現代的な文化とうまく溶け合っている感じ。1425年に創設されたベルギー最大の大学、ルーヴェンカトリック大学がある学園都市でもある。学生数が2万7千人というのだから、早稲田、慶応など日本の有名私大並みの学生数だ。
 そしてルーベンは、ビールの町としても知られている。市内にはベルギー最大のビール会社インターブルー・ステラ・アルトワの本社工場があるし(ステラ・アルトワはバドワイザーを買収するなどして現在世界最大のビール会社)、古い醸造所もいくつかあるそうだ。
 
 だだっ広いルーベンの駅前広場を、市庁舎方面へ向かって歩く。街の中心部へ向かう道は駅から真っ直ぐで、市庁舎の尖塔が見えているので迷うことはない。落ち着いた商店街を歩いて15分ほどで市庁舎前の広場に到着した。15世紀に建設されたゴシック建築の市庁舎は、荘厳だ。その市庁舎の中にツーリスト・インフォメーションがあったので、地図を貰って周辺を散歩することにした。
 街中には、ともかく学生が多い。駅方面から見て市庁舎の裏側一帯は学生街となっており、大学の施設も多い。しばらく歩き回ったら、お腹が減ってきたので食事にすることにした。目指すはグロート・マルクト(Grote Markt)である。
 グロート・マルクト、つまり「マルクト広場」であり、アントワープを始めゲントやブルージュなどベルギーの主要都市やオランダの主要都市の中心部には必ず存在する広場だ。「グラン・プラス」と同義語である。
 
 ルーベンのグロート・マルクトは圧巻だ。かなりの広さがある石畳の広場をぐるっと十数軒のカフェ(ブラッセリー)が取り巻き、広場いっぱいに椅子とテーブルを並べている。そこで、何百人、何千人もの学生がビールを飲みながらワイワイと話をしているのだ。実に壮観である。
 この日も天気がよく、お昼時の広場は学生でいっぱいであった。その中の1軒に入り、早速ビールとサンドイッチを頼む。秋の日差しを浴びながら、学生たちに混ざって飲むビールは、たまらなく美味しい。ついついお替わりをしてしまう。学生から聞いたところによれば、多くの店が深夜まで営業しており、みな夜中までビールを飲んでいるそうだ。ビール好きには天国のような街である。
 
 食事を終えて、あちこちとルーベンの裏通りを歩いて回った。街並みを堪能したので駅まで戻り、ほどなくやってきたブリュセル行きのICに乗り込んだ。午後3時前にはブリュッセル北駅へと戻ってきた。
 朝から動き回っても、まだ午後の早い時間である。無理してあちらこちらを観光する気もないし、こうしてのんびりと街歩きができればそれでいい。いったんホテルに戻って日暮れまで休憩することにした。それに、ネットに接続して少し仕事をやらければならない。そして夜のビールが楽しみだ。
 
※4日目に飲んだビール
・グーズ(カンティヨン醸造所)>
・カシスグーズ(カンティヨン醸造所)>
・Corsendonkbronde(ルーベンのカフェ)
・Corsendonkbrawn(ルーベンのカフェ)
・Leffe(ファルスタッフ)
・Kwak(ファルスタッフ)

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