#11 他人との「境界線」がひけてない |休職エッセイ
SNSをみていて見つけた言葉。
心理学的用語で、個人と個人の境界のことを「バウンダリー」と言うらしい。
自分に対して行動をとってくる他人に対して、心地よい方法かどうかを判別するための基準と言ってもいいかもしれない。その境界があいまいだったりひけてなかったりすると、他人の行動に対して「自分に責任がある」と考えると言う。
その投稿に書かれた、その傾向にある人の特徴を読んで気付かされた。
「・・・他人の感情や気持ちをケアする人」(ケアしてほしい人)
あーーーー。
これわたしだなあって。
不機嫌な誰かをみると、わたしが取りもたないとって思った。
それがうまくいかないと居心地が悪くて「ダメなわたし」って思ってた。
でも本当は、全然そう思う必要がないという。
その時の機嫌、感情は、他人が責任を取ることではないのに、自分に責任があると感じてしまっているのはバウンダリーを意識していないということのようだ。
本当は、父の機嫌、母の機嫌を取る必要はないし、同僚の先生の機嫌を取ることはない。子供たちの機嫌を取る必要だってないんだ。その機嫌の責任は、その人たちにある。
ただし、境界線を越えることそのものがいけないのではなく、自分自身で越えるかどうかを判断することが大事らしい。例えば、仕事人として同僚とやっていく中で「ここは多少越えた方が今後の仕事がうまく行くな」ことはあってもよいのだと思う。
ただ「これ以上はわたし自身の責任だと重いな」という場面になったら、アサーティブな伝え方をしていくこと。つまり、相手の意見や状態を否定するのではなく、相手の考えを一旦テーブルに置いた上で、自分の提案をしてみることだ。
実際に勉強してみると、いろんな自己啓発本で散々目にしてきた考え方だけれど、休職中の自己内省やカウンセリングをしたからか、実感を伴うものだった。
だから、前の記事のようにモヤモヤを書き出したりした後で、境界線とアサーションを振り返ってみること。もしくは、そこで整理しきれなかったものをスッキリさせてみること。
これは結構有効かもしれないですね。
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