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ニューヨークの小さなホテルの記憶 ~シーポート・イン(BEST.WESTERN Seaport Inn)


※ 記事内の写真は2000年1月にFinepix1500(150万画素)で撮影したもの。

■1998年冬、ニューヨーク

  夕方に成田を離陸するニューヨーク直行便は、太平洋上で日付変更線を超え、午後の早い時間にJFK(ケネディ空港)に到着する。12時間を超える長いフライトは、さすがに疲れる。とりあえず空港内でコーヒーを飲んで一休みして、タクシーでマンハッタンへと向かう。1998年当時は、JFKからマンハッタンまでは一律30ドルで乗ることができた。タクシーの運転手に告げる行先は、予約したホテル、シーポート・イン(Seaport Inn)がある「ペック・スリップ(peck slip)」…
 
 僕は1983年のニューヨーク滞在記、「旅が教えてくれたこと 1983年夏、ニューヨーク…」の第6章に、次のように書いた。

 …その後、90年代以降にも僕は何度かニューヨークを訪れている。特に90年代、40代の初め頃にはサウス・ストリート・シーポート(South Street Seaport)の近くにある小さなホテル「シーポート・イン(BEST.WESTERN Seaport Inn)」を定宿として、毎年のように冬のマンハッタンを訪れた。Seaport Innの東側の部屋の窓からは、夕日に輝くイーストリバーの川面と対岸のブルックリンのビル群が美しく、大好きなホテルだ…

 本稿では、90年代末、あの2001年3.11同時多発テロ事件の直前頃までのニューヨークの話、なかでも当時お気に入りだったホテル、シーポート・イン(Seaport Inn:今は改装されて別のホテルになっている)と当時のサウス・ストリート・シーポート(South Street Seaport)界隈の様子、さらには25年前のマンハッタン最南部エリアの雰囲気について少し書いてみようと思う。
 
 シーポート・インというホテルに最初に泊ったのは、1998年の1月下旬。その後2001年まで4年間に渡って毎年同じホテルに、そして全く同じ真冬の正月明けの時期に1週間から10日間ほど滞在した。これは仕事ではなく、完全な休暇としてだ。そして1人ではなく、連れと一緒だった。シーポート・インは、それほどに気に入ったホテルだった。初めて宿泊した1998年、なぜこのシーポート・インを選んだのか、その理由をはっきりとは記憶していない。ただ、休暇の旅行故に、マンハッタンの中でもあまり馴染みがないエリアを意図的に選んだことは確かだ。 

当時のシーポート・イン

 シーポート・インがあるのは、ダウンタウン南東部、ロワー・イーストサイドの南端、イーストリバーに近いところだ。名前の通り、サウス・ストリート・シーポートのすぐ近くである。
 ところで、イーストリバーとブルックリン・ブリッジ、マンハッタン・ブリッジに囲まれたエリアのことを最近では「トゥー・ブリッジーズ(Two Bridges)」と呼ぶらしいのだが(イーストリバーとブルックリン・ブリッジ及びマンハッタン・ブリッジに囲まれたエリアの呼称だが、当時はそんな呼び方は無かった)、シーポート・インがあるのはトゥー・ブリッジーズのさらに南、ブルックリン・ブリッジとサウス・ストリート・シーポートの中間あたりだ。
 ホテルは、ハドソン川沿いの道(サウス・ストリート)から西へ入る「ペック・スリップ(peck slip)」という路地(…といっても道幅は広い)の北側にある。
 一番近い地下鉄駅は「フルトン・ストリート(Fulton St)」で、そこから徒歩で10分弱。マンハッタンの中心部へは地下鉄1本で行けるから別に不便ではないが、とりたてて便利なロケーションというわけでもない。

