ひとりごと(2020/07/31)

映画「聲の形」
皆さんご覧になったでしょうか?

高校生の時に教室に乱雑に置かれている雑誌をぺらぺらとめくっていたら
読み切りの「聲の形」を目にしました
読んで驚愕
直感的に「これは何か起きるな」と感じていました

数か月たって「聲の形」が連載決定
そして、大好きな京アニで映画化決定とトントンと進んでいきました

無論、原作も読んでいるし映画も見ています

だからこそ言えるのは
原作より映画のほうが好き
ということ

正直、内容がかなり重いので何度も見られる作品ではないです
だからこその良さはありますが
申し訳ないけれども、漫画も映画もかなり前に見た当時の感覚でお話をしていこうと思います

結論から、なぜ映画のほうが好きなのかというお話
結末が映画のほうが好きだから!!
です

漫画版では、小学生時代、高校生時代、そして小学校の同窓会へと向かっていきます
一方で映画では、小学生時代、高校生時代、高校生の文化祭で幕を閉じます
この最後に向かっていくときのストーリーの閉じ方が映画のほうが好きなんです

小学生時代に将也は、耳の聞こえない硝子をいじめます
そして、大切な補聴器を何個も壊して硝子を困らせます
もちろん、補聴器なんて安いものではなくいじめがばれた将也の母は多額のお金を返済します
そして気が付けば、将也もいじめの対象に

自分もいじめられていた経験があるので、わりと序盤から見ているのがつらくなってきます
なんども見れない理由のひとつがこれです

そして、高校生になった将也は硝子に謝りに行きます
そんな将也の状況を知ってか知らずか、小学校時代の同級生がたくさん集まってきます

漫画版では、小学校に赴き当時担任をしていた先生にもあったりしますね
この担任の描き方がリアルすぎてもはや恐怖を覚えてしまいます・・・

そして、漫画版でも映画版でも大事なシーンである将也の転落
ここから漫画版と映画版でストーリーが細かに変わっていきます

目を覚ました将也は、仲間たちとともに歩き出しますが

漫画版では、いじめられていた過去や今までの自分の行動を硝子や仲間と一緒に乗り越えていこうと決心して同窓会に参加して終わります

一方で、映画版では、過去に起こしてしまった様々なことが原因で今の状況があることにたいして、面と向かっていき
それでいいじゃないか、と
俺は、周りの人間はこんな奴らなんだ、と
現状を受け入れて終わります

この映画版の終わり方が人間らしくてとても好きなんです
みんながみんな、一歩踏み出せるなんてことはないのですから

一方では、時間が限られている映画の中、最後まで描けないからこういう中途半端な終わり方をしているんでしょ
という人もいると思います

だが、まてしばし

可の京アニがこの終わり方をしているんです
そこに、意味がないわけがないのです
表象作品に関して意味がないものはないわけなのですが(閑話休題)

個人的に京アニのもっとも優れている点の一つに、キャラクターの心の動きの表現があると思っています
ぞっとするくらい気持ちが伝わってくる時があるほどです
そんな京アニが、将也が現状を受け入れるという選択をしたのです

そこに逃げは決してないのではないでしょうか?

もちろん、漫画版のほうが時間をかけて、ページ数をかけて各キャラクターの心の動きをこれでもかというくらいに描いています
えげつなくリアルに
だからこそ、漫画版では将也と硝子は前を向いて同窓会へと足を運ぶことができているのです

そうなってくると、もはや漫画版と映画版の「聲の形」は全くの別物ではないのかと今になって感じてきました
であるのであれば、わざわざ漫画版と映画版を比べる必要はないのではないだろうか

マジで、この文章を書きながらそう思えてきていますw

この長々とした感想を書く前から考えてはいたのですが
決して、優劣を決めるわけではなく
個人的に好ましいほうを選びましたということには変わりありません

どちらがいいのではなく、どちらもいいのです

そんなこんなで、漫画版と映画版どちらも違うベクトルでキャラクターの心の動きを繊細に描いている作品です

ぜひぜひどちらも一度は見てほしいです!!
という可もなく不可もない感想でしたw

最後まで読んでいただきありがとうございます

また、どこかでお会いしましょう

バイバイ~

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