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#3 先生だけど自分のこと分かってなかったよ|休職エッセイ

悩み事は全て人間関係から始まる

アドラー心理学など、巷でよく言われることです。

いままさにそれを実感しています。休みにはいって日数が経ちましたが、だいぶ心安らかになり自責の声を聞くことも減りました。関係の中で人間は生きているんだなぁとつくづく感じます。

自分はどうやって生きていきたいんだろう。

せっかくだからゆっくり丁寧に考えていこうと思います。

どうやら自分の話を聞いてもらいたいみたい

先日、学校の関わりのあるお医者さんとの面談がありました。カウンセリングはそれを経てということだったので、緊張しながら足を運びました。

結果、10分もかからず終了。内容は、身体の不調はないかという問診と、心療内科をよかったら予約してくださいというものでした。

身体の不調はいかがですか?休養のおかげさまで、身体の不調はほとんどでません。あぁ、それならばあんまり深刻になりすぎず、大丈夫でしょう。え、あ、そうなんですか。心療内科に行ってみたいという気持ちはありますか。あ、はい、そのつもりでしたが、最初にこの面談を経てということでしたので。そうでしたか、この近所でないと紹介することができないので、ご自身で探して行ってみてくださいね。それでは、お大事に。

あ、あれ?と正直拍子抜けしたわたし。と同時にモヤモヤする気持ちが起こります。面談するまでカウンセリングの予約は待ってくださいというから待ったのですが。体調不良がなければ、大丈夫なの?わたし、大丈夫な感じがまだしないんだけども。このちょっとの時間のために、ドキドキしながら学校に来たの、わたし。なんだかなぁ。

頭では、内科のお医者さんなので、そこでどうこうされるとは思ってもなかったはずなのですが、心の声はこんな風にぐちぐち言っていました。

そこでわたしは気づきました。

ああわたし、自分の気持ちや話を聞いてもらいたかったんだ。ただ受け止めてもらいたかったんだ。評価を下さず、ただ未来に向かって歩いていくのを一緒に模索して欲しかったんだって。

その日の出来事で、はじめて分かった自分の気持ちでした。そうだよね。先生だってたまには、気持ちをただ受け止めてもらいたいよね。それってこうじゃないの?とかこうするしかないよね?とか大丈夫だよ、とか、その人の尺度から出てくる評価の言葉じゃなくて、そうだったんだね。ってわたしの気が済むまで聞いて欲しかったんだなって。

いま、不安だし、解せないこと

だんだん、復帰予定の日が近づいています。その時の面談の感じだと、〔この調子で休んで整えていけるね!〕という周りの状況でした。もちろん、休みを延ばしてもいいという前提でお休みをいただいたのですが、それでも謎の不安感が払拭できません。

さらに解せぬなのは、もし復帰するってなったら、復帰当日から授業スタートするってなって、そうなった場合は休んでいる期間からある程度の授業準備をしておかなければならないのです。別に、やっておくように、なんて言われることはこれっぽっちもない。ただ、自分の中で、もし復帰するならば自分の中での準備開始デッドラインがあるな、ってなっていて、緊張感が高まっているということです。自分で勝手に、解せないな、って悩んでいる。堂々巡りです。

早く医療機関にかかって、客観的にみてもらいたい。はやく予約日来てください!!

いいこともある

こんなことばっかり書いてたら、休んだことに罪悪感しか覚えなくなりそうなので、いいことも書いておきます。仕事してた時は全然出来なかった読書をたくさんするようになった。アートの楽しみを覚えて、美術館に足を運べた。カメラを始めて、一瞬の美しさや楽しさに気づけた。料理を手を混んでできるようになった。

何事も、バランスよくいきたいです。



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