■観光客がいないエリアがあった

 ところで、ビジネスでも観光でもニューヨークを何度か訪問している人で、「ペック・スリップ(peck slip)」なんて地名を知っている人はまずいないだろうし、「トゥー・ブリッジーズ」エリアを含めて、このあたりをじっくりと歩いたことのある旅行者はあまり多くはないと思う。
 このエリアをざっくり言えば、フィナンシャル・ディストリクト (Financial District)ということになる。ブルックリン・ブリッジから続き市庁舎の北側を走るチェンバーズ・ストリート(Chambers St.)よりも南側で、最南端のバッテリー・パークを除いた地域だ。
 当時のフィナンシャル・ディストリクト内で有名な場所はと言えば、サウス・ストリート・シーポートと、ウォール・ストリート(WALL St)、今は無きワールドトレードセンター、そしてニューヨーク市庁舎ぐらいだ。
 うち、サウス・ストリート・シーポートは、フルトン・ストリートがイーストリバーに行き当たるエリアにある。マンハッタンの歴史地区で、かつて港だったところだ。イーストリバーに面する波止場や倉庫街は商業施設として利用されており、波止場には昔から数隻の古い帆船が展示されている。このエリアにはダウンタウンでも最古の建物がいくつもあり、19世紀初頭に改修された商館が並んでいる。一帯はノスタルジックな雰囲気を大切にした風致地区としてレンガ造りの倉庫街や市場が保存され、かつて馬車が行き交った石畳の道路も復元されている。イーストリバーに面したピア17には、ボードウォークに囲まれたショッピングセンターもあり、マンハッタンの中の観光名所のひとつとなっている。
 
 サウス・ストリート・シーポートを訪れる人の大半は、ピア17を中心とするショッピングセンターへ行くだけだ。でも、ピア17付近の喧騒を一歩離れると、周辺には静かに飲めるビアパブや小さいけれど落ち着いた雰囲気のレストランなどがたくさんあり、散歩にはもってこいのエリアだった。また、ウォール・ストリート近辺のビジネス街にも近いことから、仕事を終えたビジネスマンなどが集う、カジュアルなバーやレストランもたくさんある。

当時のナッソー・ストリート(Nassau St.)
当時のフルトン・ストリート(Fulton St.) 

 例えば市庁舎(市庁舎公園)の南東側一帯、ブロードウェイとイーストリバーの間、市庁舎からフルトン・マーケットやウォール・ストリートへ向かう途中にあるフルトン・ストリート(Fulton St.)、さらにはそのフルトン・ストリートから南へ続くナッソー・ストリート (Nassau St.)あたりは、マンハッタンの中では珍しい、あまり特徴がないごく普通の街並みが続く。この「ごく普通の街並み」というのは、文化的、歴史的に特徴があるエリアが多いマンハッタンの中ではかなり貴重だ。有名なレストランやおしゃれなカフェなどないし、ライフハウスやクラブもほとんどない。土産物店もない。庶民的なレストランやデリ、グロッサリー、日用品店、小型スーパーなどが並んでいる。そういえば、市庁舎の近くにペース大学の狭いキャンパスがあった。
 ともかく、当時のこのエリアには観光客がほとんどいなかった。この「観光客がいない」というのは、マンハッタンでは非常に珍しいこと。歩いているのは近辺で働いているか学生のニューヨーカーだけだ。だからこの界隈には、アップタウンやヴィレッジ、SOHOなどとは全く異なる、ゆっくりとした時間が流れる。散歩がてらブラブラと歩き、目に付いたレストランやバーに適当に入って見るのも楽しい。

 ただし、ここで書いたのはあくまで25年以上前の1990年代後半の話で、2024年現在に街並みや街の雰囲気がどう変わっているのか、15年以上マンハッタンを訪れていない僕は知らないし、近くのワールドトレードセンターの跡地周辺がどうなったのかも知らない。

■フルトン・フィッシュ・マーケット

 ところで、当時のサウス・ストリート・シーポートと言えば、何を置いても「フルトン・フィッシュ・マーケット(Fulton Fish Market)」、つまり魚市場の存在だ。ずっと昔から、フルトン・ストリート沿いにはマンハッタンの食を支える魚市場があった。1998年に公開された映画、ハリウッド版「ゴジラ」で、ゴジラがマンハッタンに上陸した場所としてフルトン・フィッシュ・マーケットが登場したことは記憶に新しい。確かこの「ゴジラ」では、マンハッタンを暴れまわるゴジラをおびき寄せる餌としてフルトン魚市場から大量の魚を調達する場面も出てくる。
 このフルトン魚市場は2005年末にブロンクス区のハンツ・ポイントへ移転したが(行ったことはない)、僕が毎年シーポート・インに滞在していた1998年から2001年の間は、サウス・ストリートにはまだ魚市場があった。この魚市場の存在がこの時期にシーポート・インを定宿とするきっかけになった…、と言っても別に魚市場が好きだというわけではない。

当時のフルトン・フィッシュ・マーケット(Fulton Fish Market)

 フルトン・フィッシュ・マーケットについて、もう少し書いておこう。僕は1970年代、1980年代にニューヨークに長期滞在している。当時も、むろんフィッシュ・マーケットはあり、何度か訪れている。80年代までのサウス・ストリート・シーポートには、誰でも入れる築地の場外市場のようなエリアがあった。1998年にはバンケットホールになっていた巨大な体育館のような建物がそれだ。その頃は1階に一般向けの鮮魚売り場が並び、吹き抜けの中2階にはカジュアルなレストランが並んでいた。レストランと言っても、大半が屋台のような簡易的な店で、安くシーフード料理を食べることができた。
 ただ、当時はサウス・ストリート・シーポート界隈をゆっくりと散策した記憶があまりない。その築地の場外市場のような建物で、安いシーフードを食べた記憶しかない。そして1998年に行った時には、場外市場のようなエリアも安いシーフード屋台も無くなっていた。そしてサウス・ストリート・シーポート一帯は、80年代までの雰囲気とはずいぶん異なり、何だかおしゃれっぽいエリアになっていた(本稿執筆時点:2024年現在はさらに大きく変貌を遂げているとのこと)。

■早朝のホテルの窓から…

 さて、ホテルの話に戻ろう。ペック・スリップにあるシーポート・インは、小さいけれど近代的で、しかも適度にカジュアルな、居心地の良いホテルだった。全部で74室しかないが、6階建ての古いレンガ作りの建物は、石畳の道が復元された倉庫街という周囲の雰囲気にとてもマッチしていた。簡素なロビースペースは、広くはないけれどくつろげる雰囲気。
 けっして豪華な部屋ではないが、機能的でシンプルな家具・調度と広いバスルームが備わっている。ネット接続環境も問題なく、スタッフのサービスも行き届いていた。
 エコノミークラスの全米ホテルチェーン、ベスト・ウェスタン(BEST WESTERN)が運営するだけあって室料もリーズナブルで、1998年当時でツインルームが150~180ドル(当時は1ドル120~130円前後)だったと記憶している。
 
 1998年の1月末の午後遅い時間、JFKからタクシーで初めてシーポート・インを訪れた時に案内されたのは、5階のイーストリバーに面した東側のツインルームだった。東側に大きく開いた窓からは、正面にイーストリバーの川面と対岸のブルックリンのビル群が見える。視線を左に向ければ、ブルックリン・ブリッジが目の前だ。そして、ブルックリン・ブリッジに重なるようにマンハッタン・ブリッジも見える。そして周囲が暗くなる夕方遅い時間になると、イーストリバーの川面が夕日の残照でオレンジ色に輝く。時間が進むと対岸のビル群には一斉に窓に明かりが灯り、ネオンが輝く。ブルックリン・ブリッジにも明かりが灯る。それらの灯りがイーストリバーの川面に反射する。美しい夜景が窓の外一面に拡がる。ニューヨークには、マンハッタンの夜景を眺められるホテルは多いけれど、イーストリバーに映るブルックリンの灯を見られるホテルは、それほど多くはないだろう。マンハッタン慣れしている僕も、この夜景の美しさにはすっかり魅了された。そしてもっと驚くような光景が見られるのは、真夜中を過ぎてからだった…。

ホテルの窓から 夜明けのペック・スリップ

  シーポート・インの東向きの部屋の窓のすぐ下、ホテルの横はイーストリバーに続く石畳の広場になっている。昼間はただガランとした広場なのだが、初めて泊った夜、何やら雑然とした物音で目が覚めた明け方、まだ暗い窓の外を見て驚いた。昼間はガランとしていた石畳の広場がピックアップトラックやワゴン車でびっしりと埋まり、その車の間を荷物を満載にした手押し車やフォークリフトが走り回っている。サウスストリート沿いの魚市場に荷が運び込まれ、そして運び出されているのだ。たくさんの人が忙しそうに働いている。寒い中、少し窓を開けると、かすかに魚の匂いが漂ってくる。ここで働く人たちのための、移動販売店舗も開いている。とても寒いからだろう、広場の中心部では、ドラム缶で大きなたき火が燃えている。そこには、何とも言えない、マンハッタン島の中とは思えない幻想的な光景が拡がっていた。
 何だか夢のような光景にしばし見とれた後、もう一度眠りにつき、朝7時頃に目覚めた時には、窓の下の喧燥はうそのように静かになっていて、人も車も全部去って行った後の何もない広場に戻っていた。この不思議な景色を見たことが、その後4年間に渡って毎冬にシーポート・インに宿泊するきっかけになった。

■ホテル周辺を散策

 1998年の冬、シーポート・イン到着直後の話に戻ろう。チェックイン後、部屋で少し休憩してから、ホテル周辺の散策に出掛けた。久しぶりのニューヨーク、そしてまだ夕方の早い時間帯だったので、サウス・ストリート・シーポートへ行くのではなく、慣れ親しんだチャイナタウン、ソーホー方面へと向かうことにした。
 ペック・スリップをイーストリバーの反対方面へ歩き、パールストリートに出れば、その道はバワリー通りにつながっている。広いバワリー通りを北上するとすぐにチャタム・スクエア(Chatham Square)に出るが、そこには巨大な「林則徐の銅像」が立っている。あのイギリスからのアヘン流入に抵抗しアヘン戦争を戦ったことで有名な林則徐だ。ニューヨークを何度も訪れたことがある人でも、この銅像を見たことがある人は少ないと思う。70年代、80年代に長くニューヨークに滞在していた僕も、実はこの時に初めて林則徐の銅像を見た。まあ、ニューヨークに住む華人がチャイナタウンの南の入り口とも言える場所に祖国の英雄・林則徐の像を建てる気持ちはよくわかる。
 チャタム・スクエアからカナル・ストリートにぶつかるまで15分もかからない。ソーホー、ノリータなどカナル・ストリートから北のダウンタウンは、自分にとっては80年代から慣れ親しんだエリアだ。一帯を暗くなるまで気ままに散歩して、ブルックリン・ブリッジ近くまで戻ってきた。そして夕食を食べるために向かったのは、ブルックリン・ブリッジのたもとにあるブリッジ・カフェ(BLIDGE CAFÉ)だ。

当時のブリッジ・カフェ(BLIDGE CAFÉ)

 ブリッジ・カフェは19世紀から続く有名な店で、マンハッタンの中でも最も古いフェレストランの1つ。予約なしでフラリと入ったが、連れと2人はスムーズに席に案内された。狭い室内だがコンフォタブルなくつろげる空間だ。テーブル席は全部で30~40人入れるかどうか、奥にはバーカウンターがあった。シーフード中心のメニューで、ザガッド・サーベイでも上位にランクされるほど。けっして安い店ではないが、高級店に分類されるほど高くもない。1998年当時は2人で食べてワインを飲んで、1人30~40ドルぐらいだったと記憶している。ブランチなら2人で50~60ドルで食べられた。観光客も少なく、訪れる度に心地良い時間を過ごせたこのブリッジ・カフェ、コロナ禍で閉業して今はもうない。ブリッジ・カフェに限らず、ホテル周辺にはカジュアルで美味しいレストランがいくつかあり、滞在中の食事には困らなかった。

ホテル近くから見たブルックリン・ブリッジ

 食事後は、フルトン・ストリート方面へと散歩を続ける。フルトン・ストリート周辺には気軽に入れそうなパブやバーが何軒もある。シーポートから流れてくる観光客やウォール・ストリート付近のビジネス街から流れてくるビジネスマンなどが立ち飲み形式のパブで飲んでいる。そんな店のひとつに入り、エール系のビールを飲みながら楽しくおしゃべりをして、ホテルに戻った。

毎晩のように飲んだNORTH STAR PUB
当時よく行ったホテル近くのイタリア料理店

■ショッピングを楽しむ

 休暇なので、特に行動を決めてないのが、この時期のニューヨーク滞在だ。毎日、早朝に目覚めて、窓の下の広場では魚市場から荷物を搬出する車や人を眺めながら部屋でぼんやり時間を過ごす。喧騒が去り広場が静かになった頃、朝食を摂りに階下へと向かう。
 シーポート・インには、1階のロビーの奥に居心地の良いサロンがある。ソファやテーブルが配置されたサロンでは、24時間コーヒーが飲める。朝は何種類かのパンやクロワッサン、ジュースや果物が置かれていて、コンチネンタル式の簡単な朝食を摂ることができた。
 朝食を摂った後は、マンハッタン各所へと散策に向かう。…と言っても観光地や美術館を巡るわけではない。70年代、80年代に暮らし、日々を過ごした場所を巡り、月日の変遷を肌で感じるための散歩だ。そしてこの時期のニューヨークには、もう一つの大きな楽しみがある。
 
 1月中~下旬と言う時期は冬物衣料のバーゲンシーズンだ。クリスマスシーズンのバーゲンが終わり、最後の冬物衣料のたたき売り期間になる。「売れ残り」ということで品揃えは多少悪くなるが、ともかく底値で買えるのだ。90年代終わりのこの時期は、70年代、80年代にニューヨークに住んでいた貧乏生活の時期とは違って、多少お金に余裕もある。しかも1ドル120円前後の時代だ。当時は、冬物の普段着のほぼ全てをこの時期のニューヨークで買っていた。
 念のために書いておくが、僕はブランド品のショッピングには全く興味がない。あくまで普段着、そして日常使うための靴やバッグを買うためのショッピングだ。
 
 この時期のニューヨーク旅行は、出国時にはほとんど着替えを持たずに行く。靴も捨てていいものを履いていく。中身のないスーツケースで出国し、帰国時にはバーゲンで買った衣類をぎっしりと詰め、新しく買った靴を履いて帰っててくるわけだ。
 カジュアルブランドなら、ホテル近くのピア17を中心とするショッピングセンターで何でも揃う。ピア17には、GAP、リーバイス、ディッキーズ、エドウィン、アバクロ、トミー・ヒルフィガー、ラルフ・ローレン、ナイキ、ロックポート、エディ・バウアーなどが出店していた。ここだけで普段着の買い物は用が足りる。
 マンハッタン全域に目を向ければ、SOHOやヴィレッジ周辺の大型カジュアル衣料店やアウトドアショップがどこもバーゲンだ。有名ブランドの旗艦店も全てがバーゲン、そして僕が好きなアメリカントラッドの老舗、ブルックス・ブラザーズやJプレスなども冬物衣料を底値で売っていた。ちなみにブルックス・ブラザーズは、シーポート・インから徒歩で行けるワールドトレードセンターの近くに大型店があり、当時はよく利用した。

■記憶に残る穴場ホテル

 本稿の最後にあらためて書くが、僕は80年代後半から90年代にかけて、ニューヨーク・マンハッタンで高級ホテルから安ホテルまでいくつものホテルに泊まったが、シーポート・インは最も居心地の良い最高のホテルだった。スタッフのさりげないホスピタリティもいいし、機能的で簡素な部屋もいい。何よりもロケーションが最高だ。にもかかわらず、このシーポート・インについて書かれた旅行記はほとんど見たことがない。25年前のマンハッタン最南部の雰囲気とともに、誰かが記録しておくべきだと思って本稿を書いた。
 ちなみにこのシーポート・イン、現在は「33 Hotel New York City Seaport」という高価でおしゃれな5つ星ホテルになっている。外観は当時そのままだが、中身は別物だ。Webサイトを見る限り、個人的には全く泊る気にはなれないホテルだ。そして、今はフィッシュ・マーケットもないし、ブリッジ・カフェもない。
 
 僕は旅が好きだ。バックパッカー時代によく泊まったアジアの場末のゲストハウスから、海外出張で利用した欧米の5つ星ホテルまで、様々なホテルに泊まった。自分で言うのも何だが、良いホテル、しかも高級・有名ホテルではない穴場を探す「目利き」には自信がある。そして僕が個人で行く旅のスタイルは基本「貧乏旅行」だから、目利きの対象となるのはだいたいが安宿・安ホテルだ。またビジネス等で必要に迫られて5つ星ホテルに泊まることがあっても、可能な限り安く泊まる方法を探す。ともかく、国内外を問わず「安くて快適なホテル」を見付けることには、それなりに自信と実績があるつもりだ。
 そんな僕がこれまで旅をしてきた中で、特に気に入ったホテルがいくつかある。今回書いたニューヨークのシーポート・イン以外にも、シアトルの今は無き2つ星ホテル「イン・アット・クィーンアン(Inn at Queen Anne)、パリのモンマルトル近くの2つ星ホテル「ホテル・ド・スクエア・ダンベール(Hôtel du Square d'Anvers)」、タイ・ナコンパノムでメコン川沿いに建つ「リバー・ホテル」など、ロケーションが良く、安くて小さいけど快適な「記憶に残るホテル」の思い出を、逐次このnoteで書いていきたいと思う。


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